2020年6月アーカイブ

中国のプレゼンス

――中国は「一帯一路」戦略でアフリカ諸国に投資を行い、テドロス・アダノムWHO事務局長(2017年就任)の出身国エチオピアも例外ではなく、そのため中国に忖度している─そういう臆測を見聞きします。


 テドロス氏個人のことについてはわかりませんが、WHOとしては中国を敵に回すことはできません。というのは、いまや分担金は世界第2位、感染症に対する自発的な拠出金も中国から多額を受け取っています。敵に回すと資金的な協力がストップしてしまう恐れがあるのです。


 これは国連本部にも当てはまりますが、トップが一期目に気をつけるべきことは常任理事国の五大国を怒らせないようにすること。なぜならトップ人事の拒否権を持つ五大国は、二期目の続投の可否を決める立場にあるからです。実際、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長(1992~96年)はアメリカに二期目を阻止されました。


 WHOのトップは執行理事会のメンバーが選ぶため、五大国の拒否権はありません。ですが、中国を怒らせて益するところはない。テドロス氏と事務局長選挙を争って敗れたイギリスのデビッド・ナバロ氏も、「テドロスはよくやっている。中国を公の場で批判しても何の得にもならない」と語っていました。


 WHOの事務局長選挙は、熾烈な争いです。これまでは在外公館を使って票を獲得するのが巧みな日本や韓国がトップの座を射止めてきましたが、いまや中国が経済的に支援しているアフリカの票を集めることは容易で、有利な立場にあります。


 また、WHOのトップを補佐する事務局長補(Assistant Director-General)が10人ほどいて、その中に中国人が1人いますから、WHOは中国から監視されていると言ってもいいでしょうね。


――いま国際機関において、中国はどのような存在感を示していますか。


 中国は現在、マルチ(多国間)の国際体制から離脱しようとしているわけではなく、むしろ逆にアメリカに代わってリーダー役を買って出ています。WTOが典型です。トランプ政権が自国第一の姿勢をとっていることをこれ幸いとしているのでしょう。また、中国にとって学びの機会が多い機関には、積極的に参加しています。こちらはOECDが典型で、税制、金融政策の蓄積は中国にとって有益です。


 さらに各所で言われているように、中国はアメリカや西側諸国の手が届かないところで国際機関に対する影響力を高めているのです。現在、FAO(国連食糧農業機関)、UNIDO(国連工業開発機関)、ICAO(国際民間航空機関)、ITU(国際電気通信連合)で中国人がトップを占めています。これらは西側諸国が重視していない機関ですが、そこを狙って続々とトップを送り込んでいるのです。先日も『日本経済新聞』(二月十五日付)が「国連機関、紅色に染めるな」、『読売新聞』(2月23日付)も「国連機関トップ中国攻勢」と警鐘を鳴らしていたように、WIPO(世界知的所有権機関)のトップの座も狙っているようです。


 他方で、中国が邪魔されたくないテーマ、たとえば開発政策、アフリカに対する援助についてはOECDから相談をもちかけられても中国は応じません。つまり、中国は"良いとこ取り"なんです。


 目下、中国はWHOを重視していると思います。なぜなら習近平が自ら実績をアピールしても世界は信用しませんが、WHOが中国の対応を褒めれば公的なお墨付きを得られたことになるからです。もちろん中国のみならず、どの国であれ、自国の政策を正当化するために国際機関を利用しており、中国だけを批判するのは当たりませんが。


――WHOは台湾を年次総会から締め出してきましたが、今回、専門家会合への参加を認めましたね。


 中国は台湾が国際機関に参加することに対して神経をとがらせていますが、これは中台関係に限らず、しばしば国際機関が、先鋭化する対立の舞台になるケースがあります。
 たとえばUNESCO(国連教育科学文化機関)がパレスチナの加盟を2011年に認めた際には、アメリカが反発して拠出金をストップし、ついに17年にはイスラエルとともに脱退しました。そういう状況をふまえると、今回、台湾が専門家会合に参加するのは大きな出来事です。コロナウイルスには台湾も大きな影響を受けますし、WHOだって台湾から情報を得たいでしょうし。

