評者:杉田俊介
『1日外出録ハンチョウ』は、福本伸行のベストセラー作品「カイジ」シリーズのスピンオフマンガである。「カイジ」の中でも名作と名高い「地下チンチロ」編の登場人物、ハンチョウこと大槻(四十六歳)、その腹心の沼川(三十五歳)、石和(三十四歳)を主要な登場人物とする。
彼らは悪徳企業の帝愛グループに対する借金を抱え、それを返済するために地下施設で強制労働をさせられている。地下では「ペリカ」と呼ばれる独自通貨が流通していて、高額のペリカを支払えば、一日外出券で地上へ出られる。
ハンチョウたちは地上での食事や観光、仲間うちでの遊びを様々な形で満喫する。連載当初はいわゆる「飯テロ」系のマンガだったが、物語は次第に、中年男性たちが何気ない日常を楽しむこと全般へと広がってきた。
中心となる三人の他にも、監視役の黒服・宮本、シングルファーザーの黒服・牧田、寡黙な料理の達人の黒服・柳内、借金を完済し地下から解放された善良な木村、などの人物が出てくるが、みな中年男性たちだ。
結婚しておらず、恋人もなく、特にエリート社員でもなく、イケメンでもない、冴えない、地味な中年のおじさんたちが、おいしいご飯を食べたり、旅行や観光をしたり、趣味を共有したり、スーパー銭湯に行ったり、一緒に部屋でまったり過ごしたりして楽しむ─。こうした設定のマンガは、じつは結構珍しく(ゲイの男性たちの恋愛や共同生活に焦点を当てたマンガ作品に比べても)、貴重なのではないか。
近年、フェミニズムや#MeToo運動などが広がり、多数派男性としての中高年男性(おじさん)たちの無自覚や差別意識が批判されている。
本作は、そうした男性たちにも、様々な気付きを無理なく与えてくれると思う。ハンチョウたちはべつに善人ではなく、欠点も卑劣さもダメさも抱えた人々であり、その点でも身近さを感じさせる。
中年の「男」たちだって別に、友達と仲良く遊んだっていい。猫と暮らして幸せでもいいし、パンケーキをシェアしてインスタグラムにアップしてもいい(ちなみに『ハンチョウ』の世界の特徴は、性欲の問題を完全にシャットアウトしている点にある)。陽の当たる冴えた人生ではないが、相応に楽しいよね、という中年以降の男性たちの友情関係。そうした日々を丁寧に積み重ねていく、という人生。
現代日本の男性たちには、こうしたゆるやかで肯定的な人生のモデルがあまりないのかもしれない。企業戦士的な男らしさや、家父長的な父親像、あるいはリベラルかつスマートなイクメン的男性のイメージが主流となっている。
オタクや草食系男子などのモデルもあるけれども、多数派の男性たちにも、もっと多様かつ、そこそこ楽しく幸福で、あまり暴力的ではない人生のモデルがあってもいいだろう。『ハンチョウ』は、そんなことを考えさせてくれる。
(『中央公論』2021年7月号より)
批評家