大谷翔平選手は現代の武蔵?
齋藤 なるほど。それでタイトルが『チャンバラ』なんですね。たしかに整然と書かれた『五輪書』とは対極のイメージです。武蔵が剣豪として整う前の、言葉にできない身体知のようなものを爆発させていた時期を物語のメインに据えたと。
武蔵は二刀流が有名ですが、現代の二刀流といえば大谷翔平選手。少し前、同じくメジャーリーグで活躍する同い年の鈴木誠也選手が、大谷選手にバッティングについて聞いても教えてくれないから「ケチ谷」と呼んでいる、と発言して話題になりました。もちろんジョークですが、真に受けて考えてみると、大谷選手にとっては教えたくても教えようがないという部分があると思います。このあたりも武蔵と共通しているかもしれません。
佐藤 そうですね。結局、大谷選手のマネをしようとしても、ほとんどの選手はできないですよね。ただ、武蔵のマネはもっとできないと思います。
プロ野球の選手は、たいてい子どものころからチームのエース兼4番で、成長するとともにどちらか一方に絞っていったケースが多いと思います。だから素養はあるわけで、両方とも一流の成績を残せるかどうかは別として、やってできないことではありません。それを武蔵に当てはめると、刀と槍の両方の名手だったようなものではないでしょうか。これなら、追随する武士や浪人もいたかもしれません。
しかし、片手で刀を一本ずつ持つような芸当は、武蔵でなければ難しいでしょう。逆に大谷選手に当てはめれば、片手でバットを握ってホームランを打つようなもの。しかも右打席でも左打席でも、右手でも左手でも打てる。大谷選手でも、さすがにそれは無理ですよね。
齋藤 片手で刀を扱うのは、よほどパワーがないと難しそうですね。しかも左右で二本ですからね。
佐藤 そうだと思います。剣道の試合でたまに二刀流を使う方がおられますが、軽い竹刀だからできるのでしょう。真剣や木刀など、本当に殺傷能力のある武器を扱うとなると、相当な筋力と技術力が必要になるはずです。つまり、誰にでもできることではありません。
実は武蔵は若いころにも『兵道鏡』という兵法書を書いていました。そこでは、自身の技について細かく解説しています。しかし年齢を重ねるうちに、これは誰にもマネできないと気づいた。だから『五輪書』では、人に教えることを意識して、誰でもできる本質的な部分だけ抜き出して書いたのだと思います。
齋藤 たしかに『五輪書』は丁寧な書き方をしていますよね。「地の巻」以下、水、火、風、空の順に、基礎的な心構えや拍子のとり方、剣さばきなどを教えている。さながら教科書のようです。それに対して『チャンバラ』は、武蔵の荒ぶる魂のようなものを描いている。お話を伺っていると、『五輪書』から高尚な精神を学ぶのもいいですが、むしろ荒ぶる魂のほうがより現代に必要なのかなという気がしてきました。
今の日本は、全体的におとなしい空気に覆われていますよね。荒ぶる魂を押し込めて、とにかくリスクを排除しよう、余計な波風を立てないようにしようと誰もが神経質になっている。そういう雰囲気の中で育つ子どもたちも、とにかくおとなしくて品がいい。荒ぶってほしいとまでは言いませんが、それではたして世界と対峙できるのか、と不安に思うことがあります。
佐藤 本当にそうですよね。今の子どもたちが、周囲から突出することを嫌うという話はよく聞きます。だから自分の能力や個性を伸ばそうという意識も希薄だとか。大人もそうかもしれません。若いころの武蔵のような、何が何でも勝ちたい、目立ちたい、抜きん出たいという精神こそ、今の日本人にもっとも欠けているように思います。