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地方リーダーから、出でよ「乱暴」なリスクテイカー――平時とは異なる危機の思考を

冨山和彦(経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO)

 新型コロナウイルスへの対応で、都道府県知事のリーダーシップが注目を集めた。ビジネスを通じて地方創生に携わってきた冨山氏に、地方リーダーのあり方について見解を伺った。

一〇〇年に一度 不確実期の到来

 今、世界を襲っている新型コロナウイルス感染症は、一〇〇年に一度の災難、時代の転換点とさえいえるだろう。この災難を乗り越えるには、有事のリーダーが必要である。

 一〇年に一度ぐらい、事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい"ブラックスワン"と呼ばれる先が見えない状況が生まれる。今は人類史の中でも、極めて不確実で変動幅が大きい時代に振れている。過去を振り返っても、人類の歴史は結構な振幅があった。すなわち、平時であることを前提に改善改良を進められる時代と、昨今のように不連続の変化が起きる有事の時代だ。今はビジネスにおいても政治においても、二十世紀初頭以来、約一〇〇年から一二〇年ぶりに世界が極めて不確実、不安定なモードに入っている。

 平時においてリーダーが問われることは、調整能力やコンセンサス形成力、ボトムアップな意思決定をどう丁寧につくりあげるかだ。だから「Nice person is nice」、いい人がいい。だが、変動モードに入ると、相当困難な意思決定を、不確実な状況の中で連続的に行わなければならない。当然それはうまくいくものもあればうまくいかないものもある。うまくいかなければピンチに陥り、そこから復活するためには、かなり強靭なリーダーが求められる。それは中央政府も地方政府も同じだろう。

 リーダーの時代だということを社会全体が自覚すること。ある意味で強いリーダーが必要だし、強いリーダーが暴走した時にはその首を取るガバナンスも大事なのである。

昭和モデルから自由な若い知事たち

 時代の変わり目には、古き時代の保守本流的な育ち方をしてきたタイプの人材は、残念ながら役に立たない。よく言う「若者、よそ者、馬鹿者」にリーダーの座を譲っていくべきである。振り返れば、明治維新や第二次大戦後もそうなったわけだから、六〇~七〇年ぶりにそういう時代が到来しているということだ。

 私は、中央においては大企業が問題だが、地方においては社会全体が古くなってしまっていることが問題だと思っている。政治も企業も世代交代が遅れ、また、封建社会的な秩序が沢山残っているので、そこに別れを告げる必要がある。

 今回のコロナ対応で頑張ったのは大体若い知事だ。さらに北海道の鈴木直道知事はよそ者である。彼らはきっと意識的に「改革、改革」と連呼しているわけではなく、彼らが育ってきた環境や常識に基づいて、普通に考えたらこうだろう、ということに取り組んでいるようにしか見えない。改革のための改革ではなくて、合理的に考えて実行しているに過ぎないのであろう。

 若い世代の良いところは、古い「昭和」の仕組みを経験していないことである。例えば、工場誘致してうまくいったことを実感として経験していないし、昭和の歌謡曲をもう一度、ともならない。成功体験がないことはむしろアドバンテージなのだ。

 残念ながら今の七十歳以上、そして私たち六十代前後以上は、昭和の成功の記憶がある。例えて言えば、武士道を残して皆が剣術を練習すれば、私たちはイギリスやアメリカには負けないんだという思考に陥ってしまっているようなものだ。しかし、当時の成功モデルはもはや通用しない。いくら武士道の王道に戻ったとしても、彼らが持ち込んでくる大砲には勝てないのだ。だから時代が変わった以上は、古き良きものに対する情緒的なノスタルジーを持つ世代にはお引き取りいただいた方がいい。現に、今の若い世代は〝馬鹿〟ではないから、元々日本の社会に存在している伝統や技法の中で使えるものは使っている。古老たちが言う「伝統が全く失われてしまった」という見方は幻想だ。

(中 略)

地域間格差をどう考える?

 今回、コロナ対応をめぐって首長の力量差が顕在化した。そもそも優秀な人は少ないから、差がつくのは当然で、たまたまいい首長を選んでいた所─私の故郷・和歌山県の仁坂吉伸知事もとても活躍していた─は良かった。残念な地域もあったが、それを首長の責任にするのも酷であろう。むしろ今の日本社会の構造や教育システムの中では、優秀なリーダーが現れる方が稀である。漫然としていると、最も凡庸なサラリーマンが偉くなってしまう構造は、地方社会も全く同じだ。バランスが取れて人付き合いが良くて敵がいなくて、お友達としてはとてもいい人、あるいは、名家・名門の出身者が選ばれてしまう。平時ならリーダーの決断はさほど重みを持たないから、このタイプが一番丸く収まる。

