評者:小川さやか(文化人類学者)
かつて日本をふくむ先進国の製造業で主流だったのは、選択と集中による連続的な価値創造だった。意思決定を企業の上層部に集中させ、事前に十分な検討を行ってリスクをあらかじめ予測・回避し、一丸となって「これぞ」と決めたプロジェクトに取り組む。ひとたび製品が出来れば、長期計画に則って少しずつ改良・改善を重ね、それまでに積み上げた強みを生かして競争的優位に立つことを目指す。
本書は、このような製造業による連続的価値創造の時代からプロトタイプを駆動することによる非連続的価値創造の時代へとシフトしつつあるという。計画を立てるよりも、まず手を動かして試しに作ってみる。多様なプロジェクトを実践しながら、どれが正解なのか、どうしたらよいかを模索していく。検討や精査は後からすればよい。このようなプロトタイプ駆動を通じて、予想もつかないような新たな製品やサービスが生み出される。プロトタイプ駆動こそが、様々な技術革新とそれによりますます予測困難になった現代で理にかなったビジネスモデルになりつつある。そしてプロトタイプ駆動を可能にする、多様性を持つ人びとが集まり、アイデアやノウハウを交換する「プロトタイプシティ」が、中国の深圳をはじめ新興国の都市で胚胎している。本書は、プロトタイプ駆動がなぜうまくいくのか、プロトタイプシティとはいかなる場所かを解き明かしながら、世界がいまどのような時代を迎えているかをすこぶる明快に開示している。
オープンソースによるソフトウェア開発やクラウドコンピューティング、スタートアップアクセラレータという投資モデル、モバイルインターネットやIoTの普及など、「ユニコーン現象」と呼ばれる技術革新に光をあてて、プロトタイプ駆動が有効なビジネスモデルになった背景を説明した第一章。中国のテクノロジー産業にはニューカマーが破壊的なサービスを試みても大きな問題を起こさないようにする仕掛けがあることを指摘し、誰もが自由にトライアル&エラーを試みられる「安全な公園」の重要性を説く第二章。プロトタイプシティの代表例である深圳が、イノベーションを担う中心と製造を担う外周部という二重構造のエコシステムを備えた理想的なベンチャー起業の拠点となった経緯を明らかにする第三章。プロトタイプシティの条件などを題材とする対談を収録した第四章。プロトタイプシティの働き方を実践する二人の起業家に具体的な体験談を聞き取る第五章。いずれの章にも、具体的な事例とともにプロトタイプシティ時代を戦うアイデアとヒントが盛り込まれている。
本書には、プロトタイプ駆動の力強さとともに新しい時代に乗り切れていない日本の現状が随所に登場し、しばしば危機感を掻き立てられる。しかし「すべきだ」「しなくてはならない」という主張は控えめである。あとがきでも、新型コロナ禍のなかで未来を予測する言説が飛び交う現状に触れつつ、本書はそうした「予言書」の類ではないと断言する。「想像力は天から降ってくるようなものではなく、実際になにかの問題を解決する過程で生まれてくるもの」。第五章の実践者が述べるように、プロトタイプシティ時代に適応するためには未来予測にかまけるよりも、とりあえずやってみるしかないのかもしれない。
〔『中央公論』2020年10月号より〕
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◆高須正和〔たかすまさかず〕
一九七四年生まれ。株式会社スイッチサイエンスの事業開発担当、早稲田大学ビジネススクール非常勤講師。
◆高口康太〔たかぐちこうた〕
一九七六年生まれ。ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。