瀕死の厚労省
昨年辺りから、霞が関のブラックな働き方に関する報道が増えてきた。私自身も幾度となく新聞、雑誌、TV番組などで話をさせていただいた。そうしたところ、今般の新型コロナウイルス感染症の問題で役所が機能しなくなっているのではないかとの懸念が広がってきた。特に、コロナ対応の中心となる厚生労働省の疲弊は著しい。
厚労省の入る霞が関の合同庁舎五号館の二階に大きな講堂がある。その巨大な部屋が新型コロナ対策本部になっている。最盛期は他省庁からの応援組も含めて五〇〇人規模の職員が詰めており、講堂に収まり切らず同じ建物の環境省の会議室にまで広がった。コロナは長期戦になっており、経済や国民生活への深刻な影響もこれからだ。今もほぼ変わらない規模の職員が詰めている中で、この夏の人事異動もあり、他省庁からの応援者は大分減っている。感染症対策もアプリやワクチン開発などの仕事が増えているし、コロナ本部以外も医療の体制確保、物資の確保、生活保障、雇用対策、テレワーク導入支援、介護など各種施設の支援、困窮者対策など全方位が非常事態の様相を呈している。
政府全体のコロナ対応の司令塔として、内閣官房に新たにできた新型コロナウイルス感染症対策本部も厚労省からの出向組だらけだ。
厚労省の本省の定員は約四〇〇〇人しかいないのに、五〇〇人規模の新たな部署が急にできたことになる。あらゆる部署からコロナ本部へ配置換えしているので、コロナ以外の部署は空席だらけになっている。
こうした状況の中、若手の離職も続いている。私のところにも、退職の報告が次々と届く。体調不良で休む職員も多い。戦力がダウンする中で、圧倒的な業務量をこなさないといけない状況が続いている。
このままでは、コロナ対策も生活支援もたちゆかなくなり、国民生活に甚大な影響が出るだろう。
コロナの前から厚労省は圧倒的な人手不足
厚労省はそもそもコロナの前から構造的な人手不足だ。昭和四十年代後半のオイルショックを境に高度経済成長期が終わり、霞が関を縮小するため行政改革の動きが本格化した。いわゆるスクラップ・アンド・ビルドの原則で一つ課を作る場合は、一つ課を減らさなくてはならない。これを省庁ごとにやった結果、昭和五十年頃までに仕事が多かった省庁には戦力が温存され、それ以降に仕事が増えた省庁はどうしても人員不足になる構図だ。
厚労省(当時は厚生省・労働省)は、昭和五十年以降に忙しくなった省庁の代表だ。高度経済成長期は失業率も低いし給料も右肩上がりの時代だ。少子高齢化の問題もまだ顕在化していなかった。家族の規模も大きく、企業の福利厚生や地域のつながりも強く、助け合いもあったので、困りごとに対する行政の出番も少なかった。厚労省の政策需要は今よりはるかに小さかったのである。その後、高齢化、少子化、経済の停滞、経済のグローバル化、雇用の流動化、家族機能の低下、地域のつながりの希薄化などにより、加速度的に厚労省分野の政策需要は大きくなっている。
こうした構図を反映して、一七の国家公務員の労働組合で作る「霞が関国家公務員労働組合共闘会議」が毎年公表しているアンケート調査では、二〇一八年まで五年連続で厚労省が最も残業が多かった。
省庁ごとの定員は、前年度ベースで増減を決めているが、実態に合わなくなっているのだから、一度現在の業務量と人員が合っているのかゼロベースで検証すべきだ。厚労省のキャパシティオーバーを理由に分割すべきという意見も見られるが、むしろ組織全体がある程度の規模があるのでコロナのような緊急事態に迅速に人員を集めることができるし、人を増やさずに組織を分割すれば、管理部門が複数必要になり、ますます人手不足になり問題は全く解決しない。また、分割するにしても検討、準備、分割後の定着含めて数年かかるが、そんな猶予はない。
国家公務員の人員について
私が経験している二〇〇〇年代以降も行政改革の動きは加速していく。〇六年の閣議決定に基づき、五年間で国の行政機関の定員は五・三%純減したし、国家公務員の新規採用を〇九年度比で一一年度には四割減、一三年度には六割減と大幅に抑制した。この頃入省した世代は今や実務の中心世代なので、人手不足に拍車をかけている。
(以下略)
〔『中央公論』2020年10月号より改題して抜粋〕
1975年千葉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2001年厚生労働省入省。医療、子育て、年金や雇用など8本の法改正に携わる。大臣政務官秘書官や在インド日本国大使館一等書記官、医療政策企画官を経て、19年9月に退官。株式会社千正組を設立し、企業やNPO等と協働して現場と政策の橋渡しや日印協力を進めるほか、霞が関の働き方改革などの活動に取り組む。