第二に、中国の国力、勢い、大国としての意識が違う。「中国は南シナ海ばかりでなく東シナ海でも国力を外へ外へと張り出す膨張のベクトルを加速させている」(外務省筋)。北京五輪の成功と併せて、国内総生産(GDP)で日本を抜き世界第二位のポジションを獲得したのを機に、中国人民の大国意識は一段と強くなった。ナショナリズムの炎は北京の号令で一気に燃え広がる危うさを孕んでいる。
第三に、第一次安倍政権と違うのは、外交当局の要となっていた外務事務次官・谷内正太郎がいない点だ。中国と「戦略的互恵関係」で合意、最悪の状態から脱却できたあの時の安倍の成功は、「谷内抜き」では考えられない。第一次安倍政権での対中関係修復に当たっては、「谷内さんが中国側の実力者である戴秉国(中国国務委員)との信頼関係を地道に築き上げていた」(外務省幹部)ことを軽視してはならない。表舞台だけでは勝負できないという外交術の真骨頂が谷内戦略にはあった。加えて、その戴秉国も今や、習近平体制の樹立に伴い現役を退いた。
年が改まり、日本の「尖閣国有化」決定から四ヵ月が経過した。この間、中国の公船を繰り出しての領海侵犯・接続水域侵犯は常態化した。加えて、十二月十三日には国家海洋局の航空機が尖閣上空に飛来、領空侵犯にまで及んでいる。中国政府系メディアは、「軍用機の尖閣上空派遣」を訴える。事実上、棚上げ状態となっている尖閣問題(日本は領有権問題は存在しないとの立場)は、今回の一連の出来事によって新たな段階に入った。
「戦略的互恵関係」の下で新次元に移行した日中テリトリー・ゲーム。安倍政権の真価が問われることになる。
「日中関係はしばらく動かない」――昨年秋に自民党総裁に就任して以来、安倍は周辺に漏らしている。確かに三月の全国人民代表大会が終わらなければ日中関係が動く環境にはならないが、春以降は補正予算と併せて対中輸出による景気回復等々――既に中国に進出している企業を中心に、経済界からは対中関係修復を求める声が一段と高まる可能性がある。消費増税実施の工程表や夏の参院選を考えれば、特に第2四半期(四――六月)の景気動向が重要だ。その際は中国ファクターも考慮しなければならず、安倍にとっては最も気になるところだろう。
対中関係の舵取りは第一次政権の時よりも格段に難しいと言えよう。
「自民大勝の罠」
安倍が最優先に考えている米国との信頼回復も、そう容易ではない。対外的に隙を見せた民主党政権の下で、ロシア、中国、韓国による日本領土に対するそれぞれ形を変えたチャレンジは、日本のナショナリズムに火を付けた。が、米国にしてみれば、竹島上陸問題は死に体状態だった李明博大統領の暴走とはいえ、「日本は大人の対応を」と言うわけだ。米国には「悪化した日韓関係を修復できない日本に苛立ちがある」(外務省筋)。対韓関係もマネージできないような日本では、同盟の価値も半減するというのが米国の本音だ。日韓関係がギクシャクしていては、米国の対中戦略にも支障を来たす。加えて環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加問題もある。ここでも日本の外交力が問われている。
親米派は憂慮する。「河野談話の見直しでも口にしようものなら、従軍慰安婦問題を人権問題として捉える米国との関係は悪化する」。そして靖国参拝問題もある。「戦後レジームからの脱却」を具現化するための「改憲」問題も、参院選が終わるまではしばらく封印するだろう。まずは中道勢力を引きつけ、権力基盤のウイングを広げる戦略か。
安倍が最も信頼する外交ブレーン、谷内は赤坂方面を一望できる事務所で語る。「私は心配していない。安倍さんは現実的な対応をするでしょう」。
「現実的な対応」――。確かに師走総選挙の途中から、街頭演説で安倍の口からは「改憲」の言葉があまり聞かれなくなった。自民党総裁に就任後、衆院選公示前まで安倍にまとわり付いていた異様な高揚感は、今回の「熱狂なき大勝」劇によって、少なくとも表向きは消えた。
だが、安倍には岸信介の孫を自負する「タカ派」としての顔がある。安倍の取り巻きや民間の熱烈な支持者には急進的な改憲派が多い。「危機突破内閣」を組閣するとともに、党の要として幹事長・石破茂を留任させ、夏に向けて走り出した首相・安倍だが、政権運営が順調に行き始めた時こそ地金が見えてくる可能性がある。「自民党大勝の罠」は、意外にそんな所から現われるかもしれない。(敬称略)
(了)
〔『中央公論』2013年2月号より〕