2020年12月アーカイブ

「人間・東浩紀」と「法人・ゲンロン」

 『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』という本は、東浩紀さんも書いているように聞き手と構成を務めた僕の関心が強く反映されている。では、その関心とは何か。僕の関心は、一貫して「人間・東浩紀」と「法人・ゲンロン」に向いている。

 1984年に生まれ、ゼロ年代に学生時代を過ごした僕にとって、東さんは存在を知った時からスターの一人で、論壇の中でシーンを作り、小さな枠に留まらない活躍をしていた。掛け値無しに同時代の天才の一人だった。直接、会ったのはゲンロンが主催した第1回チェルノブイリツアー(2013年)だった。当時、毎日新聞の記者だった僕は取材も兼ねて――と言っても、すべて自費である――参加した。以降、他の仕事でも付き合いが始まるようになり、会社を離れ、いちノンフィクションの書き手となった今でも続いている。

 おそらく本書は、東さんの哲学に強い影響を受けて書き手を志したような人たちが聞き手を務めたとするならば、まったく違うものになったと思う。もしかしたら、もっとゲンロンの存在意義を強調するようなものになったのかもしれない。あるいは東さんの学術的な貢献を強調したものになったとも思うのだ。だが、結果的に僕の構成はそうならなかった。それは僕が取材をする者として東さんと向き合った結果である。

004★.JPG2014年11月17日。チェルノブイリ原発2 号機制御室。第2回ツアー。撮影=ゲンロン

原稿を書くときの東さんの「緊張」

 僕が東さんと取材で接する中で強く印象に残っているのは、とても些細なことが多い。その一つは、本書でも触れられている開沼博さんとの往復書簡に関係するものだ。この企画は、開沼さんが登壇したゲンロンカフェのイベント終了後、東さんや僕も交えて飲んでいるときに思いつきのように決まった。僕は翌日に企画書を作って、毎日新聞の論壇担当記者に事の経緯を説明し、企画を提案すると、あっという間に紙面とウェブでの展開にゴーサインが出た。

 僕が担当編集を務めることになり、往復書簡を東さんから始めるために、第一回の締め切りを設定し、メールで原稿を受け取った。原稿はほとんど直しを必要としないものであり、しかも新聞記事という厳しい字数制限がかかる紙幅のなかで、福島第一原発事故を思想的に問おうとする深みのあるものだった。

 新聞の原稿は難しい。字数を抑えるために端的に書こうとすれば深みを失い、丁寧に説明しようとすれば紙幅を超える。枠のなかにきちんと収めながら、より長い射程の思考を刻み込むというのは、誰にでもできることではない。

 すぐに感想と返事を書いた僕は、どうしても直接会って御礼を言いたくなった。ちょうど、ゲンロンカフェで東さんが登壇するイベントが締め切り直後に控えていた。僕はイベント後に壇上から降りてくる本人を捕まえて、「素晴らしい原稿でした。ありがとうございました」と話しかけた。

  東さんは心底ほっとしたという表情を浮かべ、「あれは難しかったんだけど、ちょっと緊張したんだ。君が気に入ってくれたのは本当に嬉しいよ」と言った。

 僕が驚いたのは、原稿に対するあまりにも真摯で、誠実な姿勢だ。「東浩紀」はもうビッグネームであり時評、批評、小説と、およそ同時代では誰も成し得ていないことを成し遂げていた。それにも関わらず、東さんは緊張しながら原稿を書いている。僕にはその小さな会話に、東さんの人間性が象徴されているように思えた。

「数」の論理とジャーナリズム

 僕が長く身を置いてきたジャーナリズムの世界でも顕著になってきたが、今、もてはやされるのはスタンスが明快で、数字が取れる記事だ。いくらページビュー競争はダメだと言っても、人間は数字や言葉が表示されるものに弱い。あらゆるものを指標化し、数を追求しようとする。そして、もてはやされることにも弱い。

 僕も含めて、たとえ記者であってもTwitterやFacebookで数字が取れて、しかも、そこに心地良い賞賛コメントがつけば、ますますそのスタンスを強めるし、同じ考えをもつ誰かに批判されないように原稿のトーンや言葉を選ぶようになる。その結果進んでいくのは、数の論理に強い影響を受けたニュースだ。目の前の原稿よりも、反応ばかりに「緊張」が向かってしまい、やがて目的の一番は「敵」を叩き、「味方」から嫌われないことへと変容していく。

 僕がこれではいけない、と思った時に手に取っていたのは東さんの文章だった。思い返せば、東さんはこうした要素がない。自分の哲学を追求し、自由に表現し、新しいものを読者に届けたいという思いが目的の一番にあり、絶対にブレない。自分が好きな本や雑誌というモノを作りたいという思いも絶対にブレない。クリエイションとビジネスは不可分なものとして結びついている。

 だから、どんなに小さな原稿でも手を抜くことはないし、どんな若輩者が編集にいても常に緊張しながら向き合うのだ。と、東さんの「緊張」を受け取った僕は勝手に解釈し、そんな姿勢に勝手に影響を受けてきた。

創業者の哲学は、「法人」の人格につながっている

 よって、僕のインタビューは東さんがなぜゲンロンを創業し、そしてゲンロンで起きた一つ一つの危機や出来事に対し、その場でなにを考え、どんな行動を取ってきたのか、その理由を深く聞くことに終始した。人間を知るということは、その人固有の哲学を聞く行為でもある。これは「法人」にも言えることだろう。創業者の哲学は、「法人」の人格や哲学にもつながっている。

 「東さん、また同じ失敗じゃないですか!」「もうちょっと詳しく、失敗で学んだことを教えてください」といった調子で、時にズケズケと、時に生意気な言葉も重ねながら、東さんが、そしてゲンロンがいかに哲学を実践してきたかを聞いていった。

『ゲンロン戦記』書影1トリミング.jpgのサムネイル画像

「失敗からこそ立ち上がる希望もある」

 インタビュー中、東さんは何度も「こんな失敗談で本になるのかなぁ」「また凡庸な結論なんだよ」と言っていた。その度に僕は「絶対に本になる」と返してきた。現実は、常にフィクションのように、あるいはうまく物語化に成功したノンフィクションのように綺麗には着地しない。

