『復讐が足りない』冬野梅子著 評者:トミヤマユキコ【このマンガもすごい!】

トミヤマユキコ
『復讐が足りない』/モーニングKC(講談社)

評者:トミヤマユキコ(マンガ研究者)

 物語の舞台は、渋谷区神泉にある社員20名ほどのIT企業。主人公の復田朱里(あかり)は、地域デジタル開発部に勤務する32歳。つい最近、契約社員から正社員になったばかりだ。3社目の転職でようやく手に入れたホワイト企業正社員の座。手取りも増え、生活も少しは安定する。本当なら素直に喜びたいところだが、そうは問屋が卸さない。

 契約社員だった朱里が正社員になれたのは、営業部の真中という女性が辞職したことに端を発する急な人事異動があったから。しかし朱里は、真中が辞めた詳しい理由までは知らなかった。そんな折、ひとりの社員が朱里に打ち明ける。「真中さんは性被害で辞めた/加害者は復田さんの隣の席の/北広さん」......なんと、この小さな会社の中で、性暴力事件があったというではないか。加害者とされている北広は、ちょっとマッチョなところがある男で、朱里のことを「お前」と呼んだり、会議の席上ですぐに怒ったりするが、会社ではちゃんと仕事を任されているし、マイホームパパとしての顔を持ってもいる。

「身近な人が性加害なんて信じられない」と思う朱里。しかし、社員たちから少しずつ話を聞いていくうち、加害者が守られ被害者が見捨てられる理不尽な組織のあり方を目の当たりにするのだった。

 本作は、朱里が「第三者」であることに大きな特徴がある。事件当時の朱里は契約社員だったから、事件の詳細な情報がもらえなかった。被害者とも別の部署であり、ほとんど接点はない。さらに言えば、事件はすでに会社の上層部と弁護士によって処理された過去の出来事のように見えなくもない。人によっては、「自分にはよくわからないので」と判断を留保するだろう。しかし、朱里には見て見ぬフリができない。彼女からすれば、会社の人たちが加害者に対してなんだかとっても手ぬるいように思えるからだ。百歩も二百歩も譲って、加害者と被害者の間に性的合意があったとしても、既婚男性が会社のフロアで何やってんだよという話なのに、なぜかみんな大目に見ているし、北広自身もちゃんと反省しているとは思えない。第三者であることを理由にじっと静かにしていれば、自分の立場は守られるけれど、どうにも黙っていられない。だから同僚、上司、社長、と話を聞いていき、最後は北広と直接対決をする。読者は「怒れる第三者」の行動を追うことになる。

 1巻の終わりまで読んでもらえばわかるが、これは正義の人によるクリーンで健康的な話ではない。だって、朱里が心の底から北広を許せないと思うのは、彼がかわいい犬を飼っていると知ったときなのだ(朱里は大の犬好き)。正義と私怨がないまぜになって火花を散らす、怒りのデス・ロード。お行儀のよさを期待してはいけない。完璧ではない人間が、完璧でないまま、許せないものを許さずにいる姿を目に焼きつけよう。ちなみに、連載最新話での朱里は大麻ビジネスに手を染めている。一体なにがあったんだよ(笑)。続きが気になって仕方ない!


(『中央公論』2026年3月号より)



中央公論 2026年3月号
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