評者:川勝徳重
ポテチ光秀(みつひで)は7年以上も、荒れ狂った老人たちを描き続けている。ウェブサイト「オモコロ」に発表された4コマ漫画「0円キャバクラ」を見てみよう。このような物語だ。
20年間、女性と話をしていない河川敷の老ホームレスが、悪友に誘われてデパートのサービスカウンターの女性のもとへ行く。悪友は大量の空き缶を彼女に渡してプロポーズするが断られ、怒った老人はその空き缶を喰らい、噛み砕く様子を彼女に見せつける。老人の口内は血まみれになり、悪友も彼女も「あ然。」となる。
ツッコミ所が多すぎる。一つひとつの描写の意味はわかるが、全体の因果関係は破綻している。極彩色に彩られたキャラクターたちが必要以上に生き生きとしているのも不気味だ。河川敷から、どうしてデパートで空き缶を喰らうシーンへとつながるのだろうか。個々の人物が「これしかない」という身振りで行動するため、読者は異様な出来事をそのまま受け入れるしかない。
表現形式や絵柄も型破りだ。4コマ漫画を読み慣れた人ならば、どうやって前述の物語の情報量を4コマに収めたのか気になるだろう。何てことはない。4コマとは名ばかりで、実際は10コマあるのだ。四つに均等に割られたコマはさらに細分化され、「あ然。」という文字は欄外に太字で書かれる。
現代の漫画家は、かつては編集者や印刷所の職域であった写植(文字入れ)や彩色までデジタル上で処理できる。漫画家の負担は増えたかもしれないが、一方、表現の幅は広がった。印刷技術に縛られないウェブ掲載ならば尚更だ。
前述の作品でも「夢すんなし」という台詞の「夢」に「ムリ」とルビをふり、別の漫画では存在しない文字(図参照)を使い、ギャグにしている(「第二の人生」)。他にもCLIP STUDIOという作画ソフト上で無料配布されている3DCGを配置しただけの作品(「春」)など、思い切ったこともしている。
顔の描き方に特徴がある。漫画家のショルダー肩美(かたみ)がかつて指摘したように、ポテチの描く横顔は、顔の正面を半分消したものと同じだ。作中の人物は、正面顔と横顔から構成されているため、いつもどこか読者の方をぼんやりと向いているように見える。また瞳のハイライト(瞳に反射する光)はいつも二つ描かれる。これは人物の感情なり視線の方向なりを示す記号でもあるため、二つ入ることで瞳の輝きは増し、表情は曖昧になる。近年ではクリエイターの「可哀想に!」が描く「おぱんちゅうさぎ」にもハイライトが二つ描かれている。
ポテチ作品を読んでいて、突然漫画の世界から現実に引き戻されることがある。それは暴力や犯罪、痛み、戸惑い、死によってもたらされる。空き缶を突然口に含む老人は、ファンタジーというにはどこか現実味があり、日常生活のバグを不意に目撃する感覚がある。それでいて不快にならないのは、作者の天賦(てんぷ)のユーモアもさることながら、登場人物の生き様への力強い肯定があるからだろう。
(『中央公論』2022年8月号より)