 しかしながら、現実は平凡なフィクション以上に生々しい何かを伝える。合理的な正解を求めることが、非合理な結末を迎え、さほど重大だと思っていなかった決定が、まったく予期せぬ結果を生み出すこともある。無駄だと思っていた何かが、ある時に別の出来事とぶつかり、思わぬダイナミズムを生み出すこともある。この本で記されているのは、現実のなかで繰り返し起きる逆説だ。

 きっと多くの人が経験してきたことが、ここに言語化されているはずだ。

 「哲学はあらゆる場所に宿ります。だから読者のみなさんの人生のなかにも宿っています」(本書より)

 東さんの誠実な語りは、きっと多くの人の哲学を引き出すだろう。僕はインタビューを重ねながら、こんなことも考えていた。希望は常に成功ばかりからは生まれない。逆説的だが、失敗から立ち上がる希望もある、と。

京大で「司令官」養成

川端 北海道大学教授だった西浦先生は新型コロナウイルス(以下、コロナ)感染症拡大を抑えるべく、厚生労働省に缶詰になって「クラスター対策班」で活躍。感染症理論疫学を駆使し、接触の8割を制限して感染拡大を抑えようと訴えたことから、「8割おじさん」として注目を集めました。「第一波」が収束して緊急事態宣言の解除を受け、西浦さんは東京から引き揚げましたが、その直後の八月、京都大学に移りましたね。この経緯をお聞かせいただけますか。

西浦 京大教授就任のお話をいただいたのはコロナ以前、昨年の初夏でした。北大で公衆衛生学修士が取得可能なコースを立ち上げ、医師や保健師、臨床検査技師など少数精鋭の感染症専門人材を得て五年ほど、北海道での育成モデルが軌道に乗り始めた時期でしたから、あまり移る気はなかった。しかしコロナの流行が起きてみて後から実感したことでもありますが、この分野でリーダーになる存在がいないことに気づき、質の高い次世代の専門家を育成しておく必要性を強く感じました。それができるのは今の日本では東大か京大しかない。期待していただいているのならやろうか、と。とはいえ、北大では春に医学部も修士課程も集中講義の責任を担っていたので、異動は八月に。春以降、東京の厚労省に詰めることになり、北大の講義はリモートになってしまったのですが。
 北大で学んでくれたメンバーのような、専門技術を持ちながら地域に根を張りベッドサイドで最善を尽くせる人材も必要ですが、それに加えてラボで司令官的な役割を果たせる人が全国で五~一〇人いると、感染症に対する日本の布陣は盤石になります。まずはそこを達成しようと、異動を決意したのです。
 現在、厚労省のリスク評価機関であるアドバイザリー・ボードにも参加しています。京大での立ち上げが忙しかったので、一部はリモート参加にさせてもらえて助かりましたね。

「解禁」イメージの罠

川端 七月にお話を伺った際には、七~九月に多少感染者数が増えるかもしれないが、問題は十月以降、交通の往来が通常に戻った時だとおっしゃっていました。第二波の印象はいかがですか。

西浦 人々の接触が戻れば流行が再び拡大に転じる、つまり第二波が到来することは予測していました。治療手段が次第に出来上がってきて、重症化した患者が死亡するのを防ぐことが可能になることや、高齢者の接触自粛により若年者中心の軽症者間で感染が起きていくことも、概ね予想通りです。
 ただ、接触の戻りがここまで早いとは思っていませんでした。これは日本の緩和政策が欧州各国より丸一ヵ月以上早かったことに帰するもので、結果として第二波は予想より、そして欧州各国よりも相当に早く到来しました。往来の再開による影響が出るのはこれからなので、最小限に抑える方法について研究をベースに必死に考えているところです。
 さまざまな制限が解除されると、皆さんは「あ、解禁されたんだ」と思い、一気に活動し始める。それがこの感染症の非常に興味深いところです。二月の接触率と七月の接触率は、相当に違う。感染者が急増し、休業要請や外出自粛が叫ばれている時には、人々の行動が明らかに抑制され、逆に「解禁」となると一気に増える。GoToキャンペーンも、七月には流行の明確な加速はさほど見られませんでしたが、十月に東京発着が加わったことで、事情が変わる可能性があります。現在、データを慎重に分析しています。

川端 未だに続くこの第二波は、新規感染者数こそ第一波よりずっと多いけれど、重症患者数や世間の危機感は、はるかに小さい。どう分析されていますか。

西浦 第二波では、致死率と重症化率が明確に低下しています。若年層の患者が増えたせいなのはもちろん、年齢別で検討しても減っている。第二波の重症化率は第一波の六~七割です。致死率はそのさらに三分の一まで下がっている。
 重症化率の低下は、主に診断バイアスの是正によるものだと思います。これまでは検査数を抑えるため、発病していても未受診や未検査のケースが多かった。きちんと診断されるようになったことで、軽症や無症状の感染者が診断されることが増えました。比較的早期からの治療も可能になった。致死率の低下は、副腎皮質ステロイド薬「デキサメタゾン」や抗ウイルス剤「レムデシベル」、抗血液凝固薬「ヘパリン」による治療が重症患者の治療法として確立してきた成果でしょう。適切に早期治療すれば、かなりの割合で救命できるようになったと伺っています。第一波で亡くなったような人の半数以上は、助かる可能性がある。多くの臨床現場で、論理的なオプションが総当たり的に試されるという状況からはひとまず脱したわけです。

