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『JTB時刻表』創刊から100年、当時の時刻表を読み解く

原 武史(明治学院大学名誉教授)
写真:stock.adobe.com
(『中央公論』2025年7月号より抜粋)

画期的な『汽車時間表』

 いま手元に鉄道省運輸局が編纂し、日本旅行文化協会が発刊した『汽車時間表』大正14年4月号がある。定価は50銭。大正14年は1925年だから、ちょうど100年前に発売されたことになる。

 それまでも時刻表に相当する定期刊行物は発売されていた。鉄道省などが検閲し、旅行案内社が刊行していた『公認汽車汽船旅行案内』がそれだ。だが『汽車時間表』は以下の点で画期的だった。

 まず、鉄道省自身が検閲ばかりか編纂までしていること。鉄道省編纂の時刻表は『汽車時間表』『時間表』『時刻表』と名称が変わり、1945(昭和20)年9月号からは日本交通公社刊行の『時刻表』に、49年の日本国有鉄道発足以降は国鉄が監修する『時刻表』になった。現在の『JTB時刻表』がこれに当たる。

 編集方針も大きく変わった。それまでは一般の書物と同じく右開きで、右から左に向かって列車の時刻が漢数字で示されたのに対して、『汽車時間表』は左開きで、巻頭に植民地を含む全国の「鉄道線路略図」が入り、次いで各線のダイヤが順に掲げられる。どの頁も上から下に向かって列車の時刻が算用数字で表示されている。

 当時は24時制でなく12時制が採用されていたため、午前の時刻は細字、午後の時刻は太字で示されている。それでも『公認汽車汽船旅行案内』に比べると見やすく、現在の『時刻表』に近くなっている。

 巻頭の「鉄道線路略図」を見ると、東海道本線、東北本線、山陽本線、函館本線、北陸本線などの主要幹線は全通している。当時は現在の肥薩線経由ではあるが、鹿児島本線も全通している。その一方、紀伊半島にはまだ鉄道が通じておらず、徳島県や高知県の鉄道も他県とつながらず孤立している。

 国有鉄道や私鉄の路線網が発達した東京、大阪、福岡県の筑豊の三地区に限り、近郊区間の拡大図が挿入されている。東京では上野と両国橋(現・両国)のターミナルが独立していて、まだ神田や御茶ノ水とつながっていない。隅田川を越えて都心に乗り入れている鉄道は常磐線だけだ。現在の小田急小田原線、東急東横線、西武新宿線などの私鉄は開業していない。

 一方、大阪では、現在のJR大阪環状線の西九条─今宮間などが未開通のほかは、現在に近い路線網が確立されている。特に私鉄の発達が目覚ましく、「私鉄王国」の骨格が出来上がっている。

 炭鉱の閉山に伴い、多くの線が廃止されてしまった筑豊でも、当時は国有鉄道や私鉄がいくつもの炭鉱と港の間を結んでいたことがわかる。筑豊ほどではないにせよ、北海道の石狩炭田でも函館本線や室蘭本線の駅から支線が延びている。これらの地方では、鉄道の主な役割が旅客ではなく貨物の輸送にあったことがうかがえる。

(『中央公論』7月号では、戦前の特急「櫻」「富士」「あじあ」、時刻表に見られる戦争の影、新幹線開業、国鉄解体とJR発足など、時刻表100年の歩みを綴っている。)

中央公論 2025年7月号
電子版
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原 武史(明治学院大学名誉教授)
〔はらたけし〕
1962年東京都生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程中退。専門は日本政治思想史。山梨学院大学助教授、明治学院大学教授、放送大学教授などを歴任。『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞)、『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『戦後政治と温泉』など著書多数。
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