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鈴木涼美 ピンサロ嬢のお姉ちゃんの強くて美しい魂は、最も汚れ蔑まれる場所で咲く(西原理恵子『ぼくんち』を読む)

第8回 ありえないほど汚れた場所の、ありえないほど高貴な信仰(西原理恵子『ぼくんち』)
鈴木涼美
『ぼくんち』(西原理恵子著/角川文庫)
キャバクラやアダルトビデオなどの「夜職」、新聞記者という「昼職」、両面から社会を見つめた作家・鈴木涼美さんの書評エッセイ。一日一日を生き延びる糧となった作品を紹介していきます。
今回は、文藝春秋漫画賞を受賞し、映画化・舞台化もされた『ぼくんち』を取り上げます。作者の西原理恵子さんが育った高知市沿岸部をモデルとする田舎町が舞台です。

小室ファミリーの歌に出てこないもの

 小室ファミリーと呼ばれて一時期邦楽チャートを席巻したヒットソングが、なぜ90年代半ばの、とりわけ若い女の子たちの支持を集めたか、という議論はいくつもの切り口があるのだけど、歌詞に注目して考えてみると、神様信仰の不在という点に気づきます。小室ファミリーの歌はあまり歌詞に意味がないとか、英語がめちゃくちゃだという指摘はよくあって、確かに「Body Feels EXIT」だとか、「Hate tell a lie」のようになんとなくクールでヒップな英単語を組み合わせて、大して意味はないのだろうけどなんだかすごく格好よく聞こえる、と思わせるのは大きな特徴の一つです。これは英単語で顕著だけれども日本語歌詞にも似たようなことが言えて、深い意味や背後の物語を考えるよりも、響きや全体として持つノリを意識した、一文一文が比較的独立したリリックになっているものが多い。

「I'm proud」に代表されるようなラブソングと、「survival dAnce」や「Chase the Chance」に代表されるような時代の応援歌とが混在しますが、その双方で、神様や祈りといったモチーフは極力排除されています。この、「神様に祈る/神様を信じる」ということを、否定するというより考慮しないという点が、神に祈るというのが一体どんな事態なのかいまいちピンとこない当時の若者たちの、現実的で、即物的で、刹那的な気分に合致して、大変聞き心地の良いものに仕上がっていました。歌詞に奥行きがなくとも、そこはかとなくリアリティがあったのも、信仰の対象に「神様」なんていう、宗教法人の学校でも出ていない限り、日常でほとんど触れることのない漠然としたものを設置しなかったからでしょう。

 キリスト教文化を基盤とする欧米諸国に比べて、神仏習合と説明される日本の多数派の宗教観はあまり前面に出てくることはなく、祈る対象と言われて何か具体的な顔や場所が思いつく人はそう多くありません。初詣や受験祈願、或いは冠婚葬祭で神社やお寺に出向くことは結構ありますが、重視されるのはさらに漠然とした縁起や伝統といったことであって、クリスマスに比べて花祭りなどあまり祝われることもないし、仏壇のある家も減少傾向にあるようです。信教の自由が保障されている以上、特定の「神様」を信じるのは全くもって個人の自由ですから、人によってはもっとずっと具体的に神様の形を想起できる人はいるのでしょうが、少なくとも私は、神様という単語からなんとなく思いつく顔というのは時と場合によって、西洋風であったりインド風であったりといい加減なものです。

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