川端 何もせず野ざらし状態であれば被害想定の数字のままだったけれど、現在では重症になった人も救える割合が高くなってきたのですね。

西浦 はい。「アビガン」の有効性は臨床研究としての実証はまだで、重症化を未然に防止するための治療法は、今のところ検討中の状況です。しかし、重症条件を満たした人の約三分の二は高度医療によって助かっていて、命を落とす割合は劇的に減っている。残りの三分の一がなぜ助からなかったのか─治療機会自体がなかったのか、治療が奏功しなかったのか─がわからないのですが、臨床現場のデータが出揃って分析されれば、治療の成果がより明確になるかもしれません。
 しかし、まだ手放しで喜べる状況ではありません。八十代以上の高齢患者の中に、重症患者の定義を満たさないまま亡くなっている方が相当な割合でいるのです。施設や病院内で感染し、積極的治療を受けずに看取られた人たちもいる。彼ら全員を治療しようとすると病院に負荷がかかりすぎ、過度な需要は医療崩壊のリスクにつながります。第一波の時ほど恐れる必要はありませんが、大規模流行を起こしても大丈夫というわけではない。

「夜の繁華街」をめぐる真実

川端 夜間の繁華街のようなハイリスクエリアの制御と市中感染の関係性について、現在の知見を伺えますか。

西浦 大阪では「五人以上の会食をやめてください」と知事が要請され、飲食店への営業自粛要請が出ると、その翌日に感染時刻ベースの実効再生産数が1を下回りました。東京でも同様の現象が見られた。新宿やミナミのような大規模歓楽街は、全人口に波及する流行のリザーバー(伝播が維持される機構)の役割を担っていることが明確になりつつあります。つまり、夜間の接待飲食業の方たちは感染や風評の被害者である一方で、人口全体にとっては感染源にもなり得る。当事者たちは被害者だと思っていますが、感染すれば社会の他の層に流行を拡大させる起源にもなってしまう、という難しい状態です。しかしこれまでの流行では、繁華街での流行が収まれば他の場での伝播も比較的収まったと言えます。コロナは、皆が密な場を避けている状況で最も接触の起きやすい場で伝播が止まれば、それ以上広がり続けるような感染症ではないのです。防ぎ得るのだから、対策をしよう。クラスター対策班が唱えてきたコンセプトが、実証されてきたと感じます。
 でもまだ問題はあります。一つは、じゃあどうするのか、ということ。夜間の接待飲食業の方たちが合意の上で営業自粛をして、十分な政府の補償とともに皆が納得するというオプションは現実的には難しそうです。また、抗原検査やPCR検査を集中的に受けてもらいたくても、お店側は感染者が出れば営業停止になるので、検査は絶対にしたくない。検査センターが設置される構想はありますが、実効力がありインセンティブも明確な制御戦略への道のりは険しいと思います。
 もう一つは、夜の繁華街ばかりが注目され、他の可能性が検討されていないという問題です。繁華街で伝播が起きたのは確かですが、日本での流行は、いきなり銀座や新宿で発生したわけではない。流行初期に伝播が起きた場は、例えばフィットネスクラブ、宴会、バスの中などでしたよね。伝播に関わった感染者の多くは高齢者でした。今そうした場で伝播が起きていないのは、ハイリスクを自覚した高齢者の多くが接触を避けているからだと思われます。彼らの接触が戻れば、繁華街のようにリザーバーとなるかもしれない。理論的には、夜の繁華街における流行制御は必要条件でこそあれ、十分条件かどうかはわかっていないのです。

川端 ごく普通の場所でクラスターが発生することってありますよね。例えば「昼カラ(昼カラオケ)」。昼間だし、普段からやっていることだしと、危機感を持っていなかった。

西浦 そうなんです。感染者が増えている中で(社会の感染リスクが高い中で)従来通りのような接触が起こると、あっという間に戻ってしまう。第一波の時、屋内空間に高齢者が集まり、窓を閉め切って食事や話し合いをした結果、クラスターが起きたことがありました。その関係者が「油断した」と真摯にコメントされていましたが、まさにそういうことなのです。密閉空間で密な接触があれば伝播するのは当然なのに、繁華街が大きく取り沙汰されたことで、この感染症の伝播の本質が見えなくなってはならないのです。

ワクチンの普及は春以降

川端 ワクチンの開発については、どんな状況でしょうか。

西浦 第Ⅱ相試験である程度の安全性が評価され、より多くの対象者を相手にした第Ⅲ相試験が始まっています。すでに言及されているように、この冬に間に合うのは極めてごく一部で、冬を越えたあたりから実際の接種が始まると考えています。
 接種の優先度については、新型コロナウイルス感染症対策分科会(医師などのメンバーが政府に助言してきた「専門家会議」が廃止された直後の七月、幅広い有識者を集めて設置。以下、分科会)が医療従事者と高齢者からと提言しました。国は新型インフルエンザの時の混乱を踏まえて、国民全体のコンセンサスを得たいと考えているようです。これは数理モデルでも分析可能な部分なので、研究者として私も検討してきたのですが、第一波以前と第一波後では、優先度の結果が違うんですよ。高齢者が覚悟を持って危険な接触を避けていて、感染が相当減ってきている。自粛の呼びかけ以前のデータだけ見れば、感染のしやすさに年齢差はなく、死亡リスクを勘案すると高齢者を優先させるべきという結果が出ますが、第二波のデータを使えば、伝播を止めるには若年者を優先すべきという結果が出得る。つまり、皆さんがリスクの高い場所を認識し、そこを避けることによって、伝播の動態自体が変わったのです。この結果には僕らも圧倒されました。コロナ感染対策における、コミュニケーションの重要性を痛感しました。

川端 ということは、今なら、重症化しやすいハイリスク集団、例えば高齢者よりも、流行のリザーバーになっている集団にワクチンを接種したほうが、全体のためにはよい結果が得られるということですか。

西浦 伝播を止めるための理論上はそうなりますが、それが最適な政策とは言えません。若年者の間で伝播が起きているからと、若者に接種しても、流行が完全に収まっていないうちに全年齢層で接触行動が戻れば、犠牲になるのはやっぱり高齢者なんです。巷では、自粛期間中の実効再生産数の推定値を使って集団免疫のを議論している方もいますが、その数値は集団免疫閾値の議論に有効ではない。流行対策が始まる前のまっさらな状態を基に必要な対策を分析しないと、接触が戻ってきた社会では免疫保持者が足りないということが起こり得るので、対応困難ということになりかねませんから。

