立花が一生を捧げたもの
筆者が詩に惹かれていたのは高校時代からだが、実は立花も大学時代に詩作を試みている。本書ではいくつかの習作を発掘しているので読者自身がその出来ばえを確かめてほしいが、彼が本格的な現代詩を目指していたことは疑いえない。
立花が詩人でもあったという事実は筆者には意外だった。先にも書いたように筆者は立花の文章に記憶に残る存在感が欠けていると感じていた。そこに「詩」の名残はまったくなかった。現職総理大臣を辞職に追い込んだ『田中角栄研究――その金脈と人脈』で本格的な調査報道を実践したジャーナリストとしての社会的名声を得た後、脳死や臨死体験など、いわゆる政治経済系ジャーナリストの選ばないものにまでテーマを広げたが、それらの作品の文章は、「詩」の対極に位置づけられる文体、つまり事実を端的に示し、主張を明確に、誤解なきように示す散文で綴られていることで一貫している。
そうした文体の一貫性を貫く縦糸として、ウィトゲンシュタインの冒頭の言葉があったのではないか。世界には語り得ないのに、誤って語られてしまっているものがある。その一方で、語り得るのに、いまだ語られていないものがある。ウィトゲンシュタインが『論考』で示した二分法に基づいて、もう一度、語り得ることと語り得ないことの境界線を引き直すこと。立花は一生をかけてその作業をしたのではなかったか――。それが本書の仮説である。
ウィトゲンシュタインの『論考』の一節は筆者などよりも、遥かに強く、深く、立花を感化していたのかもしれない。だから一度は詩人たろうとした立花は、語り得ない領域に触れる詩の言葉を弄ぶことを自らに禁じ、その自制の強さが彼に平易で読みやすいジャーナリズムの文体を選ばせた。そして、その文体こそが政治権力の闇を掘り起こし、生死の境界線を縦横無尽に探る武器となったのであり、古代文明から最先端の科学技術に至るまで多岐に及ぶ領域で調査と報道の仕事に携わって国民的ノンフィクション作家・評論家としての地位を確立させたのではなかったか。
そうした仮説の下に、没後に評伝を記すにあたって立花が何をどのように語り、何をどのように語り得なかったのかを明らかにしてみたい。それが宗教と格闘し、一度は詩人でもあろうとしたジャーナリスト・立花隆の人生の軌跡を整合的に示す方法になるのだと信じている。
そして立花もまた、語り得ないものを語ろうとして沈黙を破る禁を犯したこともあったろう。「詩」はかたちを変えて彼の仕事の中に実は紛れ込んでいる。その度合は晩年に至って増えてゆくように感じる。そのせいで逆に語り得るものを語りきれずに課題を残してしまったこともあったのではないか。後からゆくからこそ、先行者の迷いながらの足跡を辿り直せる面もあるだろう。そうして、これまで論じられることのなかった立花像を浮かび上がらせたいと思う。
(1) 刊行のタイミングから立花隆の二度目の東大時代(1967年〜69年)に目を通すことができた唯一の邦訳である藤本隆志、坂井秀寿訳(『論理哲学論考』法政大学出版局1968)を用いた。