WHOとテドロス事務局長の実力

――WHOの新型コロナウイルスへの対応をどのように評価しますか。  実は2014年にエボラ熱が流行した際、WHOは厳しく批判を受けたのですが、今回は迅速に動いていると思います。


 2014年の経緯について補足しておきましょう。西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネでエボラ熱が発生した際、WHOは上層部に報告が上がっていたにもかかわらず、現場に任せきりにしていたのです。死者だけで一万人を超え、WHOは初動の対応のまずさを当時のマーガレット・チャン事務局長が批判され、失敗を認めたのです。


 今回はそれを教訓にしたのか、初動の段階では評価は悪くなかったと思います。たとえば日本版『ニューズウィーク』(1月28日号)では「中国の肺炎対策は(今のところ)合格点」と題した記事を載せています(ダニエル・ルーシー、アニー・スパロウ著)。


――WHOは1月22~23日の緊急委員会で見送った「国際的な公衆衛生上の緊急事態」の宣言を30日に行いましたが、発令が遅かったという批判がありますね。


 1月30日のテドロス氏の記者会見を私は何度もユーチューブで見返しましたが、一言で言うとひどい会見です。事実を伝えているのではなく、「中国は称賛されるべきだ。中国の取った迅速な措置は国際的なスタンダードになるべき模範的なものだ」などと中国を褒めそやしているからです。あの記者会見に対しては、なぜこれほどまで中国寄りなのか、と欧米や日本のジャーナリズムで批判が巻き起こりました。


 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を務める尾身茂元WHO西太平洋事務局長も「テドロス・アダノム事務局長は中国をよくやっていると称賛したが、それに加えて『ただし武漢の対応は遅すぎた。残念だった』と言うべきだった」(2月13日の日本記者クラブでの会見)と指摘したように、武漢の初動対応の遅れが世界にコロナウイルスを広める原因となったにもかかわらず、武漢当局の対応についてテドロス氏はいっさい言及していませんでした。


 この頃、中国について「武漢に情報があったにもかかわらず抑えてしまった」と報じた英国誌『エコノミスト』(2月1日付)のように、武漢の官僚を批判する声は高まっていました。


 記者会見のもう一つの問題点は、中国への「渡航や貿易の制限は推奨しない」と言明したことです。これが「中国はうまくやっている。感染は封じ込められるだろう」という間違った印象を与え、世論をミスリードしてしまった。


 さらに、WHOのテクニカル・エージェントとしての信頼を損ねてしまったと思います。


 国際機関でメディアトレーニングを何度か受けた私の経験から評価すると、テドロス氏は十分なメディアトレーニングを受けていないようです。まず会見前に知り合いの記者と軽口をたたいていましたが、これでは真剣度が伝わりません。そしてテクニカルな話題と、中国の対応についての印象を一緒くたにしてしまったことが大きな問題です。


 今回のように世界が注目する事態では、本来、報道担当官や局長にテクニカルな面を説明させる。なにしろWHOのプロフェッショナル職員のほとんどが公衆衛生の博士号を持っているのですから。専門性こそがWHOの強みのはずです。そのうえで、後で機会があれば事務局長が出てくればよかった。


 概してトップはテクニカルな面を熟知していないものです。テドロス氏も医師ではなく、エチオピアで保健大臣、外務大臣を歴任した人であり、政治的な判断はできても、コロナウイルスについて適切に説明できる専門性においては、プロフェッショナル職員にはかないません。 「悪魔は細部に宿る」と言います。細部になればなるほど悪魔が出てくる。トップの発言は訂正できず、影響力は甚大と知るべきです。


 ただし、今回WHO事務局長が記者会見に何度も登場している理由として考えられるのは、先述した2014年の教訓をふまえてのことと思われます。マーガレット・チャン前事務局長は一部の記者しか相手にしないと批判を浴びていたのです。


 繰り返しますが、WHOの対応は2014年に比べれば評価できるものの、しかしやはり、会見はテクニカルな情報に止めるべきでした。

日本よ、国際機関のトップを狙え

――日本に話題を転じますが、今回の政府の対応をどう評価しますか。


 アメリカが横浜港に停泊したクルーズ船の自国民を救出したニュースは、BBCがトップで報じました。日本への関心が高まっているのに国際的に情報を発信しないと、推測記事が出て「日本はウイルスが蔓延している」などと風評が広がる恐れがあります。被害を防ぐため、データにもとづいた正確な情報─重症患者に病院がどう対応しているのか、政府がどのような手を打っているのか─を伝えるべきです。