一人ひとりの行動が伝播を左右する

川端 第一波が起きた時、西浦さんは恨まれる覚悟で「接触を八割削減」とまで唱え、そのおかげで日本はなんとか医療崩壊を防ぐことができた。これはすばらしい成果だと思いますが、世間では逆に「あそこまで必要だったの?」と言う人が出てきたし、第二波が思ったよりマイルドだったために気を抜く人もいた。そこでまた感染者数が増えると、「やっぱり気を抜いてはダメなんだな」と多くの人が実感した。この感染症の場合、こうした「人々の実感」が予防に大きく影響していたような気がします。

西浦 そうですね。皆さんのちょっとした行動変化が、ここまでダイナミックに感染状況に影響する感染症は珍しいです。一人の感染者あたりが生み出す二次感染者数のバラつきが広く、伝播が密な環境で起こることにもそれは表れていますよね。そういう場での伝播が起こり得る接触行動を取るのかどうか、が二次感染動態を大きく左右するということだと思います。トランプ米大統領の感染とホワイトハウス内のクラスター発生は、市中の制御と自身らの接触行動をそのまま映し出しているのでしょう。要人の感染も、市中の感染リスクに大きく依存すると考えています。

川端 日本でもまだニューヨークのように、至るところで感染が発生する状況は起き得るのでしょうか。

西浦 第一波の時の可能性と比較すると相当低いですが、一つの想定として考えています。ニューヨークでもそうだったと思いますが、伝播は屋内環境でかつ濃密な接触に集中して、二次感染が連発して起きていました。そういう場を削減すれば、防ぐことはできる。今、東京はくすぶっている状況で、ここから感染が広がっていく可能性はもちろんまだあると思います。皆さん気をつけてはいますが、カフェでコーヒーを飲んだ時に隣に大声で話す人がいるとか、知人にばったり会って一五分だけ室内で立ち話したとか。それぐらいの「隙」を突いたような場面で、伝播は起き得るようなのです。メリハリのある対策といっても、専門家でさえそういう隙はあると思います。
 欧米圏の人はハグやキスといった身体接触の習慣があるから伝播しやすいのではないかと思う方が多いのですが、それだけでしょうか。至近距離で顔を突き合わせて話すような文化の浸透度まで定量化しなければ、因果関係の実証は困難だと思います。

「ファクターX」はあるのか?

川端 徹底的な検査に基づく感染者の同定と社会全体の活動縮小以外の感染抑制要因、山中伸弥氏が言うところの「ファクターX」について、何かわかったことはあるでしょうか。

西浦 二つあります。一つは、一時期、毒力がマイルドなウイルスが存在していたということです。シンガポールやマレーシアで流行の初期に出回っていたウイルスで、ほとんど死者を出していなかった。シンガポールは死亡者の絶対数が著しく少なく、日本の致死率は一・五~二倍。それはウイルス自体の毒力が弱かったからだと考えられています。
 また、伝播のしやすさについても、エビデンスが出てきています。ウイルス遺伝子の変異プラスアルファの条件が揃うと、感染性の高いウイルスができ得ることが実験上わかってきた。このウイルスは、ちょっとした変異でその本質が変わり得るようなのです。
 こうした変異ウイルスが日本の流行に影響したかどうかはわかりません。医療崩壊を防げたこと、国民一人ひとりが接触を減らしたことで感染の連鎖が止まってきた─日本の状況の本質はそちらのほうにあると思います。今循環しているウイルスが弱毒化しているという明確な知見はありませんし、マイルドなウイルスも日本で出回ってはいないので、そこは考えないほうがいいでしょう。
 あと、BCGワクチンや細胞性免疫の関与なども一部判明していて、今後それらがより詳細に整理されてくると思います。

 

構成:高松夕佳

〔『中央公論』2020年12月号より抜粋〕

アメリカの政治で、副大統領ほど不思議な存在はない

手嶋  民主党のランニングメイト、カマラ・ハリス副大統領候補が、今度の選挙戦でどんな役割を果たしたか考えてみましょう。これまでの大統領選挙でも、副大統領候補に誰を選ぶかは大きな話題になってきました。しかし、副大統領候補の人選が大統領選挙の行方を決める決定打になったかと問われれば、答えは明らかに「ノー」でした。

佐藤  いうまでもありませんが、アメリカの副大統領は、あくまで大統領あってのものですからね。

手嶋 ただ、時の大統領候補が、冴えない副大統領候補やスキャンダラスな副大統領を選んでしまった場合は、この経験則は当てはまりません。近くは第41代、つまりパパ・ブッシュ大統領のケースです。すでにこの名前は忘れ去られて久しいのですが、ダン・クェイル副大統領がそうです。再選の足を明らかに引っぱった。ニクソン大統領も副大統領の人選を誤り、途中で更迭を余儀なくされています。

佐藤  副大統領が政権で大きな影響力を振るったケースとしては、チェイニー副大統領がいます。ただ、このケースも選挙戦そのものの行方を決めたわけではありませんでしたね。

手嶋  アメリカの政治で、副大統領ほど不思議な存在はない。歴代の政権をホワイトハウスで取材した経験からいって、つくづくそう思います。大統領の身に万一のことがあれば、直ちに跡を継ぎ、平時には上院の議長も務めます。上院議員の賛否が同数となれば、副大統領の一票が法案の成否を決める。ホワイトハウスとは別にマサチューセッツ通りに広大な副大統領公邸を構え、ワシントン政界に絶大な影響力を誇っているように見える。ただ、現実の政治でどれほどの影響力を振るうことができるか。そのすべては、時の大統領といかなる関係を築きあげているか、その一点にかかっているのです。まさしくその名の通り「大統領制」なのです。

佐藤  その点では私が見てきたクレムリンも同じですね。首相は確かにいますが、メディアから「皇帝」と呼ばれるプーチン大統領が、最終決断は下してきました。ただし、外から見えているほどには、独裁的ではありませんよ。様々な利益集団のバランスの上に立って、主要なステークホルダーの意向を慎重に見極めて、舵取りをするタイプといっていい。

