二〇〇八年十二月九日、中国のインターネット空間に衝撃が走った。中国共産党の一党独裁を「党の天下」と名付けて糾弾し、三権分立に基づく立憲民主制の枠組みの下で、中華人民共和国ならぬ中華連邦共和国を樹立すべきだと訴えた「08憲章」なるものが出現したからである。起草の中心人物は劉暁波。国家政権転覆煽動罪で二〇一〇年二月九日に懲役一一年の実刑が決まり現在服役中だ。その劉暁波氏が十月八日にノーベル平和賞を受賞した。それに対して中国政府は猛烈に反発している。本稿では「08憲章」とは何かという説明から始め、誕生の背景、影響および国内事情などを考察して、今後の姿を展望したい。
「08憲章」とは何か
まず、なぜ「08憲章」という名称が付いているかというと、二〇〇八年にネット公開したからである。正式には「零八憲章」だが、ここでは便宜のため「08憲章」で統一することとする。発布の日付は二〇〇八年十二月十日。しかし起草者に身の危険が迫っていることが予感されただけでなく、発表自体も危ぶまれたため、前日の九日に公開された。その懸念は的中し、劉暁波氏は八日に拘束され、その翌日から彼の家も厳重な監視下に入る。間一髪の判断で日の目を見たという、最初からギリギリの滑り出しだったといえる。
「08憲章」は「まえがき」「われわれの基本理念」「われわれの基本的主張」「結語」から構成されている。
「まえがき」にもある通り、二〇〇八年は中国立憲一〇〇周年、「世界人権宣言」公布六〇周年、「民主の壁」誕生三〇周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名してから一〇周年に当たる年である。その意味で、後に述べる社会情勢、特にネット言論の盛り上がり以外にも、二〇〇八年に発表する十分な理由があった。特に十二月十日を発布日としているのは、世界人権宣言の一九四八年十二月十日に合わせたかったからだろう。
「まえがき」ではさらに、中国が改革開放により経済発展を遂げ、二〇〇四年の憲法改正により「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだり、また二〇〇八年に「国家人権行動計画」を制定し実行することを約束したりなどしたが、「こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている」としている。
「われわれの基本理念」では、「自由、人権、平等、共和、民主、憲政」に関して理念を掲げ、憲法で文言上は保障されているはずのものが、実際は共産党と政府の管轄下における自由と権利でしかないことを指摘している。
「われわれの基本的主張」では「権力分立(三権分立)」「司法の独立(共産党の管轄下からの独立)」「公器公用(軍隊が共産党の管轄下にあることを批判し、国家化を主張)」「公民教育(一党統治への奉仕や濃厚なイデオロギー的色彩の政治教育と政治試験廃止)」などを中心として、一九項目にわたって言論の自由や人権保障を主張している。
中でも注目されるのは一八番目の「連邦共和」に関する主張に「責任ある大国のイメージを作る」と「立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する」という文言があることだろう。「中華人民共和国」という国名の中の「人民」が「共産党」に置き換えられているという批判が背後にある。これは憲法の「国家転覆」の罪に抵触するであろうことは容易に想像がつく。
「結語」では「政治の民主改革はもう後には延ばせない」と結んでいる。
「08憲章」発表の背景
「08憲章」が誕生した二〇〇八年は改革開放から三〇周年の節目でもあった。その前年にネットパワーが爆発したこともあり、その分だけ政府によるネット検閲が激しくなった年でもある。
それを証明するかのようにネット空間で秘かに出回っていたリポートがあった。それは「維権網」(Chinese Human Rights Defenders、人権保護サイトhttp://crd-net.org/)という人権保護組織が調査し二〇〇八年七月十日に発表した「官民争奪網絡空間又一年─中国網絡監控与反監控年度報告(2007)」だ。簡単に言えば「ネット空間官民争奪戦」ということになろうか。中国政府側が、どのような検閲を行っているかを暴露したリポートで、中国国内では特殊技術を使ってアクセスするか、あるいは海外からアクセスする以外にない"GFW BLOG"というページに載っていた。「GFW」とは"Great Firewall of China"の略称で、「中国」という国家のネット空間の周りに築かれた、世界一強力なファイアーウォール(防火)のこと。「万里の長城(Great Wall of China)」になぞらえて、「中国防火長城」「中国防火」とも呼ばれている。その目的は、主として「敏感な政治内容に言及しているウェブサイト」「IPアドレス」「政治的に"有害"なキーワード」およびその「URL」等を検知しフィルタリングすることにある。もちろん青少年に有害な猥褻情報を遮断する役目をしているのはいうまでもない。これにより、あるサイトは永久に封鎖され、あるものは臨機応変に検閲されて削除される。つまり「自動検閲」システムである。
なぜ二〇〇七年にネット検閲が強化されたかというと、「十七大」(中国共産党第一七回全国代表大会)が開催されたからである。胡錦濤にとっては国家主席として二期目を迎える非常に重大な大会であったため、いかなる社会問題も起こさずに無事に過ごすことが不可欠だった。
検閲のあまりの激しさに、ネットでは「私たちは個人の尊厳を享受したいと望んでいる。私の文章はネット警察によって消されてしまったが、尊厳のために我々は"ネット蜂起"を起こそうではないか!」(ハンドルネーム:漢尼抜、発表日:二〇〇八年七月二日)などという書き込みもあり、ネット言論検閲への不満は爆発寸前だった。そうでなくとも貧富の格差が大きいだけでなく官が大企業と結びついて特権をほしいままに享受し私腹を肥やしている現状に中国の庶民は大いなる不満を抱いている。そのため網民(ネット市民)は庶民の代弁者として改善を求める膨大な書き込みを行っているのだが、"有害ワード"が次々と検閲に遭い削除されていく。「これが民主と言えるのか」「言論の自由は与えられるものか、それとも勝ち取るものなのか」といった網民の不満が「08憲章」誕生のネット環境にはあった。