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岡田暁生×片山杜秀 クラシック音楽存亡の危機 今こそ音楽家の矜持を

岡田暁生(京都大学教授)×片山杜秀(慶應義塾大学教授)

二度の大戦から考える

岡田 コロナ禍における音楽界の状況は、二十世紀の二つの世界大戦中と通じるものがあります。
 第一次世界大戦が始まると、音楽は不要不急のものとされ、加えて交通網も遮断され、演奏活動がストップしました。戦争開始時、兵士はクリスマスまでには戻れるだろうと耐えていました。しかし長期戦の様相を呈し始めると、とにかく集まりたい、歌いたい気持ちが抑えられなくなる。国家権力は当然そこに目を付けます。そこで持ち出されたのが、音楽による励ましと癒やし、絆の確認です。演奏会が盛んに行われました。ただし、敵国の音楽は演奏できない。ドイツは自国の作曲家がたくさんいたのでよいのですが、例えばフランスは、ベートーヴェンはオランダ人だから演奏してもいい、いやドイツ系だからダメだなどと、大真面目に議論されたそうです。そんな中、ウィーン・フィルは、中立国のスイスでベートーヴェンを演奏するなど文化大使として政治的に大活躍をしていました。今とあまり変わっていないわけですね。(笑)
 そして第一次世界大戦が終わったとき、交響曲とオペラの創作も音楽史においては実質的に終わりました。これはスペイン風邪の流行とも偶然タイミングが一致しています。映画やラジオ、レコードが出てきた頃でもあり、生の演奏でなくてもいいという考えが広まりました。

片山 ヨーロッパが経済的に弱くなり、大オーケストラ、歌手と合唱による公演が難しくなったこと、戦争により美意識が変わったことなども原因でしょう。一九二〇年代は、作曲も少ない人数で機動的な表現をする方向にシフトしていきました。新古典主義ですね。今の時代でいえば、密にならない音楽でしょうか。
 第二次世界大戦が始まると、前回の経験から、国家は芸術文化も動員した総力戦に打って出ます。交響曲やオペラは、慰めや戦意向上に必要なものとして活用されました。そこで一度滅亡したはずの交響曲が復活します。典型的なのは、岡田さんも著書で言及しているソ連のショスタコーヴィチの交響曲第5番でしょう。同様に、国威発揚などの意味を持った交響曲が、アメリカとソ連で量産されました。
 戦後、両国の衛星国でも交響曲が量産されるようになります。しかし日本では親米ではなく親ソ、階級意識の喚起みたいな交響曲が多かったでしょうか。芥川也寸志や林光の仕事ですね。政治的、社会的な動員のためのクラシック音楽が求められたのがやはり二十世紀の基調でしょう。

 

〔『中央公論』2021年1月号より抜粋〕

岡田暁生(京都大学教授)×片山杜秀(慶應義塾大学教授)
◆岡田暁生〔おかだあけお〕
1960年京都府生まれ。大阪大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。大阪大学助手、神戸大学助教授を経て現職。著書に『オペラの運命』(サントリー学芸賞)、『西洋音楽史』、『ピアニストになりたい!』(芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『音楽の聴き方』(吉田秀和賞)、『音楽の危機』など多数。

◆片山杜秀〔かたやまもりひで〕
1963年宮城県生まれ。慶應義塾大学大学院後期博士課程単位取得退学。三原市芸術文化センター「ポポロ」の館長も務める。著書に『近代日本の右翼思想』、『音盤考現学』『音盤博物誌』(両書で吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム』(司馬遼太郎賞)、『見果てぬ日本』、『鬼子の歌』、『皇国史観』など多数。
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