菅 義偉×北村 滋×橋本五郎 回顧録に見る安倍晋三のビジョン

(『中央公論』2023年3月号より抜粋)
出版に一度は「待った」
──『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)が発売されました。橋本さんは聞き手、北村さんは監修として関わっておられますが、どのような経緯で刊行に至ったのでしょうか。
橋本 133年の日本の憲政史上で最長となった内閣は、なぜ最長たり得たのか。その秘密はどこにあったのか。それをご本人の口から聞きたかったというのが、本書の出発点の一つ。
二つ目は、できるだけ早く出すべきだということ。これまでの日本の総理大臣の回顧録は、辞めてから10年後、20年後に出ているんです。すぐには出さない。その間にどんどん、どんどん正当化されて、「あの頃は良かった」という話になっちゃう。生きている関係者がいれば、「それは違います」と言える。そうすると、少しずつ事実に近づいていく。それが歴史に対する責任であり、回顧録を読んだ今の政治家も、そこから学ぶことがある。
2020年夏、安倍さんにこうした理由を説明して、「2021年9月までの自民党総裁の任期が終わったら回顧録を作りましょう」と持ちかけたら、快諾してくださった。
ところが、その1ヵ月半後に突然辞任されることになった。回顧録の話は「もうなくなったな」と思っていたら、安倍さんの方から「やりたい」と言ってくれて。2020年10月から1年かけて、1回2時間、18回、延べ36時間のインタビューを行いました。北村さんの準備も万全だった。
菅 もともと準備していたの?
北村 第1次政権が発足した2006年からスクラップを作っていたんです。1次政権が1年で終わった時は、安倍政権に関して本当につまらない本しか出なかった。2回目の総理をやったら必ずちゃんとした回顧録を出してもらおうと思って、新聞や雑誌記事のスクラップを続けていたんです。結局、全部で300冊ぐらいになって、うちのトランクルームに専用の本棚が二つあります。(笑)
橋本 安倍さん本人の記憶と、それを補完する北村さんのサポートとスクラップ。各国首脳との共同声明など、いろんな公文書も揃った。非常に明晰だ。そういう中で作られたところに、この回顧録の意味があると思います。
──本当はもっと早く刊行する予定だったそうですね。
橋本 実は、2022年1月には原稿が出来上がっていました。ところが、ご本人から「出版は待ってほしい」と言われた。ちょうど安倍派の会長になったばかりの頃で、そうすると内容が生々しすぎる。関係者がいっぱいいるし、外国の首脳でも現職の人がいるから、「ちょっと差し障りがあるなあ」という感じでした。
──そうした中で、7月にあの銃撃事件が起きてしまった。
橋本 そうなんです。事件後、北村さんが夫人の昭恵さんに、「実はこういう話が進んでいたんです」と回顧録の話をされた。そうしたら、安倍さんの自宅の机の上に回顧録のゲラが置いてあったということもあって、昭恵さんに出版を快諾していただいた。おそらく戦後最高レベルの回顧録だと思います。政治家が残したものとしては、かなり踏み込んでいる。それを出さずしてどうする、という感じがありましたね。
北村 昭恵夫人には、前向きに考えていただきました。連絡を取るたびに、「楽しみにしています」とおっしゃっていただいた。自宅に総理在任中のアルバムがこれも300冊ぐらいあるんですよ。その中から写真も選ばせてもらった。
橋本 昭恵さんは本を「いっぱい売る」とも言ってくれている。(笑)