 私たちフォーリン・プレスセンターも海外メディア向けに、専門家による記者会見の場を設けていますが、外務省も厚労省も積極的に透明性を確保していく必要があるでしょうね。


――著書『国際機関で見た「世界のエリート」の正体』で赤阪さんは、国際機関で働く日本人が少ないことが国益を損ねていると力説していました。WHOの内部で、日本の立場を説明できているのでしょうか。


 WHOには現在、59名の日本人が在籍しています。そのうちいわゆるキャリアのプロフェッショナル職員が49名、そのうち4分の1ほどが厚労省からの出向組です。
 幹部には事務局長補に、厚労省出身の山本尚子氏が就いていますが、感染症対策の担当ではありません。


 こういう時に幹部に日本人がいるのといないのとでは、全然違います。たとえば福島第一原子力発電所の事故の際、ちょうど天野之弥氏がIAEA(国際原子力機関)事務局長(2009~19年)でしたから、日本はずいぶん彼を頼りにしました。また、緒方貞子氏が国連難民高等弁務官(UNHCR、1990~2000年)に就任した際、日本は予算を付けて難民対策に取り組んでいる姿勢を、緒方さんの顔を通じて印象づけることに成功しました。


 私が国連で直接仕えた韓国の潘基文事務総長(2007~16年)は自国寄りだと批判されましたが、当時の李明博大統領と緊密に連絡を取り合ったり、スピーチで韓国を小ネタに使ったりして、自国のイメージ向上に貢献していました。


 国際公務員、なかんずくそのトップが出身国に多大な利益を及ぼしていることは疑う余地がありません。


 ところが、他国に比べて、日本は、国際公務員を自国の国益増進のために活用するという戦略をあまり持ち合わせていないのです。


 残念なことに、いま国際機関、あるいは国連の計画・基金にも日本人のトップがいません。かつては天野氏、緒方氏のほかにも松浦晃一郎氏がUNESCO事務局長(1999~2009年)、内海善雄氏がITU事務総局長(1999~2007年)と、並び立っていましたが、ここ十数年ほどは誰もいなくなってしまった。


 人材がいないわけではありません。先ほどの山本尚子氏や、国連本部の中満泉氏は有望です。ところが、中満氏が軍縮担当の事務次長を務めているのに対して、政務関係はアメリカ、PKOはフランス、人道支援はイギリスが握って手放さないのです。アメリカはメリットが大きいWBG(世界銀行)、UNICEF(国連児童基金)、WFP(国連世界食糧計画)においても、トップの座を明け渡しません。


 この状況を考えると、日本がWHOのトップを独占して何が悪いというのでしょう。中嶋元事務局長に続き、WHOのトップを狙うべきだと思います。国際機関のトップ人事は、総理官邸に司令部を置いて取り組むべき課題ではないでしょうか。



(『中央公論』2020年4月号より)

永田町政態学

 立憲民主党の枝野代表が昨年12月に呼びかけた国民民主党との合流構想が頓挫した。


 まだ正月気分も抜けきらない1月9日夜、枝野氏は国民の玉木代表を東京都内のホテルの中国料理店に招いた。代表同士の直接交渉で、行き詰まっていた合流協議を動かそうと、看板メニューの北京ダックをつまみながら4時間も話し込んだ。しかし、立民による吸収合併を説く枝野氏に対し、玉木氏は党名変更などを求め、折り合えなかった。 「合流方式や党名という根幹部分について党首がガチンコでやりあうなんて稚拙すぎる。結局、残ったのは徒労感とバラバラ感だけ」と立民関係者は嘆く。


 翌10日の正式な党首会談で、玉木氏は協議を白紙に戻すことを提案した。枝野氏らが約3時間もかかって説得したが、結局、物別れに終わった。


 党の合流という重い課題をめぐって話し合いを重ねた2人だが、信頼関係を築くことはできなかったようだ。当選9回の枝野氏は当初から周囲に「玉木君がいかに覚悟を決めるかだ」と話し、先輩風を吹かせていた。当選4回の玉木氏が面白いはずはない。


