リーマンショック以後の経済政策の失敗としては、あまりに多額の景気対策経費が在庫超過を生んでしまったり、資金が不動産に流れてしまったことなどがあるが、昨今では、経済発展にともなって発生する問題が多く指摘されるようになっている。それがPM2・5などをめぐる環境問題、あるいは食の安全の問題である。これらの問題にも政府は対処を約束したが、経済成長のもたらす負の影響に対応する即効性のある技術を十分に持ち合わせていないのもまた、中国の現状なのである。
このような社会・経済問題をめぐる不満や不安とバランスをとるように、対外政策や軍事安全保障の面での政策の変化も目立ち始めている。
対外政策の面では、アメリカとの間で「新たな大国間関係」を想定し、大国間協調を掲げているが、隣国との関係を示す周辺外交の領域では、自らの影響力の大きさを自任している。まさにグローバルな外交空間と、自らの庭先に対する外交とを区別する戦略を採用しているのである。また周辺との関係でも、経済面での関係を強化しながら、主権をめぐる問題では一歩も譲歩しないという姿勢を明確に示している。これは、世界第二の大国として国際的な評価を得つつ、経済面、あるいは政治外交面で周辺諸国に影響を及ぼし、国内の不満を和らげたいという、国内外からの多様な要請に応じた政策ともなっている。
これに応じて、中国は軍事や安全保障面でもその政策を調整している。日本のメディアでは、中国政府が軍事費を一二%以上増大させるとしたことや、習近平国家主席の下に軍事安全保障面での権限を集中させたことに注目が集まった。前者は中国の軍備拡張政策の象徴として見なされており、後者は国内の知識人などからの批判にさらされるなかで、習がまずは軍を掌握したとの言説に結びついている。
だが、ここで重要なことは、中国がどのような軍事改革をおこなおうとしているか、また習近平がそれをおこなえるのか、ということである。軍事改革の内容については不分明な点も多いが、一般的に、ますます重要性が増す海軍や空軍に重点的に経費を配分すべく、陸軍の経費を「合理化」することを意図しているようにも思われる。昨年以来、退役軍人に関する諸制度を整備してきたことなどから類推されることでもある。
もともと、革命軍として成立した人民解放軍は、陸軍中心であり、また本来は関連企業など多くの下部組織を有していた。一九八〇年代後半の改革では、このような下部組織たる企業などを切り離し、近代的な普通の軍隊となったが、二十一世紀に入り、あらためて現代的な軍隊に改組しようという狙いがあるのであろう。習近平が、胡錦濤らのできなかった陸軍の合理化という課題を克服できたとしたら、小平らがそうであったように、人民解放軍を勢力基盤とする国家主席が再登場することに繋がるのかもしれない。
日本の立場は、このような中国政府の立ち位置、政策の変化のなかできわめて難しいと言わねばなるまい。日本が中国との間で歴史認識問題を抱えていて、それが中国の国民感情に火をつけやすいということもある。また、この問題は、これまで長期にわたって続いているものでもある。また、中国経済がGDPの面で日本経済を追い抜き、少なくとも規模の面では中国が世界第二の経済大国となったことも、今や所与の条件である。
他方、ここ数年で生じている変化は、対中政策の面で先進諸国の中でも、周辺諸国の中でも例外的になってきている、ということだ。具体的には、G7の中で中国と主権問題を抱え、その周辺外交の対象になっているのは日本だけである。そのため中国の協調外交に接している先進国は、中国の強い外交を皮膚感覚で知っている日本の立場とは異なる。またその皮膚感覚を共有する周辺国の中で、中国と敵対可能な力を持つ国は日本くらいなのである。
そうした意味では、日本は中国の対外政策の大国外交においても、周辺外交においても、例外的なターゲットになり、不協和音を生じやすくなる。また、海や空に重点とした軍事力の拡大は、東シナ海で対峙する日中関係に影響を与えることになる。
日中関係は構造的に厳しい局面に入っているのである。ただし、たとえ対外政策や軍事安全保障面で対日関係が難しくても、中国が直面する社会・経済問題で日本が協力できることは少なくない。日中関係の改善は、中国の国内政策における重点の置き方やプライオリティに大きく関係する、と考えられるのである。
(了)
〔『中央公論』2014年5月号より〕