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『さよなら、男社会』 尹雄大著 評者:柳澤はるか【新刊この一冊】

柳澤はるか(翻訳家)

評者:柳澤はるか

 五〇年にわたる「参与観察」の書である。一九七〇年生まれの著者がどのように男性性を身につけてきたのか、当事者としての克明な記憶とともに明らかにしていく。

 私がこの本を手に取ったのは、男社会を維持する力はどこから来るのか知りたかったからだ。というのも、周囲の男性たちから聞こえてくるのは、いわゆる男社会的なノリへの違和感や不満の声。私の交友関係に偏りがあるとはいえ、過度な競争文化、力の誇示、非合理な精神論、高圧的で暴力的な言動などをよく思わない男性もいる中で、しかしどうして維持されるのか。

 また、私がこれまで学校や職場で見てきた男性集団の記憶は、「うっすらと鬱憤を共有している」という影のあるものだった。強そうに振る舞う人であっても、何かを恐れているような空気を感じさせることがあった。個人的な「感覚」や「感情」を語るのはいけないことであるかのように、振る舞う男性もいた。だから、男社会の中で男性が本当のところは何を感じているのかを知りたかった。

 著者は、小学生のときに初めて「ザ・男」という存在に出会う。周囲の子を「おまえ」と呼び、腕力にものを言わせるリーダー格の少年だ。彼の周りには取り巻きの少年たち。その光景を振り返りながら著者は、下位の立場の男たちが男社会に吸い込まれていく構造をこう分析する。

「力に支配されて覚えるのは、怯えだけではない。やがて手にできるかもしれない力に酔いしれる感覚もまたあるはずだ。その期待が身の内に膨らむから、待ち受けるシステムへの参入は男たちにとって戦慄と快楽を意味する」

 純粋な敬意があるわけではないのに取り巻きが暴君的リーダーを担ぐのは、恐怖を抱くと同時に自分も権力の分け前にあずかれると考えるからだと、著者は指摘している。

 家庭内ではどうか。著者の父は、些細なことですぐ怒鳴り周囲を萎縮させる人物だった。息子には「生き残るために強くなれ、力を得よ」と教え、それが男らしい生き方だと信じていた。しかし父にそう言わせていたのは何なのかと考えていくと、父が抱えているトラウマの存在が浮かび上がる。「しつけと言われるものの中身は実は、自分が負った傷を継がせることになっているのではないか」。

 本書はこのように、過去の自分や周囲の人々の感情に目をこらし、一つひとつすくい上げていく。

 恥ずかしかった。恐れがあった。不安があり、胸の痛みがあった。傷ついていた。心地の悪い感情ばかりだ。しかし逐一、掘り起こす。思いを巡らし、感じている自分や他者に気づき、言葉にしていく。なぜ、そこまでするのか。

 これからを生きるためだ。著者は置き去りにされた感情を拾い上げることで、自分を取り戻し、また過去を手放し、古い男性性の時代が終わった後の世界を見ようとしている。

「男たちは強くなければいけないと誓ったとき、繊細に感じることや脆弱である自分を恥じ、それを自分から切り離した」

 しかしこれからは、「感じる」ことを軽んじない。それが男性性から脱却し、なにより自分自身になるための一歩だと本書は示している。読み終えると、感じる主体として著者が命を吹き返す姿を見たような気がした。

 

〔『中央公論』2021年4月号より〕


◆尹雄大〔ゆんうんで〕
一九七〇年兵庫県生まれ。インタビュアー&ライター。政財界人やアスリート、アーティストなど約一〇〇〇人に取材し、その経験と様々な武術を稽古した体験をもとに身体論を展開している。著書に『異聞風土記』『モヤモヤの正体』『脇道にそれる』『やわらかな言葉と体のレッスン』など。

柳澤はるか(翻訳家)
〔やなぎさわはるか〕
一九八五年生まれ。東京大学文学部言語文化学科卒業。訳書に『マッティは今日も憂鬱』『フィンランドの幸せメソッドSISU(シス)』『フィンランドの不思議なことわざマッティの言葉の冒険』など。
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