 10日の党首会談についても双方の言い分は食い違う。枝野氏周辺は「玉木氏が唐突に打ち切りを持ち出した」と解説するのに対し、玉木氏は「合意まではしない約束だったのに、いきなり『今ここで決断しろ』と迫られたので『なら打ち切りだ』となった」と周囲に語る。


 21日に合流の先送りが正式に決まると、立民幹部は、「決断できないリーダーの典型だ」「『玉木おろし』が起きるぞ」などと玉木氏を非難した。だが、国民内で玉木氏を代表から引きずり下ろそうとする動きはみえてこない。安倍首相主催の「桜を見る会」をめぐる公私混同疑惑や新型コロナウイルスの感染拡大で衆院解散・総選挙が遠のいたとみられるからだ。


 両党が合流を目指した背景には、次期衆院選をめぐる双方の「下心」があった。選挙資金不足に悩む立民は、旧民進党から巨額の資産を引き継いだ国民のカネが欲しい。一方、選挙基盤の弱い国民の衆院議員は、党の支持率が比較的高い立民に入って当選確率を少しでも上げたい─。一時は首相が早期の解散・総選挙を仕掛けてくるという観測もあり、両党ともに合流した方がプラスという見方が強かった。ところが、肝心の衆院選が遠のき、推進力は失われた。


 国民内では、合流に否定的だった参院議員を中心に、「対等な立場をよく守った」と玉木氏をたたえる声も上がる。


 立民幹部が玉木氏をことさらに非難するのには、批判の矛先を枝野氏から逸らす思惑もうかがえる。枝野氏は結党以来、「永田町の合従連衡にはくみしない」と野党再編を否定してきたが、昨夏の参院選が振るわず軌道修正した。「変節」してまで踏み切った合流協議で失敗した傷は浅くない。


 実際、2月6日に開かれた立民の両院議員懇談会では、報道陣の退出後、複数の議員から「合流協議の経過が分からなかった」「ボトムアップの政治を目指すのに、党の運営が全くボトムアップじゃない」と執行部批判が相次いだ。立民は、結党を主導した枝野氏に大きな権限が集まり、福山幹事長や安住淳国会対策委員長らごく一握りの幹部が党運営を差配している。ベテランの一人は「鬱憤が噴き出したのだろう」と語る。


 れいわ新選組の山本代表への対応をめぐっても、枝野氏への不満が高まっている。山本氏は共闘の条件に「消費税率5%」を挙げるが、枝野氏は消極的だ。減税で合意できない場合、山本氏は独自候補を100人規模で擁立する構えで、立民の中堅若手は「れいわに票を奪われる」と戦々恐々とする。


 合流構想は頓挫し、野党の「多弱」状態に変化をもたらさなかった。だが、その余波は立民内部でじわじわと広がっている。(悟)


(『中央公論』2020年4月号より)

難問に直面する英国の心強い存在

 今年1月31日、英国による欧州連合(EU)からの離脱、いわゆる「ブレグジット」が正式に完了した。2016年6月23日に行われた国民投票により、僅差ながらもEU離脱が決まり、その後のEUとの交渉で離脱期限は2019年3月29日までと定められた。ところが英国議会でこの離脱協定に関わる提案がことごとく否決され、ついにはテリーザ・メイ政権の退陣にまで事は及んだ。


 2019年12月の総選挙で、ボリス・ジョンソン首相率いる保守党が365議席(全議席は650)を獲得して過半数を占め、ついに離脱が実現した。とはいえ、英国にとっての正念場はこれからであろう。英領北アイルランドとアイルランド共和国との国境管理の問題(バックストップ)に始まり、EU加盟諸国との関税率の決定、エネルギーや漁業権をめぐる問題、さらにはこれまでアメリカや日本などにとって金融都市ロンドン(シティ)が占めてきたEUとの媒介役としての立場の変化など、問題は山積である。


