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浅田 彰「私が見てきた昭和――熱い60年代、冷めた70年代、そしてニューアカブーム」

浅田 彰(京都芸術大学教授)
写真提供:photo AC
(『中央公論』2025年1月号より抜粋)
  1. 「戦後ではない」の翌年に生まれて
  2. 昭和と令和、二つの万博
  3. モダンを突き破る「太陽の塔」

「戦後ではない」の翌年に生まれて

 昭和100年の特集に合わせてふだんは使わない元号でいえば、僕は昭和32年の生まれで、64年までの昭和の後半を生きたことになります。

「経済白書」が序文に「もはや戦後ではない」と記したのが昭和31年ですが、その翌年に生まれ、昭和43年まで愛媛県松山市で過ごした僕の少年期は、まぎれもなく「戦後」そのものでした。風呂は焚き木で沸かし、トイレは汲み取り式でバキュームカーがし尿回収に回ってくる。冷蔵庫もはじめは上段に氷を入れて冷やす木製の箱で、途中から家庭電化製品が急速に普及した。現代の日本人の目には「なんと野蛮な未開社会か」と映るでしょうが、裏を返せば1960年代以降の近代化が急激だったということでもあります。

 僕は一人っ子ですが、母の7人の兄弟姉妹のうち兄2人が戦死し、子どもたちに期待をかけていた祖父は落胆のあまり事業に失敗して没落してしまったんですね。だから親族が集まると必ず戦争の話になり、勝算のない戦争に突入していった軍部への抑えようのない怒りと、それをどうすることもできなかった自分たちへの絶望が吐露された。間接的とはいえ、昭和の戦前・戦中期を体感しながら育った少年期でした。

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