 危機においては、冷徹な厳しい意思決定、あるいは短期的に批判を招くような、「えっ」という言動が取れるような人物、例えば、大阪の吉村洋文知事や北海道の鈴木知事のような人物が求められる。きっと、彼らに対して怒っている人は一杯いるはず。知事のせいで仕事が増えたと思う人もいるはず。しかしコロナ禍の今、そこを慮ったり、既存の法律体系や行政の仕組みに気を遣ったりして、〝乱暴〟なことができなかった人が批判されているのが現実だ。つまり、我々市民はギリギリの有事にあって、結果を求めているのだ。

 ある種の乱暴さは空間と時間の両方で必要である。空間的にいうと、色々な立場にどれだけ気を配るかという問題。自分がイニシアティブを取ろうとすれば、組織内が賛成派と反対派に分かれてしまうし、役所との関係性に色々な不調和が起きる。あるいは法体系と衝突するかもしれない。そんな時、できるだけ〝ぶっちぎる〟方が危機を乗り切ることができる。もし、ぶっちぎらずに事なかれ主義で対応すれば責任は問われず、「私は精一杯やりました」で許されてしまうかもしれない。しかし、歴史の審判はそれを許さないだろう。

 時間軸でいうと、先例や既存の法体系、過去の政省令や通達と違うことを進めるのはかなり大変である。日本では行政も経営も、過去との整合性を取ることに大きなエネルギーを費やす。今回でいえば国と地方の関係性や、権限の問題がボトルネックになっている。アメリカで大統領令を出したり、議会であっという間に法案を成立させたりできる理由は、全く過去を気にせず、「後法は前法に優先する」という大原則で事を運ぶからだ。また、「特別法が一般法に優先する」という思想も背景にある。トランプはそれを過度に行うがゆえに批判されているが、どこまでぶっちぎれるかでリーダーの資質が決まる。リスクを取れば一〇回に二回や三回は手痛い失敗をする。それは通常のサラリーマンとしては致命的だろう。リスクテイカーは危険思想の持ち主だとみなされ嫌われがちだが、今求められているのはこのタイプだ。その意味でも今回、災い転じて転換点になるといい。

地方創生のために取り組んでいること

 最後に改めて、コロナ後の地方を展望しながら、地方リーダーについての私の考えをまとめておこう。

 飲食や理髪、宿泊などのローカルなサービス産業は元々、人間が生きていく上での根幹に関わっている。顧客が求めるものの一つが移動性だとした時、その需要には以前から地方のバス・タクシー会社が応じていた。ローカル産業はグローバル産業と異なり、顧客は少ないが敵も少なく、大きなイノベーションに飲み込まれる可能性も低い。地道な努力とデジタルテクノロジーを組み合わせれば、むしろローカル産業の方が伸びしろは大きいのだ。

 課題は、コロナショックを契機に、ローカル経済圏で賃金水準・質の高い雇用を生み出せるかどうかで、この点は政策的にも注力していくべきである。東京のオフィスに一時間以上かけて通勤するよりも、三〇分以内で職場に通えて、飲み屋が夜九時で閉店する地方の方が生産性は高くなる。つまり、地方移住は、時間的にも豊かになり、高い住居費からも解放されて経済的にも豊かになるのである。

 私たちは和歌山県白浜町での空港の民営化を中心とした地域の再活性化に取り組んでいる。空港の利便性、東京からのアクセスの良さを梃子にした二拠点居住の一つであるワーケーション(働きながら休暇を取ること)オフィス展開はコロナショック前から既に大きく進んでいる。空港での顔認証登録による地域キャッシュレス化も進めてきた。コロナショックを受けて、間違いなくさらに加速する動きだと思う。ただ、この展開も県営空港初の民営化、コンセッション(所有権は公的機関、運営権は民間事業者)を決断した仁坂知事や誠白浜町長のリーダーシップ、そして地域の経済界のリーダーたちがこうした新しい取り組みを本気で応援してくれるから可能になっている。

 時代の変化に対する適応力を持ったリーダーがいる地域は幸いである。むしろリーダーの実力差や地域間格差が広がるのは歓迎すべきだと私は考えている。なぜなら、格差が顕在化することで地域が危機感を覚え目覚めないと、地方創生はありえないからだ。国もボトムアップではなく、本当に正しく頑張って成果を出しているところをもっと応援するプルアップのアプローチをこれから強化すべきである。

 

〔『中央公論』2020年8月号より抜粋〕

冨山和彦(経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO)
〔とやまかずひこ〕1960年和歌山県生まれ。85年東京大学法学部卒業。在学中に司法試験合格。スタンフォード大学経営学修士(MBA)。ボストンコンサルティンググループを経て、2003年産業再生機構COO。解散後、株式会社経営共創基盤設立。『AI経営で会社は甦る』『コロナショック・サバイバル』など著書多数。