今回の勝負は、私の棋士人生において、タイトル戦以上の大きな勝負です。そうした大勝負に臨むにあたっては、やっぱり詰め将棋を解き、棋譜を並べ、実戦を指す。そして本番では、誰が相手であっても「これが最善手である」という手を指し続ける努力をする。このようなプロ棋士としての正統な道を突き進むつもりです。
しかし、本当にただ目の前の勝負に「勝つ」ことだけを目標にした場合は、別の選択肢があるかもしれないということですね。
「お互いベストな状態で」というのがルール
米長 本番は「お互いにベストの状態で臨む」ということが、今回のルールなんです。向こうはどんなコンピュータを使っても、どんなパソコンを用いてもいい。
梅田 会場である将棋会館の電源が切れない範囲で何をしてもいいと。
米長 飛んだ場合は、それで負けにするのではなくて、コンピュータ側の持ち時間の間に修理できれば良いとしています。とにかくコンピュータ側は、ありとあらゆる方法で計算速度を速めてくるでしょう。もちろんプロ側も、ベストの状態で指せることなら、何をやってもいい。コンピュータソフトを傍らに置く......というのは無しですけど。(笑)
ですから、当日、私は羽織袴の正装で臨みます。さらに将棋盤の前に座る人を指定させてもらいました。
梅田 コンピュータの指示した手を指してくれる人ですね。
米長 そうです。その人の条件は、まず将棋が強いこと。それから、僕が対局しているときに同じように真剣に考えてくれる人。自分が指しているかのごとくね。もう一つは目障りにならない人。ふらふら体を動かしたり、息が臭かったり、いろんな人がいますからね(笑)。最後に僕を尊敬していること。どの条件が一番厳しかったのかはおいておいて、この条件に合う人間を探し出すのは至難の業でした。ただそれでも一人見つけて、その人にお願いした。結局、緊張感を保つためには、相手が強い必要があるんですね。
梅田 羽生善治さんをはじめとするトッププロの方々も、やはり研究会よりもタイトル戦でこそ、一番深い、一番いい手が読めるとおっしゃいます。
米長 マラソンランナーは、沿道から旗を振られて「頑張れっ」と応援してもらえると元気が出てくるそうですが、将棋は違うんです。私を負かしにくる人間が前に座っているときに力が出る。だからこの「前に座る人」は慎重に選ばせてもらったということです。
梅田 休憩時間もコンピュータ側は考え続けてもいいそうですね。
米長 昼休みは一時から二時までの一時間にしました。この一時間にコンピュータはご飯を食べるかどうかで問題になったんです。つまり、電源を切るか、点けっぱなしかという話です。でも「ベストの状態」という基本原則に則って、「電源を切ったほうがいいと思えば、電源を切ってください。点けたままがいいと思えば、点けたままでいい。どうぞご自由に」ということにしたんです。まあ、コンピュータは休む必要もないでしょうから、私がご飯を食べて横になっている間に、一秒に数千万手ものスピードで読み続けることになる。
ただもし、休憩時間は無しというルールで、朝十時から夕方までコーヒーとサンドイッチを食べながら指したとして、私は勝てるかと言えば、勝てないでしょうね。休憩時間無しというルールのほうが、考える時間という意味では不公平が少ないようですが、きっと私は負けると思います。私にとってのベストな状態を作るためにも、やはり休みが必要なんですね。
梅田 なるほど。そういったルールも含めて、我々がこの対局から学べるのは、今まで想像していたものとは違うような気がします。
悪い局面に飛び込むのが米長将棋
梅田 最後に「決意の一言」をお願いします。
米長 大方の予想は、私が負けるだろうと思っているでしょう。ボンクラーズの「将棋倶楽部24」での成績を知っていれば、無理はありません。
でもね、このボンクラーズと将棋を指すと決まってから、私はあらゆることが奇跡的にうまくいっているんです。棋戦の契約にしても、何にしてもね。
梅田 ある方が米長先生のことを称して、「とにかく悪い局面に飛び込み、その局面から逆転して勝って、『どうだ』と胸を張るのが好きな人だ」とおっしゃっていました。そしてそれが米長邦雄の魅力だと。
米長 コンピュータ相手に悪い局面になると形勢を覆すのは正直難しい。でもまあ、たぶん私が勝つだろうと思います。
梅田 素晴らしい。(笑)
(了)
〔『中央公論』2012年2月号より〕