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鈴木涼美 それなりのプライドと、それなりの傷の痛みと、それなりの愛をぶつけ合う男女の愚かさを愛する(ルーキアーノス『遊女の対話』を読む)

第17回 お金を介した男女の滑稽な話(ルーキアーノス『遊女の対話』)
鈴木涼美

訴えられることなく怒られることなく長くお金を使わせる

「君を指名してこの金額を使ったらどんなことをしてくれるの?」と聞かれて、「その金額は私があなたの隣に座ってつまらない話を聞く苦痛への対価です」と答えるホステスはいないし、そのような答えを望んでいるお客も余程の変態を除けばほぼいません。大抵は「**さんのことをもっと好きになっちゃう」とか「もっと仲良くなれる」とかくだらないことを言うのが通例で、遊び慣れた客はそれが嘘混じりであることを了解した上で歓迎するわけです。これが、あまりに初心で経験値のないお客だと、マナーであり挨拶のようなものでもあるという見分けがつかずに後でトラブルになることがあります。逆に、売っている側もあまりに節操がなく、出来もしない約束をして無理矢理お金を引っ張ろうとしたり、貫き通せない明らかな嘘をついたりすると、これもトラブルになってしまいます。

 100万円使ってくれたらエッチしてあげる、というような露骨な餌を出す行為というのは、若手の焦ったホステスに稀にみられることがありますが、これでは実際に客が100万円使った際に、セックスをしないと契約不履行になってしまう。本当に当日だけどうしてもまとまったお金が必要で、後でどんなに責められても追いかけられてもドロンと逃げてしまえる状況なら別にいいし、そうでなくとも「具合が悪い」「今日は生理」などと言って数回は回避できるかもしれませんが、長い付き合いを求めるのであれば得策ではありません。新人ホストはすぐに客に「俺と付き合おう」「他に女はいない」と言うものですが、これも複数人を相手にすると限界がある。うまいホステスやホストは、いかに嘘をつかずに、しかし本音も言わずに、客の求めるものをほんの少しずつ提供し、訴えられることなく怒られることなく長くお金を使わせられるか画策するもので、これを手練手管と呼ぶわけです。他の異性といちゃついているところを見られても、お客に「きっと一番は自分だ」と思わせることができるような手練れが、夜の世界には昔からいるのです。そしてそのような存在にかかれば、お客は、欲しいものが全て手に入ることはなく、しかし通ってお金を使うのをやめるほど欲しいものが一切手に入らないわけでもない、という状態になり、ここにまた、何か商品に不備や詐欺行為があるわけではない、むしろ商品が優れているからこその、痛みや諍いが生まれるわけです。

 痛みが絶えないが故に、客は滑稽な言動をすることが多く、また売り手の側も盤石ではないから、失敗や思うようにいかないことばかり多いわけです。そこに性や恋に伴う嫉妬が絡むものだから、取引は常に綱渡りです。客の方も駆け引きを仕掛け、売り手の方も心を傷ませたり嫉妬やプライドに縛られたりもします。本来お金で取引される類のものではないものを商品として扱う限り、これは宿命とも言えるもので、客の滑稽さを笑い、或いは自分を見放した客を恨み、客の扱いに悩むからこそ、ホステスや売春婦の仕事後のおしゃべりはつきません。客も滑稽ですが、売り手の方もまた、何を与えれば客の満足度が上がって自分の値段が上がるのかがはっきりしないが故に、やはり滑稽なわけです。

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