─科学史への関心はいつからですか。
高校生の頃からです。理系か文系か迷っていた時期でした。科学や技術の重要性の認識と、色々な事柄を歴史的に捉えたがる自分の個性、哲学への興味が同時にあったんです。歴史的な条件が人間の考え方をどう変えるのかは、哲学史よりも、科学史の方が関わりが見えて、ダイナミックで面白そうだと思い、専門的に研究したくなりました。
─今回、ルネサンスにおける数学論に着目したのはなぜでしょうか。
十七世紀科学革命の前夜に何が起きていたかの手掛かりが掴めると考えたのです。今回の著書で扱ったのは十六世紀ルネサンス数学でしたが、十七世紀になると一つの価値観の転換が起こります。それまで、古代ギリシャやキリスト教の影響が強く、世界への働きかけはそれほど重要な価値をもたされていなかった。むしろ真理を追究して、奥にある神の摂理なり、究極の実在を正確に見て取る、「観想」の思想が強かったと思います。ところが、十七世紀のベイコン、ガリレオ、デカルト、ニュートンの時代になり、より実用主義的な発想が出てきます。
私は最初、記号代数学を生んだデカルトをテーマとして、『方法序説』にある、数学的な認識を重視する哲学から研究し始めました。ところが次第に、デカルトの言うことには歴史的な背景があるのでは、という問題が面白く見えてきたんです。そこで一つ前の時代、十六世紀に目を転じると、「数学の確実性」論争と言われる、著書でも中心的テーマとなった議論の存在に気付きました。この時代に近代の科学や哲学の生誕の背景が見えるかもしれない、と考えた経緯があります。
─本書で中心的に扱われる思想家のツィマラやピッコローミニ、バロッツィ、イエズス会哲学者たちはアリストテレス主義を引き継ぎ、参照しながら、考察を深めています。アリストテレス主義とは端的に言えば何でしょうか。
古代ギリシャの思想家アリストテレスのテキストを研究し注釈する流れが、一般にアリストテレス主義と呼ばれます。タレスのような自然哲学からソクラテス、プラトンまでの思想を体系化した上で自分なりの総合的な見方を示したのがアリストテレスでした。彼は死んだ後、主要な著作が忘却されたまま三〇〇年程時間が経って、紀元直前に再発見、編集され、注釈や解釈がなされていきます。その流れはアラビア文化圏でも継続され、アラビア・アリストテレス主義が成立します。ヨーロッパでは、十二世紀ルネサンスになると、アラビア語経由ないし直接ギリシャ語から、ラテン語への翻訳運動が展開していきます。当時のヨーロッパでは農業や商業の革命を経てある程度社会が豊かになっていて、それを背景に都市で大学が発展するわけですね。例えばボローニャ、パリ、オックスフォードといった大学が十三世紀までに発足、そこで新たに吸収されたギリシャ的学知にもとづき、ヨーロッパのアリストテレス主義が発達します。
─数学思想に関する論争がとりわけ十六世紀に活発化した要因は何ですか。
十四~十五世紀には哲学や思想が中心のルネサンスが、十六世紀になると「数学のルネサンス」とも呼ぶべき、自然科学や数学の書物を復興しようという方向に変わります。その中で、『分析論後書』に見えるようなアリストテレスの数学論をどう解釈するか、彼があちこちで書いたことが矛盾しないかなどを検証する作業が進みます。多様な見方がある中でも、原因を説明できなければ知識ではないということは広く認められていました。当時、その原因をどれだけ広義に取るかで、数学が知識に入るか否かの判断が違ってきました。
─今後の研究テーマを教えて下さい。
学部生の頃から関心のあった十七世紀のベイコン、ガリレオ、デカルトにあらためてタックルしたいです。彼らの画期的な発想のヒントとなったのが、職人や技術者の文化なんです。それらを彼らがどう捉えたのか。あと、カントやニーチェが科学的知識をどう捉えたのかも調べていきたいです。
〔『中央公論』2021年4月号より〕
1971年千葉県生まれ。東海大学現代教養センター准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学、仏トゥール大学大学院博士課程修了。Ph.D(哲学)。専門はヨーロッパ科学史。本書フランス語版で、アカデミー・フランセーズ・マルセル閣下賞受賞。