 そして英国とEUという対外的な問題に加え、2016年の国民投票をめぐって、英国内にさまざまな異論が噴出した結果、「連合王国」の存続問題まで抱えている。


 こうした幾多の難問に直面する英国にとって心強い存在となるのが、今年在位68年を迎えたエリザベス女王を筆頭とする王室なのである。「君臨すれども、統治せず」を基本とするはずの、21世紀の立憲君主がなぜ心強い存在なのか。2017年から現在に至るまでの、世界を股にかけた英国王室の動向について、ここでは検討してみたい。

ブレグジットと「王室総動員令」

 2017年3月に英国とEUとの間で、今後2年以内の離脱を定めた協定の締結交渉が大詰めを迎えると、メイ首相はすぐさまバッキンガム宮殿に向かった。離脱までの2年間でEUの主要加盟国に王族を送り込んでほしいとエリザベス女王に要請するためである。女王も王族たちもこの依頼を快諾した。


 これから英国が離脱を円滑に進めていくためには、フランス大統領やドイツ首相など、各国の首脳たちと直接交渉を進めていかなければならない。とはいえいくら英国の高官や外交官だからといって、首脳たちがおいそれと会ってくれるわけではない。しかし相手が女王陛下の子や孫たちともなれば話は別である。


 2017年3月に、まず先陣を切ったのは英国王室で一番の「人気者」ウィリアム王子とキャサリン妃の2人である。オランド大統領(当時)の待つパリに飛んだ2人は現地で大歓迎を受けた。次いで父のチャールズ皇太子とカミラ妃も、3~4月にはイタリア、ルーマニア、オーストリアの各国を訪れた。


 チャールズの次男ヘンリ王子も、2018年5月にアメリカの女優メーガン・マークルと「結婚式」を挙げて世界中から注目を集めたわずか2ヵ月後には、アイルランドへと旅立った。先にも記したとおり、北アイルランドを有する英国がEUから離脱するとなると、今までのようにヒト・モノ・カネがアイルランドから自由に入り込むのは難しくなる。だからといって国境線に巨大な壁を建設するわけにもいくまい。今回の離脱交渉で英国との間に難問を抱えるアイルランドへ「人気者」の2人が向かえば、大統領から市民に至るまで大歓迎である。もちろんお2人には政府高官や外交官たちが随行し、相手国の高官や外交官と粘り強い交渉をおこなうことになる。


 こうした政府や外交官による交渉を「ハードの政治外交」と位置づけるならば、王室が担うのは「ソフトの政治外交」ということになろう。実際に国家間で条約や協定などを結ぶのはハードの仕事であるが、ハードとハードというのはとかくぶつかりやすい。そこで役立つのがソフトの存在である。現実の政治外交には直接的な「権力(パワー)」を及ぼすことはできないかもしれないが、両国間の話し合いの場を設ける際に「影響力(インフルエンス)」を与えるソフトの存在が介するだけで、交渉の雰囲気は大きく変わるのだ。


 2017~18年にかけて女王の子どもや孫たちが総動員でEU加盟国を軒並み回っている。それはついに「曽孫」の世代にまで及んだ。2017年夏には、EUの大黒柱ドイツとポーランドをウィリアム王子とキャサリン妃が歴訪したが、お2人の傍らには3歳のジョージ王子と2歳のシャーロット王女の姿もあった。当然ながらご一家は各地で歓待を受け、ご用繁多のメルケル独首相まで出迎えに現れた。それはまた英国の「王室外交」が、幼い年齢から王族たちの身に染みこんでいることの表れでもあった。


 他方で、王室の支柱である女王陛下も負けてはいられない。すでに90を超えた女王は、外遊は子や孫たちに任せ、英国を国賓として訪れる首脳たちの接遇に努めた。2017年にはジブラルタル領有問題でこれまた問題山積のスペインからフェリペ六世国王夫妻が、18年には欧州経済共同体(EEC)時代からの原加盟国オランダからウィレム・アレクサンダー国王夫妻が相次いで訪英した。女王は両王に英国最高位のガーター勲章も授与し、「異例の」歓待ぶりを示したのである。


