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『批評回帰宣言──安吾と漱石、そして江藤淳』先崎彰容著 評者:酒井 信【新刊この一冊】

先崎彰容/評者:酒井 信(明治大学准教授)
批評回帰宣言──安吾と漱石、そして江藤淳/ミネルヴァ書房

評者:酒井 信(明治大学准教授)

 江藤淳は『保守とはなにか』で「保守主義とはイデオロギーではなく一つの感覚」だと述べている。保守思想とは「〜主義」や「〜イズム」のように党派的なものではなく、普段の「生活様式」の延長で自らの「既得権益の存在基盤」について考える、つまり「治者」の感覚を伴うものである。江藤の弟子の福田和也は、福田恆存(つねあり)の「伝統にたいする心構」を参考にしながら、それを「保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである」と噛み砕いて説明した。

 江藤と福田の批評家らしい「日常を文化とする心」に支えられた保守思想は、国際的にみればチャールズ・テイラーやマイケル・サンデルなどのコミュニタリアニズム(共同体主義)の考え方と遠くない。テイラーとサンデルは、ジョン・ロールズの『正義論』を批判し、コミュニティの多様性に立脚した「共通善」(アリストテレス)を模索した。倫理学の素養を持つ先崎彰容(せんざきあきなか)の立場もこれに近い、と私は考える。危機の時代に流行する「正義」は、「他人を否定することでしか自分の存在意義をつくりだすことができない」問題を抱えている。これと対峙する「批評」は「一定の場所に立ち、イデオロギーや正解を読者に語ることの困難を味わう」もので、「経験の成立条件を探求する、自己相対化の営み」に他ならない、と先崎は述べている。

『批評回帰宣言』という表題に戸惑う読者もいるかも知れない。批評というと、文系の学問の専門家からは「非学術的」と中傷されることも多い。ただ近年はアカデミズムの世界でも学際研究が推奨されており、学問を横断的に論じる「批評」は、国際的にも再評価されている。例えば批評家の柄谷行人は、2022年にアジア出身者として初めて「哲学のノーベル賞」バーグルエン哲学・文化賞を獲得した。

 先崎は、『維新と敗戦』や『本居宣長』などの著作で、日本の歴史や思想の「古層」を掘り起こしつつ、危機と変革の時代における「日本」ないしは「日本人」の価値観を模索してきた。本作では1941年に小林秀雄が記した「歴史と文学」を引きながら、文学青年の自死よりも乃木希典の自死の「健やかさ」を評価している。「虚無と虚空でしかなかった自己のなかに、歴史という時間を注ぎ込み、日本文化によって真っ白だったキャンバスに色彩を施していくのだ」と。この本で先崎は「日本文化」によって彩られた「カラフルな未来=歴史」への参加を呼びかける。

 保守思想を「ネット右翼」のような「排外主義」と誤解している人は多い。しかし玄洋社を設立した大アジア主義の頭山満(とうやまみつる)も、朝日新聞社で拳銃自殺した民族派の野村秋介も、在日ヤクザの友人との交流を回想した『友情』を記した西部邁(すすむ)も、異なる文化共同体の営みを尊重し、「排外主義」に反対する「保守」の思想家・活動家だった。

 本作によると、このような保守思想は、福澤諭吉が『福翁百話』で知識人の責任として説いた「行き過ぎを制し、濁流のように荒れ狂う世間の情勢を制すること」にも通じる。坪内祐三と福田和也の対談本のタイトルを借りれば「正義はどこにも売ってない」のだから、「保守」の立場をとる批評は「荒れ狂う世間の情勢」の中で、「自己相対化」に耐え、日常を文化としながら、「カラフルな未来」に向けて「共通善」を模索し続けるより他ないのだ。


(『中央公論』2024年12月号より)

中央公論 2024年12月号
電子版
オンライン書店
先崎彰容/評者:酒井 信(明治大学准教授)
【著者】
◆先崎彰容〔せんざきあきなか〕
1975年東京都生まれ。日本大学危機管理学部教授。東北大学大学院文学研究科日本思想史博士課程単位取得修了。博士(文学)。専門は倫理学、思想史。著書に『ナショナリズムの復権』『未完の西郷隆盛』など。

【評者】
◆酒井 信〔さかいまこと〕
1977年長崎県生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。専門は文芸批評・メディア文化論。著書に『現代文学風土記』『松本清張はよみがえる』など。
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