御厨 貴×中北浩爾 『安倍晋三 回顧録』を点検する――史料として読んでいくために

(『中央公論』2023年5月号より抜粋)
現在進行形の「回顧録」
──2月刊行の『安倍晋三回顧録』が反響を呼んでいます。死去から半年ほどで出たというインパクトだけではなく、党内闘争や官僚への敵対心、各国首脳の人物評などが率直に語られており、驚きが広がっているようです。お二人は、本書をどのようにお読みになりましたか?
御厨 正直な感想として、ここまで踏み込んだ内容が、現役政治家の口から語られていることに驚きました。政治家の回顧録や、当事者にインタビューを行い記録にまとめるオーラル・ヒストリーの多くは、引退して10年以上経ってから編まれてきました。生々しい感情は消え、自身を客観視しながら書かれることが常なのですが、この本はそうではありません。あくまでも現役の政治家として、自らの政権運営を正当化する意図のもとで語っています。
安倍さんの政治手法は、敵と味方を峻別し、対決姿勢を鮮明に打ち出すことから「分断の政治」と呼ばれてきました。それが意図されたものであったことが本人の口から語られることで、分断が事実として歴史に刻まれたとも言えます。安倍政治の再構成を、安倍さん本人がこの本で成し遂げてしまったと言えるでしょう。知られざる事実が本人の口から次々と語られることの迫力は、ちょっと他に見当たりません。
内政や外交上の機微にも触れることから、2月13日に行われた衆議院予算委員会では立憲民主党の議員たちから「元首相の守秘義務違反ではないか」といった質問もなされましたが、そんなことは織り込み済みで刊行されているわけで、野党側の動揺も浮き彫りになりました。
中北 本の分厚さに一瞬怯んだのですが、読み始めると面白くて、一気に読んでしまいました。
多数の現役政治家が実名で登場しますし、知らなかったファクトも非常に多く語られていますから、いやが上にも興味を惹かれます。安倍さんの持ち味であった、ざっくばらんに一気に話したあとに一息つくというような語り口もそのままで、まるで安倍さんが蘇って語っているかのような臨場感がありました。
読んでみて、7年8ヵ月にも及ぶ長期政権であることの厚みも感じました。長く政権の座に就いていなければ、ここまで内容が多岐にわたることはなかったはずですから。しかも話の多くは現在と地続きの過去という以上に、今そのもの、現在進行形の話という印象です。
ただ同時に、すでに政局はポスト安倍のフェーズに入り、安倍政治からの脱却の流れが強まっていることも意識せざるをえません。それは岸田首相が意図的に進めていることでもあるし、意図せずに進んでいる部分も大いにあると思います。
他方で安倍さんが築いた膨大な政治的遺産があることも事実で、後継者であることをアピールすることで、自身の権力を高めたいと思っている政治家も、安倍派や右派を中心に多く存在するでしょう。
そうした人たちにとっては、この本はいわば遺言であり、安倍政治とは何だったのかを再認識するテキストとなっているはずです。人名索引を見て、自分の名前が出ているか否か、登場回数が多いか少ないかで一喜一憂している政治家がかなりいるのではないでしょうか。(笑)