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鈴木涼美 それなりのプライドと、それなりの傷の痛みと、それなりの愛をぶつけ合う男女の愚かさを愛する(ルーキアーノス『遊女の対話』を読む)

第17回 お金を介した男女の滑稽な話(ルーキアーノス『遊女の対話』)
鈴木涼美

1800年以上も昔の誰もが聞き覚えのある話

 この手練手管や、それに伴う痛み、それに伴う滑稽な人々の姿、それに伴うおしゃべりというのは、性や恋愛が取引される場がある限り世相や国が変わっても不滅のようです。紀元後100年代、つまり今から1800年以上も昔の諷刺作家であるルーキアーノス(ルキアノス)が代表作の一つである「遊女の対話」で描いた、当時ヘタイラ(本書では遊女・芸者と訳される)と呼ばれた女性たち同士の会話や彼女たちと客との会話の端々には、夜の世界を通りすがった経験があれば誰しもが聞き覚えのあるものが挟まれています。

 例えば自分が請求されたお金をすぐに用意できなかったが故に女に粗末に扱われた男。「それで僕は悲しい目に会わせた仕返しに、僕もあいつを怒らせてやろうと思って、君を呼んだわけなのさ」と、別の遊女を呼ぶのですが、フラれた心の傷によって寝る段階になると遊女に背中を向けて泣いたり喚いたりします。そういえば昔、デリヘル嬢に恋をしてうまいこと同棲をしたものの、すぐに出ていかれて、腹いせにその女の勤めるデリヘルの別の嬢たちを片っ端から呼んでいるという男がいたな、と私はなんとなく思い出しました。ちなみに物語に登場するこの男は、そっぽを向いて泣いているのを遊女に責められて、自分の恋を白状するのですが、そこは遊女の手練手管が光ります。恋の手助けでもできるかもしれない、と相手の女を聞き出した彼女は、その女の実年齢が自己申告よりも20も上で、頭の毛は毛染薬で誤魔化しているだけですっかり禿げ上がり、首から膝には豹のような斑があると主張します。その上で「もし誰かがこんなことで呼ばれたんだと前もって言ってくれりゃ、ほんとに愛の女神様にかけて、来るんじゃなかったわ、わたし」と言って帰ろうとしますが、男は慌てて、「あの女がそんなだったら、さあもうこの城壁は取り払って、お互いに抱き合い、キッスし、ほんとにいっしょになろうよ。ピレーマティオンにはおさらばだ」と乗り換えるわけです。あのデリヘル男の顛末を私は途中経過までしか知りませんが、何人目かの嬢にうまく言いくるめられて、今度はその人に恋をしたかもしれません。

 他にも、自分のいい人が自分の目の前で他の遊女と親しく触れ合っているのを見せられて、「わたしが怒っているのを見て、そしてわたしがあの人におやめなさいって合図をすると、あの人ったら、ターイスの耳の端をつまんで、喉を仰向きにさせ、きゅっとひどくキッスしたもんだから、もう唇が離れないくらい、それからわたしが泣いていると、笑って、ターイスに長いことひそひそと耳うちしているのよ、もちろんわたしの悪口にきまってるわ。ターイスがわたしの方を見て笑っていたんだから」と愚痴り、仕返しに他の男にキッスしてみせます。その行為を「あんた覚えていないのかい、あの人からどれくらい貰ったかってことを」と母親になじられると、「それだからどうだっていうのよ、そのためにあの人にばかにされて我慢しているの?」と切り返します。お金を超えた客の取り合いで意地を見せているキャバ嬢同士の無言の牽制のしあいのようで笑えます。

 遊女同士の指南の仕合いも「すごい恋というものは、相手にされないと思うと起こるけど、自分一人占めにしていると信じると、熱情がどうやらさめるものなのよ」だとか、「あんたはこの人にあまりのぼせ上がりすぎて、それを見せたから、この人をスポイルしちゃったのよ。あんまり大事にしちゃいけなかったのさ」というようにどこかで聞いたことのあるものです。遊女をものにしようとする男が、気張って自分の武勇伝を脚色して話し、それによって女に引かれて、友人から「勇士になって嫌われるか、それとも嘘を白状して、ヒュムニスといっしょに寝るか、二つの中どっちかだ」と助言される様はいかにも滑稽で、見栄っ張りなお客たちの顔が何人も思い浮かぶものでした。

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