大義なき選挙だと言われる。たしかにそうだ。消費税の再増税を延期するというだけなら、何も選挙をする必要はない。元々の三党合意に景気条項があるし、増税延期法案をつくってもよかった。野党の準備が整わない今しか勝てるときはない、先送りすればするほど不利になるという打算のみによる解散と言われても仕方がないだろう。
安倍晋三首相は「モメンタム」という言葉を好むという。勢いや弾みを意味する言葉で、アメリカ政治でよく用いられる。公約を掲げて選挙に勝利することで、政権の求心力や政策の推進力を強化することを指すのだが、安倍首相は今度の選挙で、いったいどのような「モメンタム」を獲得しようとしているのか。
思い出すのは小泉純一郎首相による郵政解散選挙である。郵政民営化がすべての改革の突破口だ、その改革を支持するのかしないのか。かなり無理のある争点設定ではあったが、小泉首相はそれを押し切り、まんまと「モメンタム」を獲得した。野党は蚊帳の外に置かれたまま、首相が自らに従わない与党を批判すればするほど、その与党が票を得るという不思議な選挙であった。
今回の安倍首相の解散も、この小泉首相の顰みに倣うものかもしれない。アベノミクスを推進する自分を支持してほしい。野党に本格的な論戦を挑むというより、むしろ与党内の増税論者を封じ込め、もっぱら首相に対する信任のみを求めるスタイルは、明らかに郵政選挙をモデルにしている。安倍首相が好きなFacebookでいえば、国民の多数が首相に「いいね!」を押してくれるのを期待しているといったところか。
そのような目論みは、はたしてうまくいくのだろうか。かつてカール・マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇(茶番)として」と言ったが、安倍首相による今回の選挙がどのような結末を迎えるか、予断を許さない。
間違いないのは、この選挙が、グローバルな政治的・経済的激動の、いわばエアポケットのような瞬間に行われているということだ。ともかくも実現した日中首脳会談における習近平国家主席の振る舞いに示されているように、両国の関係は依然として緊張をはらんでいる。沖縄の基地問題も深刻だ。知事選で示された沖縄の人々の思いを受け止めつつ、アメリカの指導力に翳りがみられる国際秩序をいかに再構築するか。待ったなしの課題に直面する最中に、今回の選挙が行われることを忘れてはならない。
国内でも問題は山積している。少子高齢化が進み、ついには人口減少社会へと突入する一方、深刻な財政赤字を抱えた日本社会にとって、選びうる選択肢はどんどん狭まっている。
選挙は有効に使えば、たしかに政治的な隘路を打開する力をもっている。ただし、それには条件がある。行き詰まりを生み出している争点について、きちんとした議論が行われ、明確な対立軸が有権者に示されることである。この点でいえば、ゼロ年代以降の日本政治で目立つのは、そもそも何を争点とするかをめぐって与野党間に(与党内部においてすら!)食い違いがあり、何が対立軸なのか、実はよくわからないという事態である。結果として、「改革」や「政権交代」といった言葉だけが自己目的化してしまうことになる。
はたして今回の選挙がこのような流れを変えるのか、それともさらに悪化させてしまうのか。原発再稼働、特定秘密保護法、そして憲法改正という重大なテーマがあるだけに、すべてをあいまいにするような、ぼやけた選挙をしてしまえば、日本社会にとって致命傷となりかねない。有権者は政党と政治家に目を光らせ、成熟した判断を下さなければならない。
(了)
〔『中央公論』2015年1月号より〕