─タイトルにひかれました。辰野金吾が主人公の小説です。日本銀行本店や東京駅など、近代日本を象徴する建物を矢継ぎ早に設計していった明治を代表する建築家。江戸を東京に変貌させた人物ですね。江戸の誕生に材を求めた『家康、江戸を建てる』の続編としてお書きになったのでしょうか。
それは意識していません。万城目学さんとの『ぼくらの近代建築デラックス!』でのお仕事が大きいですね。大阪、京都、神戸、横浜、東京の五都市の近代建築を万城目さんと見て回って語り合うもの。近代建築を知れば知るほど、その中心にあるのは辰野金吾だということが見えてきました。
─お二人の関心の指標になるのかもしれませんが、『ぼくらの近代建築デラックス!』では辰野金吾は四二回登場しますね。コンドルは八回、曾禰達蔵は四回、片山東熊は八回、妻木頼黄は九回。辰野がダントツです。
近代建築ど真ん中。いつかは辰野金吾と対峙しなくてはならないな、という思いが次第に募ってきていました。辰野を書くということは東京と立ち向かうこと。明治とも向き合うわけです。かなり大きな仕事になりそうなのでなかなか決断できずにいました。そんなところに文藝春秋の方から「辰野金吾を書きませんか」とのお誘いが。覚悟を決めて書くことにしたのです。
─明治十六(一八八三)年、辰野金吾が三年間の英国留学を終え、横浜に上陸する場面から始まりますね。
辰野は工部大学校造家学科(現東京大学工学部建築学科)の第一期生。同期には片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次朗がいます。名にし負う建築家たち。彼ら第一世代の代表格、辰野金吾が建築を通して日本の近代化にどう挑んでいったのかをいたって人間臭く描きました。書名は「日本、はじまる」「近代、はじまる」でもよかったほどです。
─英国人のコンドルにすでに決まっていた日本銀行本店の設計を伊藤博文に直談判して、辰野自らがぶんどってしまう。すごい手を使う人なのですね。
辰野は英国で見聞を広めるうちにコンドルが一流でないことがわかっちゃったんですね。なによりも、国家の顔となる建物は日本人が造るのだ、という強い意思。このくらい強引にお雇い外国人の手から権限を奪わないと、日本人自らが日本の近代化をやり遂げられない、列強に伍せない、という強烈な思いがあったのだと、そういう推測のもとに場面づくりをしました。これが第一世代共通の明確な意識です。辰野の弟子、伊東忠太のような第二世代になると、日本と西洋をつなげたい、という意識が働く。伊東自身は、法隆寺の柱が古代ギリシャ建築エンタシス様式の東漸した証である、とか言い出しますよね。その真偽はともかく。文学でも、『源氏物語』は世界最古の長編恋愛小説である、といった説もこの時期に登場します。どの分野でも第二世代に起こり得る共通のメンタリティーがあるようです。論理づけて考えるのが彼らの特徴ですね。
─長男隆との人生観の対立もそんなところとかかわるのでしょうか。
のちに仏文学者となる辰野隆は東京帝大法学部を出た後に文学部仏文科に入り直して、自分がやりたいこと、好きなことに突き進みます。国家のためを第一義とする金吾から見れば正反対の価値観です。「なにを言っているんだ」となる。隆が独文だったら違ったニュアンスだったかもしれませんが。
─辰野金吾は国家の顔ともいえる日銀本店や東京駅を造りました。できあがっていくくだりには興奮しました。
歴史を題材にした小説を描くことが多いのですが、読者に喜んでもらえるためにどうするかという私の解答のひとつは情報量です。普請中の場面はいちばん難しいところ。工夫を施しながらとりわけ丁寧に描きました。そこは相当、手をかけたつもりです。
─今後はどのような作品を?
辰野のライバル、妻木頼黄に興味があります。いずれ書いてみたいですね。今は『サンデー毎日』に、豊臣秀吉の朝鮮侵攻だけに焦点を絞った「なぜ秀吉は」を連載しています。
(『中央公論』2020年7月号より)
作家。1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2018年、『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。歴史を題材とした作品が多く、近代建築にも造詣が深い。ヴォーリズを描いた『屋根をかける人』、江戸の始まりを描いた『家康、江戸を建てる』など。