※本稿は、『あの人が好きって言うから・・・有名人の愛読書50冊読んでみた』の一部を抜粋・再編集したものです。
カタコトの日本語を喋る人が、知的レベルまでカタコトであるとは限らない。
大坂なおみ選手の快進撃を伝えるテレビが彼女の「今日は見に来てありがとう」とか「(食べたいものは? の質問に)カツ丼」のような無防備な言葉を「かわいい」と報じるのは、勇猛なプレーとのギャップがあればこそだろうが、そういう愛玩的な視線はときに、誤った侮りを相手に向けることになるだろう。
愛読書がテニス選手の先達、アガシの自伝というのも、侮ってしまいそうな「素直さ」の発露に思える(江夏の自伝を愛読書に挙げるプロ野球選手はいるだろうか)。
しかし、ちょっと読み進めただけで座り直す。これはタレント本的な軽薄な書物と一線を画す良書だ。異常なほどのスパルタでテニスを仕込む父親に鍛えられる幼少期から、細密な記憶を的確に描写して、ぐいぐいと読ませる。
少年時代、追い越し車線のドライバーと喧嘩した父親が運転したままダッシュボードから銃を出し助手席のアガシ少年の鼻の真ん前で撃鉄を起こした場面など、多くを語らずに父の怖さ、異様さを伝えるその文章のうまさに感心する(訳文は誤字だらけでそこは残念だが)。
テニスで勝ち続けるというのは単に対戦相手との勝敗だけを意味しないようだ。好き勝手なことを報じるマスコミ(テニスは各国を転戦するから世界中のマスコミだ)や、内面の自意識ともアガシは戦い続ける。ハゲを気にして着用していたヘアピースがよりによって全仏オープンの決勝前日に壊れてしまう逸話は滑稽だが、グランドスラム達成より全世界にハゲがバレる方が怖いという葛藤は、そこにたどり着いたものしか味わうことのない希有なものだ(若いころのアガシは、ライオンヘアーとでもいうべき長髪がトレードマークだった)。
希有な状況は活躍とともに広がる。ブルック・シールズとの交際や他の選手との戦い(舌戦含む)なども、内面の嫉妬や劣等感を隠さず(まさにOPENに)語る六百ページを読めば、誰でもテニスの底知れぬ醍醐味と怖さが追体験できるし、俯瞰的な視点も持てる。
大坂さんは質疑応答で、今から冗談を言いますよ、とわざわざ前置きすることがあるが、マスコミというものに「応接」している気配がある。気づけば愛玩の眼差しを向けるマスコミや我々が、聡明な彼女の中で冷静に分析され、評価されるのだ。 (初出『女性自身』2018年11月6日号)
ブルボン小林
俳優やアーティスト、スポーツ選手、政治家など、各界の有名人50人の「愛読書」50冊をお題に、なぜあの有名人がその本を好きなのかを考察。「売れてる人が好きな本」のブックガイド。各回に死後くんの似顔絵マンガつき!