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ギリシアと民主主義の「報復」

時評2012
野中尚人(政治学者)

 ヨーロッパが大揺れに揺れている。ほんの数週間前まで、ユーロ圏のソブリン債務危機は既に収束したかに見えていたのが、夢のようである。

 五月六日に総選挙が実施されたギリシアでは、選挙後の組閣ができず、結局六月十七日に再選挙を行うことになった。この先は極めて不透明である。しかし恐ろしいメッセージが明らかになった。いわばギリシアと民主主義の「報復」である。

 ギリシアはユーロ圏に留まれるのか、離脱という大ショックが起こるのではないか。残されている巨額のギリシアの債務は、結局踏み倒されるのではないか。EUとユーロは、数世紀来の国際秩序の根幹であった国民国家システムを超克するための、いわば先進の知恵と努力を結集した成果であった。それが、やや失礼な言い方だが、あの小国ギリシアによって崩壊の危機に直面しているのである。事態は複雑、そして深刻である。

 選挙で躍進した急進左派連合のツィプラス党首は、組閣作業でEUなどと結んだ救済支援条件の遵守派との一切の妥協を拒否した際、次のように語っている。「国民がドアから蹴りだしたボールを、窓から入れるようなことはできない」。選挙において国民が示した選択、つまりはこれ以上の財政緊縮政策と、それに伴う耐乏生活を拒否するという選択は「神聖」なものであり、それを政治リーダーたちが事後の話し合いでなし崩しにすることは決してあってはならない、という主張である。

 確かに、ギリシア財政と金融は崖っぷちにある。しかし、「リーマン後」という厳しい経済環境の下、緊縮策は一層の景気低迷と税収の低下を引き起こし、結局さらなる緊縮策が避けられないという悪循環に陥っている。国民は疲弊し、怒り、そして国から逃げ出そうとしているのである。選挙で示された民意は、まさに既成政党に対する怒りの爆発だった。

 それにしても、ギリシア人は一体何を望んでいるのか。それは果たして適切に投票行動に表れたのか。いや、そもそもギリシア人は、選挙での投票を通じて何らかの政策を実現しようとしたのだろうか。世論調査によれば、国民の七五%はユーロへの残留を希望している。しかし同時に、EUの救済条件を支持する既成の「主要」二政党の合計得票率は約八〇%から三〇%へと激減した。まるで、多くの国民は、「厳しい緊縮」政策の実行という国際的な約束を守らなくても、EUからの支援は得られ、従ってユーロ圏に留まることも可能だと考えているかに見える。

 むろん、政治や経済について多少の「常識」を持ち合わせている人ならば、これがいかに非常識な話であるかはすぐにわかる。気の遠くなるような借金の「踏み倒し」を「債務の再編」と称して許してもらっただけでなく、今また「残りの借金を棒引きにしろ。だけど、今までと同じように仲良くしよう」というわけである。しかも、問題とその解決策はギリシア側にあるのではなくEUの側にあると言わんばかりの論調は、もはやとても普通の話ではなくなっているように思える。

 ただ、同じ五月六日には、フランスで社会党のオランドが大統領に当選し、緊縮一本やりだったサルコジに取って代わった。オランド新大統領は、就任直後にドイツのメルケル首相と会談してドイツとの連携重視の姿勢をアピールしつつも、軸足を成長政策へと移すことを主張している。そして、G8においてもオバマ大統領と連携し、流れの変化を印象づけることに成功した。

 しかし、再選挙の後、ギリシアが抜本的な再交渉を要求してきた時、一体何が起こるのだろうか。ミニ・マーシャル・プランなのだろうか。それとも、EUの仕組みを使ったインフラ投資など、何らかの景気刺激策なのだろうか。しかしそれでも、銀行の取り付け騒ぎや緊急の返済猶予といった大混乱は本当に避けられるのだろうか。

 今、ギリシアをめぐって問われていることは、まさに民主主義の本質に関わることである。マーケットのスピードについていけるのか。EUの枠組みと国民国家の選挙の仕組みは、ずれていないのか。一体、選挙とは冷静な判断なのか。

 かくて、「真実の瞬間」、つまりいかなる言い訳も先延ばしもない、本当の厳しい選択の瞬間が迫っている。そしてそれは、ギリシア国民自身にかかっているのである。民主主義の生誕の地ギリシアは、今、再び民主主義の真価を問う正念場に立たされている。ヨーロッパ全体を否応なく巻き込みながら。

(了)

〔『中央公論』2012年7月号より〕

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