 こうして英国議会が離脱協定案をめぐりの論争を繰り返すのを尻目に、王室は政府がEU加盟国と個々に折衝を行う際に、積極的に協力を続けていたのだ。

コモンウェルスとのきずな

 現在の英国の貿易相手国としてアメリカ、中国に加え、ドイツを筆頭とするEU加盟国が上位を占めている。そのEUから離脱するともなれば、今後の英国経済はどうなるのか。


 かつて第二次世界大戦の英雄ウィンストン・チャーチルは、米ソ二大国の時代に突入した戦後国際政治のなかで英国が一定の影響力をふるえるとすれば、英国が歴史的に培ってきた「三つのサークル」の中央に位置できる利点にあると喝破した。それは大英帝国時代からの旧植民地や自治領などからなるコモンウェルス(英連邦)、二度の世界大戦でも同盟関係にあり同じ言語(英語)や文化など「特別な関係」で結ばれているアメリカ合衆国、そして地理的に位置するヨーロッパである。


 しかし、英国が欧州共同体(EC)に加盟した1970年代頃からは、政治・経済的な結びつきから考えると、コモンウェルスの比重は相対的に下がり、英国はアメリカとヨーロッパの間で揺れ動くことが多くなった。このためマーガレット・サッチャーやトニー・ブレアをはじめ、歴代の首相たちはコモンウェルスをあからさまに軽視したり、ほとんど関心を示さなかったりした。


 こうしたなかで英国とコモンウェルスとのきずなを保ち続けたのが、女王陛下を中核とする王室だった。1949年の発足当時は8ヵ国からなる小さな共同体だったものが、いまや53ヵ国からなり、人口でいえば地球の3分の1(約24億人)を占める巨大なネットワークを築いている。英国の国際的な地位が低下した1971年からは加盟国が輪番制でホストを務め、2年に一度ずつ開催されるコモンウェルス諸国首脳会議(CHOGM)により、共同体としての団結を強めている。この団結のおかげで、悪名高い南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)も廃止に追い込むことができたのだ。その陰にはコモンウェルスの首長としてのエリザベス女王の姿もあった。


 女王はこのCHOGMに毎回出席し、各国首脳と同じ時間ずつ個別に会見の場を設けている。彼女は事前に英国外務省から情報を得ており、英国を除いた52ヵ国の現状について驚くほどの知識を有している。このため首脳たちは毎回、女王陛下との謁見を楽しみにしており、時には英国政府には直接言えないような悩みも打ち明けているといわれる。


 即位直後から70年近くにわたりコモンウェルスの首長を務めてきた女王は、英国政府がコモンウェルスに重きを置かなくなってからも、このCHOGMや自身の記念行事(在位50年や60年など)を通じて各国を歴訪し、また王族たちを毎年派遣している。


 英国がEUから離脱し、加盟諸国と個々に条約や協定を結ぶとしても、今後の英国にとってコモンウェルス諸国との交易が重要性を増すのは明確であろう。2018年4月にはロンドンを舞台にCHOGMが開かれたが、このときは92歳を迎えるエリザベス女王の「後継首長」を誰にするかも首脳間で協議された。コモンウェルスの首長は世襲ではない。女王自身も彼女の即位当時の各国首脳たちの話し合いの結果、首長に選出されていた。ロンドンでの協議により、女王没後の首長としてチャールズ皇太子が満場一致で選ばれた。


 チャールズはすでに2013年にスリランカで行われたCHOGMの際に、高齢のため遠距離での会議には赴けなくなった女王の名代としてこれに出席し、見事に首長の代行を果たしていた。さらに今回のロンドンでのCHOGMでは、さすがに女王がすべての首脳たちと会見を果たすことはできないので、チャールズをはじめ、その息子のウィリアム、ヘンリ、妹のアン、そして弟のアンドリューといった具合にこれまた家族総動員で各国首脳たちと同じ時間ずつ会見を行い、彼ら王族たちは各国の現状をしっかりと把握した。


 2019年にも、9月にヘンリとメーガン(南アフリカ)、10月にウィリアムとキャサリン(パキスタン)、11月にチャールズとカミラ(ニュージーランド)といった具合に、英国王族によるコモンウェルス諸国歴訪の旅は続けられている。

