日本に特異な保革のあり様
飯田 先の総選挙では自民党が圧勝、民主党は議席を大幅に減らし、「日本維新の会」が躍進して比較第三党になりました。社民党が風前の灯であるのは以前からですが、この選挙をうけて日本の革新勢力は消滅の危機にあります。安倍首相の支持率は高く、昨今は保守勢力に代わりうる革新勢力は影さえないといった状態です。なぜかくまでに日本の革新・リベラル勢力は衰退したのか。そもそも保守とは何か、革新とは何かといった根本的な議論に立ち返ることで、この国で生じている独特な現象を考えていきましょう。
吉田 この点、日本に特異な部分もある。それを踏まえた上でこれからの政治空間を構想する必要があるでしょう。
飯田 まず、保守、革新の定義から始めます。通常は、「保守」とは秩序、伝統、安定を重んじる思想。「革新」とは、変化、自由、断絶という進化を目指すというように整理できるでしょう。ところが日本の政治の現場では必ずしもこのような分類は妥当しない。
日本では戦後から九〇年代に至るまで、自民党政権下で政財官が協調的に行動してきました。同時期に高度経済成長を果たしたため富の再分配、調整に尽力した自民党政治が「保守」と位置づけられてきたわけです。
一方、そうした高度経済成長から取り残される人々に対して優しい目線を向けるというポーズをとってきたのが、日本における「革新」であった。優しい「目線を向ける」と言ったのは実際に大きな決定をしたわけではなかったからです。
こうした保革のあり様が変化したのが、消費税導入が決まった翌年一九八九年の参院選です。マドンナ旋風で社会党が非改選を含めて自民党を過半数割れに追い込んだ。このため、社会党が実質的に意思決定の主体になりうるのではないか──と多くの有権者の期待を集めた。これは五五年体制が成立して以来、初めての現象でした。しかし、結果的には何も実効的なことはできなかった。
日本新党による擬似的な政権交代や村山内閣を経て民主党が登場し、自民党に代わる政治を提供してくれるのではないかと有権者は期待した。二〇〇九年には選挙による政権交代を実現しましたが、これまたダメでした(笑)。そして現在は圧倒的な議席を持つ自民党が中核にあり、周りに小さな野党がいくつも乱立している状態です。六〇年代以来の政治状況に戻りつつあるのかなと思っています。
吉田 戦後の日本を考えると、五五年体制にみられるように政治的な対立軸は存在していた。どの先進国も同じですが、東西冷戦があったことで外交・安保の次元を軸として右と左、保守と革新が外的な力から定義できました。
もっとも日本で大きく特徴的だったのは、九三年に細川非自民連立政権が発足してポスト五五年体制に入ってからも、日米安保をどうするか、改憲するのかどうかといった対立に引きずられたままで、これに代わる対立軸が見いだせなかったことです。一方で、経済政策では、保革双方が大きな政府志向という点で共通していた。
飯田 ご指摘の通りです。自民党の分配政策は自由主義的とはほど遠いことも少なくない。
吉田 七〇年代に入って社会が成熟していくと、都市中間層は環境や福祉を重視するようになりますが、ここでも自民党はきっちり手当てをして支持を取り付けようとした。ですから社会経済政策では右も左も、自民党も社会党も基本路線は概ね一致していた。対立軸をどんどん消していく方向に進んでいったのが日本の特徴です。
社会学者の高原基彰氏が指摘していますが、日本の政治空間には、右の反近代主義と左の反近代主義があったと。右の反近代主義は自民党型分配システムなどからなる日本型モデル。左の反近代主義はそうした日本の土着性を批判してきたリベラル勢力ですが、この二者は少なくとも反近代というところでは意見の一致をみていた。
その後、ポスト五五年体制へと突入していくことになりますが、ここでそれまでの対立軸を代替する新たな政治理念は生成されていません。自民と新進党という保保対立の影響もありますが、リベラル勢力は右の反近代主義をともに批判する新自由主義と連携してしまった。というのも、両者ともに既得権益批判と官僚批判で手を組むことができたからです。民主党の左旋回もありましたが、股さきにあって有意な対立軸を作れず今日に至っている、というのが現状でしょうか。
経済成長がすべての争点を覆い隠した
飯田 日本に特徴的な保革のあり様については経済政策にもみて取れます。
現在、アベノミクスが大いに注目され、有権者の期待も大きいのですが、金融を緩和して、多少のインフレを許容しながら失業率を下げる。それだけにとどまらず、大手各社に賃上げ協力要請までする......という、海外であれば中道左派政党が好みそうな政策を、保守本流を自称する自民党が推し進めています。