手嶋  キューバにソ連製の核ミサイルが密かに持ち込まれ、危機の13日間の幕があがった時のことでした。ケネディ大統領は、ホワイトハウスにEXCOMM緊急執行委員会を招集しました。殺気立つ空気のなか、補佐官のひとりが「あっ、副大統領に声をかけ忘れていた」と気づき、慌てて連絡したという。この有名なエピソードは、ケネディ政権に在って副大統領がいかに軽い存在だったかを物語っています。この人こそ、ダラスで暗殺されたケネディに代わって大統領となったリンドン・ジョンソンです。

 豊富な議員歴をもつジョー・バイデン氏は、ホワイトハウスにあって「忘れられた副大統領」を幾人も見てきたのでしょう。バラク・オバマ氏から副大統領のポストを打診された時には「すべての重要会議に招かれるなら」とこれを条件に受諾しています。

 民主党のバイデン大統領候補は、副大統領候補にカマラ・ハリス上院議員(55歳)を選んだのですが、これまでの副大統領候補とは重みがまったく異なっていました。その理由は三つです。まず、第一は、ホワイトハウスに入るバイデン氏が大統領になれば78歳という史上最高齢であり、任期半ばで大統領職を引き継ぐ可能性がある。第二は、バイデン氏の後継にはハリス氏が最有力でしょう。そして第三は、いま挙げた二つの理由から、現職大統領を凌ぐような役割を演じざるを得ないはずです。

「蓮の女」は大輪の花を咲かせることができるか

佐藤  カマラ・ハリス副大統領は、現時点では、アメリカ初の女性大統領に最も近い地点に立っていると言っていいですね。でも、その前途には、多くの試練が待ち構えていると思います。彼女は、史上初めての非白人系の副大統領です。小さな時に両親が離婚していますが、父親はジャマイカからの移民で、スタンフォード大学の経済学者。母親はインドから来た、タミル系の医学研究者です。

手嶋  いま佐藤さんは正確に「非白人系の」と表現しましたね。ハリス副大統領自身は、自らをアメリカン、つまりアメリカ系市民と名乗っています。「はじめての女性黒人副大統領」と呼んでいるメディアもありますが正確ではありません。ここはアメリカという国の本質にかかわる大切なところです。

佐藤  アメリカ合衆国は、「白人の移民」と「奴隷としてやってきた黒人」からなる国だと説明されます。黒人が白人の警察官によって死亡させられ、全米を揺るがした事件も、まさしく、こうしたアメリカという国の成り立ちに源を発しています。

手嶋  バラク・オバマ大統領は、肌の色は黒いのですが、奴隷としてアメリカ大陸に売られてきた黒人にルーツはもっていません。父親はケニアから留学生としてやってきたいわばエリートでした。ですから、移民の系譜に連なっています。オバマ大統領は、ハーバード大学のロースクールを卒業した後、シカゴの黒人の最貧地帯に社会運動家として赴き、後天的に「黒人になった」と自ら言っているのは、そうしたファミリー・ヒストリーのゆえです。

佐藤  カマラ・ハリス副大統領の場合も、奴隷としてアメリカにやってきた黒人の子孫ではない。オバマ・ファミリーと同様に知的な家庭に生まれた「移民」の系譜に属しているといっていい。人種問題で大きく揺れている超大国アメリカはいま真っ二つに切り裂かれています。バイデン大統領がハリス氏を副大統領候補に選んだ時「この国、女の子たち、特に黒人やヒスパニックの子は、今朝起きたらまったく違う自分になったように見えただろう」と述べたのは印象的でした。彼女は、まさしく人種のサラダボウルといわれる二十一世紀のアメリカを体現するような存在です。この国を一つにまとめあげる潜在力があるはずです。しかし、それは、政策策定の力などではなく、人々を惹きつけてやまない人間力が備わっているか否かにかかっています。

手嶋  ロナルド・レーガン大統領という人が、現代アメリカを代表する歴史家たちから「二十世紀のもっともすぐれた大統領」のひとりと認められているのも、そうしたアメリカ国民を一つにまとめあげた人間的魅力にありました。

佐藤  「蓮の女」というサンスクリット語の名をもつカマラが、トランプ大統領によって引き裂かれてしまったアメリカを再び一つにまとめあげ、大輪の花を咲かせることができるか。本書のテーマである「米中対立」の行方も左右することになるでしょう。

手嶋  その通りです。レーガン大統領は、アメリカのデモクラシーに揺るぎない自信を持ち続けた人で、その信念のゆえに、あの冷たい戦争を終わらせる推進役になったのですから。

Q1:そもそも種苗法とはどのような法律でしょうか。

竹下:種苗法は、作物の新品種を保護すること、そして品種開発力を向上させることによって、日本の農林水産業を発展させるための法律です。言い換えるなら、農業の発展に最も貢献してきた発明とも言える、「丈夫でたくさん収穫できておいしい品種」の権利を国が保護することで、世の中に役立つ新品種がつぎつぎと生み出される環境を整えようとする法律です。

 種苗法によって、新品種を育成した者が希望し、一定の要件を満たせば、品種登録されて育成者権が与えられます。育成者権とは知的財産権の一種で、その発明の権利を発明者が一定期間独占できる権利です。特許権や著作権を思い浮かべてもらえれば、分かりやすいかもしれません。

Q2:2020年12月2日に成立した改正では、どのような点が大きく変わったのでしょうか。

竹下:変わった点は大きくふたつあります。

 ひとつ目は、農作物の生産者(以下、農家と表記)が登録品種を自家増殖する際に、育成者の許諾が必要になった点です。自家増殖とは「自分で苗や種子を増やすこと」を意味します。これまでも、自家増殖によって増やした苗や種子を販売することは禁じられていましたが、そこから収穫された果物や野菜や穀物などには育成者権が及ばず、別の契約で縛られない限り、農家が自由に増やして販売することができました。この部分が、特許権や著作権と同じように、発明者の許諾が必要とされるように変わりました。

 ふたつ目は、発明者が登録品種の栽培地域を制限できるようになった点です。これによって、育成者が指定した地域外(国や県など)に登録品種を持ち出す行為が、育成者権の侵害にあたることになりました。