連合王国の紐帯として

 ブレグジットが英国に与えた余波は対外的な問題に限ったことではない。さらに深刻なのが国内に「分断」の恐れが出てきたことである。


 2016年6月のEU離脱をめぐる国民投票では、英国全体で離脱派が52%、残留派が48%と僅差での離脱が決定したわけであるが、これは人口の大半を占めるイングランド(並びにウェールズ)の投票結果を受けての数字であった。人口的にはイングランドの10分の1に満たないスコットランド(約540万人)では、逆に離脱派が38%、残留派が62%と、EUへの残留を望んだ住民が圧倒的に多かったのである。


 スコットランドでは、ブレア政権による権限委譲政策の推進で1999年に独自議会が開設されて以来、英国からの独立を望むスコットランド国民党(SNP)が徐々に勢力を伸ばし、2011年にはついに単独過半数まで獲得して、党首のアレックス・サモンドが「首相」に就いた。それと同時に英国のデイヴィッド・キャメロン首相からも合意を取り付け、2014年9月に英国からの独立の是非を問う住民投票を実施した。


 結果は、英国への残留派(55%)が独立派(45%)を10ポイントも上回り、独立を果たすことはできなかった。責任を取って辞任したサモンドの後任には、女性初の首相であるニコラ・スタージョン(SNP)が選ばれた。彼女も筋金入りの独立派だ。そして2年後(2016年)に迎えたEU離脱をめぐる国民投票の結果に、スコットランドの住民の多くは納得がいかなかった。今やIT産業の拠点となっている同地域ではEUとの取引は不可欠である。さらに長年自分たちを「見下してきた」イングランドへの憎悪もあろう。


 スタージョン首相は2019年12月の総選挙の結果も受け(スコットランド選挙区ではSNPが全議席の8割近くを獲得)、20年1月末にEU離脱が正式に決まった後に再び住民投票で英国からの独立を問いかけたいと宣言している。ここでもし独立派が大勢を占めてしまったら、英国は分断されてしまうのか。


 ところが、独立派の急先鋒であるサモンドにしろスタージョンにしろ、万一独立が決まったとしても新生スコットランドは「共和国」ではなく、「王国」にするとも明言してきている。その君主にはもちろんエリザベス女王を「エリザベス一世(スコットランド史上にエリザベスという名の王は存在しなかったので)」として擁するつもりである。サモンドに言わせれば英国王室は「安定、伝統、継続」という特別な価値が付随する存在で、スコットランド独立派にとっても支柱となる存在なのである。


 エリザベス女王の母(クイーンマザー)はスコットランドの名門貴族の出身であり、女王にはスコットランドの血が半分流れているのだ。チャールズもスコットランドの高校で学び、ウィリアムとキャサリンに至ってはスコットランドの名門セント・アンドリューズ大学の卒業生である。そして彼ら英国王族は、イングランドやウェールズの爵位も有するが、彼らがスコットランドにいるときはロスシー公爵(チャールズ)、ストラザーン伯爵(ウィリアム)、ダンバートン伯爵(ヘンリ)という同地の爵位名で呼ばれている。


 このあたりが連合王国としての英国王室に特有の歴史に基づく慣習と言えようか。エリザベス女王は、1707年4月以前のようなイングランド王国とスコットランド王国とを「同君連合」で結ぶ紐帯になりうる。スコットランドもまさかイングランドと完全に袂を分かつことまでは考えていない。そのようなときに女王と王室は両国を結ぶ大切な媒介となるのである。同様のことは、やはりEU離脱をめぐる国民投票の際に残留派が多数を占めていた北アイルランド(56%)やジブラルタル(96%)にもあてはまるだろう。


 2020年1月に、ヘンリ王子とメーガン妃が突然王室から離れて活動することを発表したが、兄のウィリアム王子夫妻や皇太子夫妻などによって、今後も王室は「ソフト」の側面から英国を支えていくことになるだろう。


 これからが真の正念場を迎える英国の進路にとって、21世紀の現代では「時代遅れの代物」と考えられがちな、中世以来の王室こそが実は重要な役割を担いうるのではないだろうか。今後の英国の動向にさらに注目していきたい。


(『中央公論』2020年4月号より)

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◆君塚直隆(きみづかなおたか)

1967年東京都生まれ。立教大学文学部卒業、英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院博士後期課程修了。博士(史学)。専門はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』『ヨーロッパ近代史』、近著に『エリザベス女王』(中公新書)などがある。

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