――本書は現代モンゴルの宗教とナショナリズムについて書かれた本です。このテーマを選ばれた理由を教えてください。
日本人にとってモンゴルといえば、大草原に素朴な遊牧民、モンゴル相撲といったイメージが強いでしょう。しかし遊牧民は、今や人口の9%ほどしかいません。日本人が遊牧民を理想化する一方で、現実のモンゴル人の多くは我々と同じ都市生活者であり、様々な怒りや哀しみを抱えながら生きています。そんな彼らを我々はどれだけ知っているのでしょうか。彼らの喜怒哀楽を理解する上で最適なのが、宗教とナショナリズムの問題だと思ったのです。同時代を生きる彼らの素顔を伝えたいと思い、このテーマを選びました。現代社会を生き抜くモンゴル人のたくましさを描き出すことが出来たと思っています。
――確かに本書を読んで、遊牧民的なイメージは一変しました。そもそもなぜ、現代モンゴルを研究しようと思われたのですか。
もともとテレビ番組の撮影スタッフとしてモンゴルに行ったのが、きっかけなんです。1994年の夏のことです。草原での厳しいロケを終えてふと空を見上げると、満天の星が広がっていました。それを見た瞬間、「ひょっとして俺は前世でこの国に生まれたんじゃないか」と思ったんです。今、思い返すと大いなる勘違いだったのかもしれませんが(笑)。そして番組の放送後に辞表を出しました。若いって怖いですね。
そうして翌95年、モンゴルに留学したのですが、その時に初めてシャーマンの儀礼を見たのです。動物の毛皮を着た人が巨大な太鼓を叩いて踊りながら、自らに憑依してきた精霊の言葉を伝える。しかし外から見ていても、何をしているのかさっぱりわからない。文化的な背景を知って内在的に理解したいと思い、現地の大学院で民族学を学ぶことにしました。ちなみに、私はモンゴルの大学院修士課程を出た最初の日本人なんです。
――前著の『ヒップホップ・モンゴリア』をきっかけに、シャーマニズムはヒップホップとの関連でも注目を集めるようになっていますね。
本書でも私は、シャーマンとヒップホップのラッパーが本質的には同じだという新説を唱えています。実はシャーマンもラッパーも、定型句を使いながら韻を踏むことで、無意識に言葉を紡ぎ出すという点では、共通しているんです。韻を踏んでいるうちに自然と言葉が出てくる。それを憑依してきた「精霊の言葉」と理解したり「フリースタイルラップ」と名付けたりしますが、要はやっていることは同じなんです。韻踏みは、意識することなく自動的に言葉を語らしめるテクノロジーだと言えます。
――あとがきで本書が「一区切り」だと書いておられました。今後はどんな研究をなさりたいですか。
チベット・モンゴル仏教の輪廻転生にまつわる人々の実践に興味があります。私がよく知る、あるモンゴル人女性が病気で亡くなったんです。29歳の若さでした。家族は悲嘆にくれました。モンゴルでは、人が亡くなると体のどこかに、今だとペンなどで印をつけます。生まれ変わりを探すための目印です。モンゴルの仏教では四十九日を過ぎると、人は近い親族に転生するとされています。亡くなって2年後、女性の妹に娘が生まれました。すると、なんと印をつけたところに痣(あざ)が。長女を失った両親は、娘が転生したと理解しました。それからこの家族の表情は明るくなりました。転生者には、家族から特に深い愛情が注がれます。こうして故人のことはあまり語られなくなっていきます。
輪廻転生はグリーフケアという点から見て、極めて優れた文化装置です。近しい人を失った悲しみが、新しい命に対する愛情へと自然に変換されていく。モンゴルでこのような事例を集めることで、何か日本人にとっても示唆に富む知見が得られるのではないかと思っています。
(『中央公論』2022年8月号より)
1969年愛媛県生まれ。国立民族学博物館准教授。早稲田大学法学部卒業後、テレビ番組制作会社に入社。退社後モンゴルへ留学。モンゴル国立大学大学院修士課程修了(民族学専攻)。総合研究大学院大学博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。滋賀県立大学人間文化学部准教授などを経て、2020年より現職。著書に『増殖するシャーマン』『ヒップホップ・モンゴリア』など。