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書評 『アフリカからアジアへ――現生人類(ホモ・サピエンス)はどう拡散したか』(西秋良宏編)

◆足立倫行
『アフリカからアジアへ――現生人類(ホモ・サピエンス)はどう拡散したか』(西秋良宏編)

評者:足立倫行(ノンフィクション作家)

 現生人類(新人、ホモ・サピエンス)が誕生したのは二〇万~三〇万年前のアフリカ。現在の私たちは全員、アフリカから拡散したのだ。


 遺伝学研究によるそんな驚くべき学説の発表は一九八〇年代末だった。それから約三〇年。古代ゲノム解析の進展によって、旧人ネアンデルタール人と私たちの祖先が交雑していたことや、デニソワ人という新種の旧人がアジアにいて、アジア人の祖先と交雑していたことなども明らかになった。


 では、現生人類は、旧人たちが生きていた世界にどのように進出し、なぜ私たちの祖先のみが生き残ったのか?アジアの果ての日本列島にはどう辿り着いたのか? 本書は、考古学や人類学のフィールド調査、古代ゲノム研究などを踏まえ、内外六人の研究者らが最新の成果をまとめたものだ。


 現生人類の出アフリカは二度あった。第一次が一〇万~二〇万年前、第二次が五万~六万年前である。最古の人骨はミスリヤ洞窟(イスラエル)の一八万~一九万年前のものとされる。北はギリシャ、南はアラビア半島南部まで分布した痕跡があるのだ。この時期、すでにヨーロッパにいたネアンデルタール人が南下し、西アジア各地で現生人類と交雑した。重要なのは、旧人と新人の行動様式に大差がなかったこと。石器(尖頭器など)や獲物(アカシカなど)がほぼ重なり、装身具も同段階だった。ネアンデルタール人の認知能力が劣り、私たち新人との競争に負けたわけではない。


 だが、現生人類が第二次出アフリカで本格的にユーラシアへ進出すると、入れ替わるように旧人は絶滅した。その理由は何か? 現在のゲノム(生物学的遺伝情報)研究では、人口減少が続いた旧人集団内での「有害変異の蓄積」ではないか、とされる。


 一方、考古学では、五万年前の寒冷化でシカなど大型動物が減少した頃、新人は小石刃など軽量・鋭利な石器でウサギ、リスといった小動物を獲ったが、旧人はできなかった、と見る。おそらく複合的な要因だったのだろう。現生人類のユーラシアへの拡散は、北回りと南回りのルートがあった。北は乾燥した草原・砂漠地帯で大型有蹄類が多く、南は高温多雨の密林や島嶼、多様な動植物。現生人類はそれぞれの移住先の自然環境に適応した。北ルートの中国北部では、デニソワ人やネアンデルタール人あるいはその交雑の集団がすでにいたが、北京近郊の田園洞遺跡の人骨調査などから、約四万年前には現生人類が定着した。南ルートはもっと古く、中国南部で八万~一〇万年前(異論あり)、東南アジアで六万~七万年前に早くも現生人類が到達していた、と推定される。北は石刃石器群主体だが、南は小集団が不定形石器を用い、渡海技術や釣魚技術を創出するなど研究上の「魅力的なフィールド」を形成している由。


 昨年、西太平洋域での現生人類の海洋進出を証明する実験航海が日本の国立科学博物館チームによって実施された。台湾から与那国島まで、三万八〇〇〇年前と同じく丸木舟で渡り、日本列島への初到達を再現したのだ。


 現生人類の世界への拡散については、人骨の空白地域があるため、まだ不明な点が多い。しかし本書の報告で、ぼんやりと輪郭が見えた気もする。「人類みな兄弟」を実感するためにも、今後もこの分野の研究に注目したい。

 

(『中央公論』2020年5月号より)

 

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西秋良宏(にしあきよしひろ)

一九六一年滋賀県生まれ。東京大学総合研究博物館教授。専門は先史考古学。 東京大学大学院博士課程単位取得退学。ロンドン大学大学院博士課程修了。Ph.D.(ロンドン大学)。

◆足立倫行
〔あだちのりゆき〕
一九四八年鳥取県生まれ。早稲田大学政経学部中退。世界放浪の後、『平凡パンチ』記者を経てフリーに。デビュー作の『人、旅に暮らす』以来、著書多数。
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