評者:池田譲
八〇年代前半、都立高校に通っていた私は、理系の王道とされた物理と化学を理科科目として深慮なく選んだ。だが、学んでみると化学はなにかに化かされたようで性に合わない。当時の格言「一浪人並み(一浪)」よろしく浪人し、入試必須の理科二科目で一計を案じ化学を諦め生物を独習。物理・生物という稀な組み合わせで二度目の受験に出陣。これが奏功したのか北国の学舎に合格。時を重ねて寿司ネタのイカを極め博士号を頂戴し、生物学の末席を汚す一人となった。
そんな中で忘却の彼方に消えたかに思えた物理だったが、邂逅がいくつかあった。研究武者修行で水産物理学講座なる一風変わった名前の研究室に身を置き、イカの頭から平衡石という生体鉱物を摘出して巨大加速器のビームを照射した。はたまた、物理学出身のボスのもと、イカを相手に脳科学に挑戦した。私は少しだけ物理と因縁をもつ物理アマチュアであった。さして得意科目でもなかったのに「物理、ちょっと知っているんだよ」である。
そんな私と異なり、物理学に浸り宇宙の果てにまで想いを馳せる人がいる。物理学者である。その源はピュアな科学少年。本書の著者、大栗博司氏だ。故郷の岐阜で幼少より多くの本に触れ、周囲の自然に関心を抱いた。学者への歩みは、名古屋の展望レストランから外を眺め地平線までの距離を計算した小学生の時分から既に始まっていた。もっとも、直往邁進ばかりではない。入学後に進学振分けのある東京大学では物理学科は狭き門なので、物理学を専攻する受け皿が広い京都大学を進学先に選ぶなど、なるほどという計略的な面も覗かせる。
本書は一人の科学者がどのようにして誕生したか、その経緯を本人が時系列に沿って述べたものである。それは成功談ではない。大栗氏は若くして米国の著名大学の教授となったが、無敵と思えるその人が時に悩み、迷い、失敗もしながら学問の渓谷を踏み行く様も本書には包み隠さず記されている。
昨今、多くの日本人がノーベル賞を取るようになった。一方、今は人々の関心を集める出来事が次々に生じるからか、ノーベル賞は湯川秀樹や朝永振一郎の時代ほどインパクトを与えなくなったようにも感じられる。つい一五〇年と少し前、日の本の民は突如として江戸湾に現れた黒船に驚愕したが、「たった四杯で夜も眠れぬ」黒い蒸気船の製造には物理学が一役買っていた。基礎科学の驚くべき発見は、後々思わぬところにはまり込み人々の生活を豊かにする術を生み出す。黒船を前に腰を抜かした人々はそのことを今の私たちよりも鮮明に実感したことだろう。その感覚を開花させるのが教育である。藩校や寺子屋を例に挙げるまでもなく教育が国をつくる。そんな当たり前の事どもも本書は再認させてくれる。
本書を読了して再燃した思いが二つ。一つは見果てぬ夢。今は昔、高校でマークシート式の進路適性検査があり、後日届いた私の検査結果には化学系に高い適性ありとあった。「あるわけない」と信用しなかったが、あのとき化学を捨てずにいたら一廉の化学者になっていたかも......。
もう一つは近未来。かつて私は本書でもしばしば登場するカリフォルニアに暮らした。ただそれは短かった。私もサバティカル(研究休暇)を取ってアメリカに行くぞ!
(『中央公論』2021年7月号より)
◆大栗博司〔おおぐりひろし〕
一九六二年岐阜県生まれ。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構機構長。カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授およびウォルター・バーク理論物理学研究所所長。『重力とは何か』『強い力と弱い力』など著書多数。
一九六四年大阪生まれ東京育ち。琉球大学理学部教授。北海道大学大学院博士課程修了。博士(水産学)。専門は動物行動学、水産増殖学。著書に『イカの心を探る』『タコの知性』『タコは海のスーパーインテリジェンス』など。