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「変」とは、普通とは、どういうことか【新刊この一冊】

北村匡平/評者:大野裕之(日本チャップリン協会会長)
家出してカルト映画が観られるようになった/書肆侃侃房

評者:大野裕之(日本チャップリン協会会長)

 著者は映画研究者で大学の准教授だが、そこまでの経歴が面白い。高校卒業後、ミュージシャンや俳優として活動。やがて映画で主演をつとめるようになったが芸能活動をすっぱりやめて、20代半ばで学問の道を志す。本書は、そんな半生で得た経験を軽快かつ生真面目な筆致で綴ったエッセイ。

 地方の公務員家庭を飛び出して、感性の赴くままに表現活動に没頭し、バイトでお金を貯めては放浪の旅に。ギターを担いでのヒッチハイクの途中で触れた人の温もり、海外約30ヵ国での見知らぬ人々との交流。ノープランな旅だからこそ、SNSでバズった場所で写真を撮る作業に堕してしまった昨今の「旅行」からは得られない体験がある。

 著者は、前著『遊びと利他』において、遊具から危険性を排除した結果、決められた遊びしかできなくなった皮肉な状況を論じたが、その問題意識は本書にも通底している。コスパ・タイパの世の中で「余白」が失われた。著者の専門分野のメディアでも、今や多くの人が映画を倍速視聴し結論へのレールを急ぐ。遊びのない遊具、学びが得られない学校、経験をもたらさない旅。メディアすら多様な情報の媒介者(メディア)であることを放棄してしまい、決まったことしか伝えない。そんな惨状を、著者は人生をさらけ出して警告する。

 と、思わず堅苦しいことを書いたが、本書の特徴は、著者の人生と同じくノープランなところ。何らかの順を追って語るわけでもない。音楽の話やネコの話。アルバイト体験談に、娘の頭を勝手に撫でたおっさんへの怒り......。いわば放課後の部室でのゆるゆるな、でもとても本質的な会話に参加している気分で、読んでいるうちに新しいアイディアを思いついて行動したくなる。本書自体が多くの思考をもたらしてくれるメディア=余白のような一冊だ。

 そんな楽しい本だが、読後に少しモヤモヤした。よく考えると著者はそこまで変ではないのだ。30ヵ国を旅した人は他にもいるし、かく言う私も浪人時代にイギリスを放浪した。著者は家の外と中とで靴下を履き替える妙な習性を告白しているが、京大には靴を冷蔵庫で冷やしている教授がいた(ここで変人バトルしてもしゃあないけど)。

 著者は27歳で日本の大学に入学した時、一人だけ年長で溶け込めなかったが、留学先のアメリカでは人種も年齢も幅広く、逆に居場所を感じたという。表現活動を頑張って、本当に勉強がしたくなった時に大学に入るのは普通のことだ。要するに、やりたいことをやっている人を変人扱いする世間の方が異常なのではないか。

 そういえば、『帝国で読み解く近現代史』(岡本隆司・君塚直隆著)を読んでいたら、「文明は変な連中がうようよしているところで発展する」という部分が印象に残った。自分と違う存在にぶつかり交流して文明は生まれるわけで、異なった思考を排除し、他国へのヘイトを煽り、画一化する日本が先進国から脱落したのも納得だ。

 レール通りに歩む人(それはそれで立派なことだ)に、今さら変人になれとは言わない。でも、レールを踏み外すこともまた普通の生き方であることは覚えておきたい。本書は手軽に変人に出会えて文明人になるためのガイドブックだ。

(『中央公論』2025年7月号より)

中央公論 2025年7月号
電子版
オンライン書店
北村匡平/評者:大野裕之(日本チャップリン協会会長)
【著者】
◆北村匡平〔きたむらきょうへい〕
映画研究者/批評家。1982年山口県生まれ。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は映像文化論、メディア論、表象文化論、歴史社会学。近著に『遊びと利他』『椎名林檎論─乱調の音楽』など。

【評者】
◆大野裕之〔おおのひろゆき〕
1974年大阪府生まれ。京都大学大学院後期博士課程所定単位取得。演出家・映画プロデューサーとしても活動。2015年、『チャップリンとヒトラー』で第37回サントリー学芸賞を受賞。近著に『チャップリンが見たファシズム』など。
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