Q3:今回の改正案には反対の声も大きく、通常国会で成立が見送られた経緯があります。どのような点が問題視されたのでしょうか。

竹下:農家による自家増殖を"許諾制"とする意味についての説明が不十分だったために、農家の経営を圧迫することにつながると批判されたのです。また、法外な許諾料を請求されるようになる可能性を指摘する声も多く上がりました。さらに、育成者権が及ばない在来種を含めた一般品種の自家増殖にまで許諾が必要になり、許諾料が請求されてしまうという誤解が広がったことも、批判の声が大きくなった原因となりました。

 許諾が必要になるのは、あくまでも品種登録された登録品種だけですし、登録品種にしても特許権や著作権同様に、育成者権が切れた後であれば誰もが自由に増やし販売できるようになります。したがって一般品種の数は毎年増えていくのです。いっぽう、法外な許諾料を請求される可能性は確かにゼロではありません。ただ、許諾料が高すぎればその品種は少ししか生産されないでしょうし、そうなると結果的に育成者は許諾料をあまり得られないことになりますから、適正な価格に落ち着くと考えられます。国や県などの公的機関が育成者であれば、税金で育成された品種ですし、なおさら許諾料を高く設定するのは難しいでしょう。

 こうした批判に乗じるかたちで、種苗法とは直接関係のない農業にまつわる様々な問題が一緒くたに議論されるようになってしまい、混乱が広がったという面もあるように感じます。

Q4:農家への悪影響はないでしょうか。

竹下:心配されているような悪影響はあまり考えられません。プラス材料としては、改正種苗法によって、少なくとも登録品種については今よりも需要と供給のバランスを取りやすくなるという点が挙げられると思います。たとえば現在、葉物類の価格が暴落していますけれども、これは消費者にとってはうれしい反面、農家にとっては死活問題であり、国内の食料自給力をさらに低下させることにもつながりかねませんよね。需要と供給がバランスすれば、農家も市場価格の暴落を恐れずに安心して栽培できます。自家増殖が許諾制に変わることは、農家の経営を安定させる効果も期待できるのです。

Q5:消費者として、私たちに何か影響がおよぶことはあるでしょうか。

竹下:消費者が直接感じる影響はあまりありません。特に短期的には何も感じられないでしょう。中長期的には、安くおいしい国産の農作物が増えることにつながると考えられますが、比較対象がありませんから、実感するのは難しいでしょうね。もし種苗法を改正しないままでいた場合と比べることができれば、日本で育成された優れた品種が世の中に出てくる量が増え、スピードも速まったことがわかるはずです。

Q6:現場で育種にかかわる立場としては、どう見ていますか。

竹下:種苗法改正に対してこれだけ世の中の関心が集まったことには、うれしい気持ちしかありません。やっと注目されたか、という感じです。その一方で、農作物の品種改良の意義については、あまり理解が進まなかったとも感じています。現場をよく知る者としては、当事者からの情報発信が不足していると痛感しました。

 残念だったのは、登録品種の海外流出ばかりが注目されてしまい、種苗法改正の本来の目的である日本の農林水産業を発展させるための品種開発力向上といった観点で議論が深まらなかったことです。どんな開発行為もそうですが、競争に勝ち続けるためには、攻めである開発力と守りである権利保護の両面のバランスが重要なのです。

Q7:「海外流出」という言葉が出ましたが、種苗法を改正すると防ぐことができるでしょうか。

竹下:すべてを防ぐというのは難しいと思います。海外での不正増殖を防ぐためには、所定の期間内に、育成者権を守りたい国で品種登録の出願をするしかありません。ただ、海外流出を減らす効果は期待できます。これまでは、育成者権のある登録品種といえども、誰かがそれを国外に持ち出すことを防ぐ術は何もなかったのです。改正種苗法によって、育成者が指定する地域外への持ち出しに対する罰則が定められ、誰が栽培しているかを把握できるようになるので、ある程度は歯止めをかけられると思います。

Q8:日本経済にメリット・デメリットはありますか。

竹下:あくまで一部改正なので、それほど大きなインパクトがあるとは想像しにくいです。考えられるとすれば、下記のシナリオでしょうか。

《海外市場》

・登録品種である果実・野菜などの日本からの輸出が進む

・海外で品種登録することで海外からも許諾料を得ることができる

《国内市場》

・海外で不正増殖された果樹や野菜の輸入を食い止められる → 輸入された登録品種による国内の市場価格への影響を防げる

・農家が品種改良に取り組みやすくなるため、日本全体の品種開発力が高まり、多様な品種が生み出されるようになる → 地域特産品としての付加価値を高めることができ、地域経済の活性化と農業振興につながる

Q9:今後の論点としては何が考えられるでしょうか。

竹下:私たちが注意すべきはふたつです。ひとつは、登録品種の自家増殖が許諾制となることで、事務手続きに手間や余計な費用が多くかかるような仕組みにならないか。もうひとつは、公的機関がほぼ独占していて民間企業の参入が難しい作物について、新品種の開発のための許諾料が高くならないか。これらの懸念については、付帯決議に明記されています。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Futai/nousuiF4A44FC7BFB5FC5249258623002318C6.htm

Q10今後の日本における農業の課題は何でしょう。

竹下:日本の農業に問題が山積していることは、多くの人が感じている通りです。これはこれで、ひとつずつ解決していかなければなりません。

 種苗法や品種改良にかかわる部分で申し上げれば、農作物の適正価格をどのようにしたら維持できるのか、という課題があります。育成者だけではなく、農家も流通も消費者も、皆が満足する状況をどうやったら作れるのか、需要と供給のバランスをどうやって取るのかが重要です。

 繰り返しになりますが、日本の農業が発展してきたのは、過去から現在に至るまで、優れた新品種が次々と育成されてきたからこそ。付加価値の高い新品種によって、生産者は農作物をより高く売ったり、逆に生産コストを下げて利益を増やすことができるようになりました。消費者は消費者で、おいしい作物をいつでも食べることができるようになってきたわけです。

