竹中 私はね、スウェーデンは立派な国だと思うし、山口先生のように「消費税が二五%になっても国はしっかりとした公的サービスを提供すべきだ」という考え方で首尾一貫している人も、日本のことを真摯に考えているという点から大いに認めています。
ただ私は、アメリカのようにできる限り市場に任せる社会と比べて、「どちらか選べ」と問われたら、消費税二五%を負担しながら、社会保険庁をいくつも養う社会を選択することはできません。
山口 そこは、竹中さんのように政治や行政の改革に対して絶望するか、私のように透明化なり市民参加なりで改革できると考えるかの違いでしょうね。
竹中 それは裏返しとして、市場に対するオプティミズム(楽観)と、ペシミズム(悲観)の違いかもしれません。
山口 そうかもしれませんね。ただ私も「市場をなくせ」なんて言うつもりはありません。この種の議論をすると、日本には本物の社会民主主義者がいないことの問題を感じるんです。
結局、社会保障を充実させるために国民の負担を増やさなくてはいけないと言うと、左派といいますか、社民党や共産党、そのほか福祉国家を目指そうと言っているはずの人たちが、増税には反対だと言うんですね。
竹中 よく分かります。
山口 彼らの言い分は、「今の政府は信用できない。政府が信用できるようになれば、私たちも応分の負担をしてもいいけれども、現状ではあまり払う気になれない」というものです。
この議論は、まさに竹中さんの議論に飲み込まれてしまう。「しょせん政府なんて信用できませんよね。だったら小さいままに置いておきましょう」と。
私は議論を逆にすべきだと考えています。国民は最初にある程度のお金を国に払う。お金を払うことによって、みんながステークホルダーという意識を持つ。つまり政治に対してこれまで以上に厳しい監視の目を持つようになる。そうでもして、もっと能動的市民を作っていく以外には、右肩上がりの経済が望めない中で社会保障の充実した国家を作る道はないと考えています。
竹中 山口先生の苦悩を、私なりに理解します。「構造改革」は続かず、消費税は一向に上げられそうにない現状は、日本は私と山口先生のどちらの立場に立っても理想からかけ離れた状況にありますね。
(全文は本誌をお読み下さい)
〔『中央公論』2009年9月号より〕