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ヴァンス米副大統領が創出した「神話」の力 『ヒルビリー・エレジー』を読み解く

髙村峰生(関西学院大学教授)
写真:stock.adobe.com
 トランプ米大統領を上回る過激な「アメリカ第一主義」的言動で、存在感を高めつつあるJ・D・ヴァンス副大統領。彼の名を世界に広めたのが、2016年に刊行した自伝『ヒルビリー・エレジー』だ。実のところ必ずしも「ヒルビリー」的な生い立ちとは言えないヴァンスが、どのように自分の人生を編集して共和党支持者の心をつかむ神話を創出したのか。英米文学、比較文学研究者の髙村峰生・関西学院大教授が読み解く。
(『中央公論』2025年7月号より抜粋)

「正しくないからこそ愛する」

 彼のヒルビリー性を支える重要な要素は「音声」である。第2章冒頭で、ヒルビリーたちは「ふだん使っている単語に自分たち流のアレンジを加えることを好む」とヴァンスは説明する。たとえば、さきほどの引用中の「谷間」という語は、標準英語では「ホロウ(hollow)」なのに対し、ヒルビリーにとっては「ハーラー(holler)」である。この音声的な差異が、ヒルビリー的アイデンティティを構築する。『ヒルビリー・エレジー』の神話的人物たる祖母についても、ヴァンスは同じ段落で"Mamaw"は「ママウ」と発音するのだと説明している。このような方言による特徴が、ヴァンスのヒルビリー性を保証するのだ。

 このヒルビリー的音声と対比されるのが、テレビのニュースキャスターが話すときの「TVアクセント」とされるものだ。母が家庭内暴力の罪で起訴される(被害者はJ・D)事件が第5章で描かれるが、J・Dは法廷で初めてこの標準的なアクセントをテレビ以外の場で聞く。結局、J・Dの弁護によって母は刑務所に入ることを免れるが、ここでのJ・D少年の重要な気づきは、この世界には自分たちに「似ている人たち」と「似ていない人たち」がいるということである。


 私がそれ以前に訪れていた南部と中西部の工業都市は、それぞれ地理的には隔たっていて、地域経済の構造も異なるものの、結局のところいずれの都市も、外見も行動もうちの家族とあまり変わらない人たちの住む土地だった。祖父母をケンタッキー東部からオハイオ西部へと連れていったのと同じ、ヒルビリー・ハイウェイにある都市だったのだ。


「ヒルビリー・ハイウェイ」というのは、1900年代から70年代にかけて、貧困に陥ったアパラチア住民たちが中西部の工業諸都市へと移動したルートを指している。ヴァンスはこの拡散的なイメージを利用して、「ヒルビリー」という概念をアメリカのかなり広い地域に住む、自分に「似ている」と直感的に思える人にあまねく適用する。この単純で受け入れられやすい構図は、共和党支持者たちを団結させる政治的神話性を帯びている。

 ここで重要なのは、ヴァンスは自分に「似ている人たち」を褒めているわけではない、ということである。それどころか、彼はヒルビリーには殺人や殺人未遂、幼児虐待、薬物乱用が起きているということを素直に認める。しかし、その一方でこの物語に「悪人はいない」と請け合い、「私は彼らを愛している」と言う。これは愛国心や愛郷心によく見られる逆説である。道徳的に正しくないにもかかわらず――あるいは正しくないからこそ――対象を愛するときに、その愛はより強固なものとなる。ヴァンスのルールでは、「正しい」ことよりも「似ている」ことのほうが愛に値するのだ。これとは全く裏返しの理由によって、ヴァンスはオバマを嫌う。というよりは、「私たち」がなぜオバマを嫌うかを説明してみせる。


 私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。ニュートラルでなまりのない美しいアクセントは聞き慣れないもので、完璧すぎる学歴は、恐怖すら感じさせる。(中略)バラク・オバマは、ミドルタウンの住民の心の奥底にある不安を刺激した。オバマはよい父親だが、私たちはちがう。オバマはスーツを着て仕事をするが、私たちが着るのはオーバーオールだ(それも、運よく仕事にありつけたとしての話だ)。オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女を嫌うのだ


 もはや構造は明確だろう。こうしたことは、「政治的正しさ」に対する反動だ。ヴァンスは正しい人を正しいからこそ嫌い、正しくない人を正しくないからこそ愛するのだ。ここには情動的な価値の転覆がある。ヴァンスは、「黒人」の「女性」という二重のマイノリティの立場にある「オバマの妻」――ミシェルの名を知らないはずはないだろうに――の「正しさ」を嫌悪している。

 トランプもまた同じロジックによって、「忘れられた人々」を「愛している」ことを地方遊説で何度も訴えてきた。政治的情動の源泉はここにある。時代に愛されなかった経済的に困窮している人々、正しくすらない人々こそ、愛される必要がある。このロジックはトランプ支持者たちにも確実に伝染している。2024年、トランプが四つの事件で起訴された「正しくなさそうな」人間であるにもかかわらず――あるいはだからこそ――支持者は彼を愛したのである。トランプが自分の弱点を隠そうとしないのは、それがそのまま自らの神話性を高める強みであるからだ。トランプと『ヒルビリー・エレジー』は並行する現象である。

(『中央公論』7月号では、この他にもヴァンスの「ヒルビリー性」についての疑問や、「ヒルビリー」の地元であるアパラチア地域からの『ヒルビリー・エレジー』に対する批判、ヴァンスら現代アメリカ保守勢力にトールキン『指輪物語』が及ぼした影響などについて詳しく論じている。)

中央公論 2025年7月号
電子版
オンライン書店
髙村峰生(関西学院大学教授)
〔たかむらみねお〕
1978年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で博士号取得。神戸女学院大学准教授などを経て現職。専門は20世紀英米文学、比較文学、表象文化論。著書に『接続された身体のメランコリー』などがある。
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