それとほぼ同時期の日本でも、橋本政権以降、新自由主義者たちによって進められていた、銀行・証券会社の縄張りを廃し相互参入を許す規制緩和、いわゆる金融ビッグバンが行われることになった。
ドッド=フランク法は骨抜きにされるか
二〇〇〇年代前半、住宅資産のバブルにリードされた資産市場の(永遠に続くと思われた)右肩上がりの波に乗り、米国のあらゆる銀行が"ギャンブル活動"を大きく拡大させた(イギリスのある銀行やドイツのドイチェバンクも一生懸命それを追いかけ、日本やその他のヨーロッパ大陸の銀行はより慎重に追いかけた)。やがて住宅バブルが弾け、資産市場の価格下落(特に金融派生商品、証券、住宅ローンなどの無形の資産)が始まると、大損して倒産する銀行も出てきた。しかしアメリカの金融当局(財務省、FRB〔連邦準備制度理事会〕、SEC〔証券取引委員会〕)には、「Too big to fail(大きすぎて潰せない)だから政府が助けてくれるだろう」というモラル・ハザードの思想を排し市場原理主義を貫徹させるため、死ぬべきものは死なせるべきだとの声が強く、ベア・スターンズとリーマン・ブラザーズを倒産させた(ベア・スターンズはJPモルガンが救済買収)。ところが、リーマン・ブラザーズ倒産の翌日、次に危ないのは、さらに大きいAIGだということが明らかになり、さすがの市場原理主義者たちも金融制度の大崩壊を恐れて、大量の公的資金を注入してAIGを救うことにした。TARP(不良資産買い取りプログラム)によって、同じような公的資金が他の銀行へも供給された。
リーマン・ショックにより、機能不全に陥っている米国の金融制度を何とかしなくてはならないという意識が高まり、二〇〇八年にG30の会合が開かれた。このG30とは非公式な国際機関で、金融界、学界、官界の専門家三〇人で構成されている。現会長は、カーター、レーガン政権下でFRB議長を務めたポール・ボルカー。
この会合での最も重要な提言は、「グラス=スティーガル法を復活すべし」だった。ただし、アメリカ人は過去に戻るのが嫌いだから、その後、グラス=スティーガルの名前は出てこなくなり、「ボルカー・ルール」が議論の中心となった。オバマ政権の経済再生諮問会議議長でもあるポール・ボルカーの名のついた「ボルカー・ルール」とは、一般国民の預金を預かる商業銀行に対して、自己資金による高リスク商品への投資を禁止するものである。これによって銀行は、退屈な「普段着型」の銀行でいくか、投機的ギャンブルがいくらでもできる派手な「カジノ型」の銀行になるか、二者択一を迫られることになる。
リーマン・ショックの衝撃はあまりにも大きく、ゴールドマン・サックスの前CEOを財務長官にするほどウォール街と癒着している共和党も、新しい規制の必要を認めざるを得なかった。ところが、下院の民主党議員バーニー・フランクがボルカー・ルールを含む金融規制法案を議会に提出したところ、共和党は猛烈に反対し、押し切るためには大変な努力と、ある程度の譲歩を必要とした。苦労の末に成立したのがフランクと上院のクリストファー・ドッドの名を冠したドッド=フランク法であり、この法律はボルカー・ルールを強制する条項を含んでいる。
グラス=スティーガル法が成立した当時と比べると、今の世の中はずいぶん複雑になった。グラス=スティーガル法は三〇ページだったのが、ドッド=フランク法は二〇〇〇ページ以上にも及ぶ。二〇一二年までに細かい規則を行政官が書かなければならないのだが、それに対するウォール街のロビー攻勢にはすさまじいものがある。そのバックには、議会で勢力の強い共和党がいる。
ウォール街占拠運動がどれだけ広がるか、思慮不足の不満分子や右翼が送り込む暴動扇動家がいても一般市民の同情を失わないですむか、政治家はどう影響されるのか、ロビー活動家対行政官の勝ち負けはどうなるか等々は、単に見守るのが面白いだけでなく、世界経済の行く末を占ううえでもきわめて重要なことである。