評者:栗俣力也(仕掛け番長)
「何かオススメの作品はありますか?」
二年間続いたこの連載も私の担当は今回が最終回です。最後ということでとても悩んだのですが、ここはひとつこの連載を楽しみに読んでいただいているあなたに私が今一番、読んで欲しい作品を思いっきりご紹介したいと思います。
SNSで個人の考えが良くも悪くもダイレクトに伝わる昨今、誰でも騙されるのは嫌だという当たり前のようで見失いがちだった事実が、あらためて浮き彫りになってきた時代だと思います。
「○○は儲かる」「まだ○○をやってないの?」そんな正しいことのように聞こえる嘘。
まるでその嘘を信じないことがすなわち弱者であるかのように錯覚すらしてしまう誘惑の数々が溢れています。
「失敗したくない」。そう思っている人ほどその罠に陥り騙され、失敗をしてしまうのです。
今回紹介する『正直不動産』の主人公・永瀬は、口が上手く嘘でお客を信用させることで売り上げナンバー1を誇っていた凄腕の不動産営業マン。
彼は不動産業界には「千三つ」という言葉があると語ります。永瀬が教育係をしている新入社員はこの言葉を「家が欲しいという話が千件あっても、契約にいたるのは三件」という意味であると解釈しているのですが、永瀬は「千の言葉の中に、真実はたった三つ」という意味だと教えます。不動産の営業は嘘をついてなんぼと豪語して、好成績をたたき出してきた彼ですが、とある地鎮祭で石碑を壊してしまって以来、不思議な力でなぜか嘘をつけなくなります。嘘をつく、または何か不都合なことを隠そうとすると、意思に反してその「真実」を話してしまうのです。
永瀬が真実を隠せなくなる直前、ある客と「四年目以降家賃を二年ごとに原則三%上げる」ことをエサにアパートを建て、その入居者集めと管理を請け負う契約を結ぼうとします。さらに、これは「三〇年一括借り上げ保証で安心」という触れ込みですが、実は解釈によっては途中で解約することもできる契約内容なのです。ところが、彼は客にそのリスクを漏らし、怒らせてしまったから大変なことに。
また例えば四〇〇万円を超える物件の場合、不動産屋が受け取る仲介手数料は「成約価格の三%+六万円+消費税」という話を聞いたことはないでしょうか? この内容にも実は隠し事があるのです。嘘がつけない永瀬は「実はこの三%は法律で決まった上限値で、三%以下であれば契約できる」という真実を顧客に告げてしまいます。
その他にも、永瀬は敷金・礼金目的の悪徳オーナーの物件など秘密をどんどん明かしてしまい、営業が成り立たなくなり、ついにもうこの業界では生きていけないと思い詰めてしまいます。
しかし意外なことに、その後に待ち構えていたのは、永瀬が想像していたものとは少し違う展開でした。怒っていたはずの客から少し経ったのち「君を信用する、これからも頼むよ」と契約を任せる旨の連絡を受け取るのです。
この作品に描かれているのは、騙されるよりも騙す方が有利で、あくどければあくどいほど儲かる仕組みになっていると思いがちな世の中にあって、正直者でいるということがどんな利益をもたらすのか? そんな疑似体験なのです。
嘘つきばかりの中で「正直者」であることがビジネスにどんな影響を及ぼすのか、それをこの作品は不動産営業マンの目線で教えてくれるのです。
「嘘をつけなくなる」という一つまみのファンタジーによる面白さと、練られたストーリー展開。漫画を普段読まない人でも読みやすいように考えられた場面の切り取りやコマ割り。難しい内容を読者にわかりやすく伝えるべく練られたセリフ回し。
このように作品の作り方においても、カスタマーサイドである読者のことを徹底的に考え抜いた漫画だといえます。あたかも嘘がつけなくなった永瀬の営業の如しです。
「ビジネス書しか普段読まない」。そんなあなたにこそ、今一番読んで欲しい作品です。
(現在、九巻まで刊行)
〔『中央公論』2020年10月号より〕