 消費者が安さだけを農作物の購入判断にしないように、業界をあげて、農作物の価値をもっとわかりやすく伝えていかなければなりません。農業問題に関心のある方には、ぜひ品種や品種改良の歴史についてもっと知っていただき、ご自身の言葉で情報発信していただきたいですね。

評者:難波功士

 高校時代にインベーダーゲームのブームに遭遇し、アーケードゲームで若干遊んだことはあるものの、家庭用のゲーム機にはいっさいさわらず、PCやスマホでのゲームにもすぐ飽きた......という人間にとって、ゲームマンガと聞いてまず思いつくのが、『ゲームセンターあらし』(すがやみつる著、小学館、全一七巻)。あとは、あれをゲームマンガと呼んでいいのか確信はもてないですが、桜玉吉『なげやり─なぁゲームをやろうじゃないか!!』(エンターブレイン、全二巻)。そして、ゲーム制作会社を舞台とする業界マンガとして楽しめた、うめ(小沢高広・妹尾朝子)『東京トイボックス』(講談社、全二巻)、『大東京トイボックス』(幻冬舎、全一〇巻)くらいのものでしょうか。

 そのトイボックスシリーズの登場人物や設定が引き継がれているということで、何の気なしに手を伸ばした『東京トイボクシーズ』ですが、ゲーム音痴の私でも一気にはまりました。今度はゲームを制作する側ではなく、ゲームのプレイヤーたちの物語です。格闘ゲームを中心にeスポーツが盛り上がっていて、世界規模の大会もあるらしいと、知識としては知っていましたが、それを実感できたのはこのマンガのおかげでした。なるほど、中学生男子のなりたい職業ランキングで、一位「YouTuberなどの動画投稿者」に続き、三位の「ゲームクリエイター」をおさえて、二位に「プロeスポーツプレイヤー」がランクインするわけです(二〇一九年、ソニー生命調べ)。

 主人公は十五歳の安曇野蓮(女性)。親との折り合いが悪いらしく、中学生の頃から海外でプロのプレイヤーとして収入を得ていた天才です。富山に住む蓮のもとに、中学卒業の間際、東京の私立白郷学園から高校にeスポーツ科を新設するので特待生としてきてほしいとの声がかかります。高校など行かなくてもゲームで食っていけると、当初は難色を示していた蓮ですが、マネージャーのように蓮の世話をやく女友達ソヨンの説得もあって、二人はともに上京してeスポーツ科の一期生となります。蓮の風貌は、「このマンガ、連載が五年早ければ平手友梨奈主演で映画化されただろうに」といった感じです(伝わる人にしか、伝わらないたとえですが)。要するに、男性優位のゲーマーたちの世界に現れた革命少女です。

 物語はeスポーツ科の同級生たちとの出会いや、白郷学園理事長などeスポーツをめぐる大人たちの思惑がからみあって進み始めます。ゲームの全国高校選手権への出場、謎のコーチやライバルの登場など、そのあたりはスポーツマンガの王道ですが、それぞれ魅力的な登場人物やディテールまで凝りに凝った設定によって、読者はぐいぐいとその世界に引き込まれていきます。

 ゲームをスポーツと呼ぶことに、まだまだ抵抗のある方も多いでしょうが、スポーツ雑誌『Number』が将棋を特集する時代です。動体視力や反射神経が問われるeスポーツの方が、ボードゲームよりはスポーツっぽいように思えます。氷上のチェスとも呼ばれるカーリングは、広くスポーツとして認められています。ならば、身体能力の限りを尽くしてゲーム内のキャラクターを操る格闘ゲームのプレイヤーも、アスリートを名乗っていいのでは。

 あとは教育関係者の一人として、学校にeスポーツ科ができる日も近いと感じました(いや、もうすでにあるかも)。高校の有名スポーツ選手たちが、早期に大学進学を決め、競技を続けることにはもう誰も驚きません。それがeスポーツに波及するのも、時間の問題でしょう。白郷学園は伝統校なのですが、進学実績がやや伸び悩んでいるところに、若い女性理事長がeスポーツ科という爆弾をしかけます。その理事長とタッグを組むのが、トイボックスシリーズではおなじみのソリダスワークス・仙水伊鶴と曲者ぞろい。

 まだまだ蓮たちの物語は始まったばかりですが、チームメイトの神崎真代(男性・美形)と蓮の仲も気になります。二人は果たしてプロeスポーツプレイヤーになれるのか。周囲の大人たちは、どのように変化していくのか。そして某県の「ゲームは一日一時間」の条例は......。

 eスポーツと東京トイボクシーズたちの未来を見守りたいものです。

(現在、二巻まで刊行)

 

〔『中央公論』2020年12月号より〕

─安倍前首相辞任の理由になった潰瘍性大腸炎を抱えつつ、東京から宮古島へ、いつ頃なぜ移住されたのですか。


 二〇一一年の東日本大震災の後です。元々行きたかった宮古島ですが、難病で東京の病院に通っていて、院内で製剤している薬を使っていました。だから病院を変えられず、鎖で繋がれた犬みたいに一生、病院に通える範囲にしか住めないなと。けれども震災が起きて、いつどこで死ぬかは分からないと改めて思い、無理矢理にでも行きたい所へ行こうと、強引に決めました。
 なぜ宮古島かと言えば、昔話がとても面白いからです。ロシアのニコライ・ネフスキーという、日本に来て日本人の女性と結婚し、柳田國男とも交流のあった人が、日本の古い物語は端っこに残っていると唱えて、アイヌと宮古島を現地で研究しています。著書もあって、宮古島がすごく面白いと言及されており、惹かれました。
 当初、通院のため三ヵ月に一度上京し、仕事もして、また宮古島に戻る往復生活をしました。ところがコロナ禍を機に、今は東京にいます。宮古島には感染症用の病床が三床しかなく、高齢者も多かった。コロナを持ち込んだら大変だと考えたからです。


