評者:郡司芽久
子供の頃、犬を飼っていた。ミニチュアダックスのメスで、名前はロコ。私は毎日ロコに話しかけ、家族として共に育った。会話はできないながらも、「これは言ったことを理解しているな」と思ってしまう瞬間が多々あった。「ロコとお話しできたらどんなに楽しいだろう」。子供の頃は、そんな夢を幾度となく思い描いていた。
『アレックスと私』は、「ヒトと動物は、人間の言葉を用いて交流できるのか」という壮大な課題に挑んだ、とある研究者の回顧録である。そして、彼女の研究対象であり、友でもあった"アレックス"という一羽の鳥の生涯を記した物語である。アレックスは、数々のメディアに取り上げられた"天才ヨウム"だ(ヨウム=大型インコの仲間)。彼は、七つの色と五つの形と八までの数字を理解し、一〇〇語以上の英単語を操って"会話"ができた。例えば、目の前に三角形の木のおもちゃを出せば、彼は「三」と答えた。四角い紙ならば、答えは「四」。トレーの上にたくさんのカラフルなブロックを乗せ、「三個あるのは何色?」と尋ねれば、正しい色を答えられた。これは、アレックスが色や形の概念を理解していた強い証拠である。これだけでも彼の賢さはよくわかるのだが、本書の後半で紹介されるアレックスの"ストライキ"は更にすごい。ある時、本書の著者であるペパーバーグ博士は、アレックスに数や色に関する単純な問いを何度も投げかけていた。質問への正答率を調べるためだ。しかし次第に、アレックスは正しい答えを言わなくなり、天井を見上げて問いかけを無視したり、トレーの上に乗っていない色や物の名前を口にしたり、まるで勉強に飽きて先生をからかう子どものような行動を取り始めたのだ。そして最後はなんと、「カエリタイ」と口にして、ケージに帰ってしまったらしい。「こんなつまらないこと繰り返して、一体なんの意味があるの?」とでも言いたげなこの行動は、止まることのない好奇心によって発達してきた私たちヒトの"知能"を彷彿とさせる。
もう一つ、印象的な話がある。アレックスが"ゼロ"の概念を理解しているかも、というエピソードだ。結局、いくつかの実験の結果、アレックスは「ゼロ=ない」ということはわかっているものの、「一の前にゼロがある」ことは理解できていないようだという結論に達するのだが、ペパーバーグ博士はこの結果をこう評している。
「アレックスの"ゼロ"の理解度は、エウクレイデス(古代ギリシャ時代の数学者・天文学者)と十七世紀の西洋人の中間あたりか」と。
なんと痛快な表現だろうか。考えてみれば、私たちヒトも、はじめから現在の知能レベルにあったわけではない。多くの人たちが様々な課題に取り組み、長い時間をかけて構築された知識や学理があるからこそ、現在の私たちの"知能"があるのだ。
天才の名をほしいままにしたアレックスの生涯は、平均的なヨウムよりもはるかに短く、三十一歳で幕を閉じた。最後の言葉は、博士に対する「イイコデネ。アイ・ラブ・ユー」。動物のもつ"知能"は、私たちの想像をはるかに超えている。そもそも、私たちが"知能"と呼ぶものは、一体何なのだろうか。アレックスの生涯には、私たちが自分自身をより深く知るためのヒントが散りばめられている。
〔『中央公論』2021年3月号より〕
◆アイリーン・M・ペパーバーグ
一九四九年米ニューヨーク州生まれ。MIT(マサチューセッツ工科大)卒業、ハーバード大学大学院博士課程修了。博士(化学物理学)。
ヨウムの認知能力やコミュニケーション能力を類人猿、イルカなどの海洋哺乳類、ヒトの子どもと比較してきた。
現在はハーバード大学非常勤研究員、同大学非常勤講師、アレックス財団会長。
一九八九年東京都生まれ。筑波大学研究員。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。専門は解剖学、形態学。著書に『キリン解剖記』がある。