評者:かとうちあき(『野宿野郎』編集長)
いきなりですが、勃起薬・バイアグラのブームを覚えていますか。 バイアグラは一九九八年にアメリカで発売。すぐ世界中でブームとなり、日本では翌年、医療用医薬品として異例の速さで承認されました。
一方、同じ年に医療用医薬品となった低用量ピルは承認まで数十年という歳月がかかっており、現状をみても薬局での緊急避妊薬の販売は進まないわ、中絶でいまだに法が廃れていないわ、諸外国に比べて女性の性や生殖に関わる政策はのろのろ。も~、なんなんだ! 決定権のある場に男性しかいないの、やばい!
なーんて、バイアグラって名前を思い出すと、わたしはぷんすかしてしまうのでした。......ふう。
そんなわたしが今回絶賛ご紹介させていただきたいのが、『ヒヤマケンタロウの妊娠』です。妊娠・出産をテーマにした、ほれぼれと知的でフラットな筆致のマンガで、描かれているのは、男性も妊娠するようになってから一〇年経った世界。とすると妊娠・出産にまつわる問題もだいぶ改善されていそうなものですが、ここで絶妙なのが、この世界で男性の自然妊娠率は女性の一〇分の一だということ。そのためほとんどの男性にとって妊娠はまだ他人事で、少数である「妊夫」への偏見がむしろ強い社会なのでした。
思いがけず妊娠して動揺するケンタロウも、職場で差別的な言葉を浴びせられたり、電車で学生に笑われたり。
そんな中なにくそと出産を決めると、ケンタロウは会社や社会に居場所をつくろうと「ウムメンカフェ」を企画するなど、妊娠に対して偏見を持ち知らないことだらけだった周りや自分自身を、少しずつ変えてゆきます。
男性の妊娠を通してこのマンガで可視化されているのは、おそらく女性が妊娠・出産を通して、日々体験している日本の現状でもあって......。
ケンタロウの奮闘や成長のストーリーに惹きこまれて読みすすめると、このまま一人で生きていくんだろうな~なんて思っているわたしのような妊娠・出産に縁遠い人間でも、妊婦さんをとりまく現状への理解が深まっていくという、すごいマンガなのでした。
ってことは、妊娠・出産に関わったことのある方たちが読むと、共感の嵐なんじゃないか。
このマンガ、二〇一三年発刊で紙のコミックは入手が難しい状況ですが、時代が追いついてきたのでしょうか。電子書籍で読み継がれ、WEBで話題に。現在は月刊誌『BE・LOVE』(講談社)で、ケンタロウの出産から三年後を描いた『ヒヤマケンタロウの妊娠 育児編』が連載中です。
坂井恵理さんのほかのマンガには、保育園を軸に、子育てに取り組むいろいろな人たちの物語が、オムニバス形式で紡がれる『ひだまり保育園 おとな組』(双葉社、全三巻)もあります。こちらも面白く、子育ての経験がない人間にはやっぱり現状の学びにもなるぞ。読んでいると、登場人物たちの奮闘を応援したくなりますし、男女や子のありなしに関係なく、出産・育児がしやすい社会のほうが誰にとっても生きやすそうだよなあ、なんて、しみじみ思わされる次第です。
面白くって、共感はもちろん、体験できないことを知ることができたり、思いを馳せられたり。マンガってすごいなあ。
RPGの世界でワンオペ育児と仕事の両立の「無理ゲー」さが描かれる、かねもと『伝説のお母さん』(KADOKAWA)もとても面白いマンガです。かつて魔王を倒して世界を救った伝説の魔法使いが、復活した魔王を討伐するために魔法使い(=仕事)復帰をするものの、待機児童が多すぎて子どもを保育所に預けられないわ、夫が戦力外だわ、魔界の方が子育て支援の政策が充実しており、仲間の勇者は寝返っちゃうわ。このままじゃ世界、滅ぼされちゃうよ! って、お母さんを熱烈応援したくなること必至なのでした。
それからそれから。って、まだご紹介したいマンガは数あれど、紙幅が足りない~。
冒頭のバイアグラへのルサンチマンに字数を使い過ぎたような気がして小さくなりつつ......。とりあえず政治家はみんな、これらのマンガを必読書にしてほしいです!(ぷんすか)。
わたしの回はこれでおわりです。これまでありがとうございました。
〔中央公論2020年11月号より〕