─周囲にはどう接してほしいですか。


 分からないまま対応して下さい、ということですね。要するに、目の前の人には何か事情があるのかもしれない、言動が変だとしても、すぐ変だと思わずに、少しためらいを持って相手の言うことを聞いてほしいです。それと、よくNGワードみたいなことが言われますよね。うつ病だったら頑張れと言ってはいけないとか。その程度であればまだいいのですが、色々な病気や立場の人についてのNGを覚え始めたらきりがなく、何か言ったら地雷を踏む恐れがあるとすれば、接するのが嫌になってしまいます。だから言葉咎めはしない方がいいと思います。


─本書で引用されるカフカや文豪などの言葉に胸を打たれます。


 カフカの何が良かったかと言えば、傍から見たら健康で順調な人生を歩んでいるにもかかわらず、深く絶望していることです。それ故、彼の絶望には誰もが共感できる普遍性があります。晩年こそ病人になっていますが、それまでは散歩を長時間して、ボートを漕いだり水泳したりもする、健康な人でした。職場では可愛がられ、出世もどんどんして、親友もいるし、女性にもモテたし、第三者から見れば全く幸せなサラリーマン人生です。ところがカフカは、病気にならなくても炭鉱のカナリヤのように敏感でした。ですから、誰も鳴かないうちから自分だけ盛大に鳴いているわけです。没後一〇〇年近く経った今まさに、カフカは現代人の先駆けみたいな感じがします。「ひきこもり」という言葉がない時代からひきこもっていましたからね。つまりカフカは、誰でも十分に敏感であれば、健康でただ普通に生きているだけでも辛いことを示してくれるのです。


─頭木さんはコロナ感染リスクが平均より高いため、家にこもっておられますが、気晴らしはどうしていますか。


 ひきこもったことのない人は、ひきこもると退屈だろうと皆思うわけです。普通なら外出してお店に行ったり遊んだり、人と会う時間をずっと一人でいますから。萩原朔太郎が病気で二ヵ月くらい寝込んだ体験を書いていますが、次第に物の見方が細やかになると言うのです。天井に止まっている蠅は一時間眺めても飽きないし、花を見れば美しさにとても打たれると。僕も同感で、退屈どころか発見がすごく多いのです。


─読者からの反応はどうですか。


 面白かったのは、「食べること」に関してはSNS上での感想が多かったのですが、「出すこと」に関しては表立っては少なく、ほとんど私個人へのダイレクトメールだったことです。小学生の時の粗相でも引きずっている人が多いですね。誰にも言えなかったけれど、堂々と書いてくれたので救われたとか。トラウマにするのではなく、気軽に「吐いちゃった」ぐらいのレベルにできればいいのですが。

撮影:八雲いつか

 

〔『中央公論』2020年12月号より〕

評者:鷲田めるろ

 ある画家から強く勧められた。美大や美術予備校のことがあまりにリアルに描かれていると。会田誠は自分より一〇歳ほど年長の現代アーティスト。重要な作家であることは疑いがないが、エログロ風の絵は苦手でこれまで敬遠してきたところがあった。ただ、電線に止まるカラスを屏風に描いた絵を見たときには、その空間構成に唸らされた。小説を書いていたのは以前から知っていたが、会田の本を読むのは初めてだった。『青春と変態』からおよそ二四年ぶり、二冊目の青春小説だという。


 例えば赤瀬川原平(文章を書くときのペンネームは尾辻克彦)のように、画業と同じくらいの比重で、文才を発揮するアーティストもいる。だが、会田はあくまでアーティストが本業だと捉えていた。この本の時代設定は一九八六年だ。当時の美術状況を知ることができるかもしれないという下心もあった。実際、白州・夏・フェスティバル(「信州アートフェスティバル」として登場)や、チェルノブイリ原子力発電所の事故、渋谷のパルコで行われていた日本グラフィック展、赤坂プリンスに象徴されるバブル経済、ニューアカブーム、ヨーゼフ・ボイスの来日、制度としての日本画への関心、漫画『AKIRA』といったサブカルチャーなどが時代背景として丹念に描きこまれている。これらの動向は、並列的に現れるだけでなく、相互の批判が詳細に書かれていて、実感がこもっていた。例えば、白州のフェスティバルは、今の環境問題への関心や地域型アートプロジェクトの先駆けと見ることもできるが、その大仰なシリアスさに対する、カタカナの「ゲージュツ」という茶化しは、そのまま今日でも通用しそうだ。


 凝った文体ではない。多摩美術大学の学園祭で交わされた会話を中心に、短い文章がテンポよく重ねられる。高校まで佐渡島で生まれ育った主人公の二朗の絵は、素朴さやのびのびとした勢いが魅力だった。しかし、形を正確に捉えてデッサンすることが求められる美大受験では通用しなかった。受験のためと割り切って東京の予備校で技術を習得しようとするが、次第に絵を描く目的を見失ってゆく。一方、美術界にも次々と新しい動向が生まれ、旧態依然とした受験絵画自体も揺れ動いていた。


 物語は、田舎と都会、不易と流行、といった対立軸に沿って進み、画家を志す若者たちの挫折と転向が延々と語られる。悩む二朗は、その聞き役として立ち回るが、終盤にさしかかるにつれ、安全なところから観察する第三者的な立場ではいられなくなる。芸大の油絵の試験本番で、受験用の「歪んだ」テクニックを使うのか、「自由」に自らの生に向き合うのか。変化しつづける憧れの女性にどう接するか。授かった子供を産んで育てるのか、堕ろすのか。全体を見通すこともできないまま、緊急に決断を迫られる。そして次第に物語は狂気に向かう。


 にもかかわらず、主人公や周囲の登場人物が取った行動は、すべてがそれ以外ではあり得ない必然であるかのように感じられた。ありふれた言葉や概念では伝えきれないものを、自分でもわからないまま人に伝えようとするひりひりとした気迫に引き込まれてしまった。本業アーティストの回顧的小説という私の甘い予想はものの見事に打ち砕かれた。

 

〔『中央公論』2020年12月号より〕


◆会田誠〔あいだまこと〕
一九六五年新潟県生まれ。美術家。九一年東京藝術大学大学院美術研究科修了。絵画、写真、映像、立体、パフォーマンス、小説、漫画など表現領域は多岐にわたる。小説『青春と変態』、エッセイ集『カリコリせんとや生まれけむ』など著書多数。

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