野田前首相は四月に入った直後、落胆の色を隠さず、親しい民主党議員にこうこぼした。
「『岩手に応援に行こう』と言っていたばかりだったんだけどなあ」
夏の参院岩手選挙区から出馬する平野達男前復興相の民主党離党が表面化した直後だった。
平野氏は野田内閣で閣僚を務めた関係だ。初当選した時の所属は、生活の党の小沢代表が党首を務めた旧自由党で、小沢氏と行動を共にしてきた。しかし、消費増税に反対して小沢氏が離党した際、たもとを分かって、民主党に残った。そんな平野氏も岩手県連幹部に「民主党では戦えない」と告げて、離党を表明したことは、党内に党の置かれた現状の厳しさを再認識させた。
岩手のような改選定数一の「一人区」は三一あり、参院選の帰趨を決める。民主党が大勝した二〇〇七年の参院選では、当時二九だった一人区のうち、二三の選挙区で公認・推薦候補が勝利し、一〇年の参院選では八勝にとどまったことで、全体でも敗北した。
民主党内では党勢の低迷で、今回勝てる可能性がある一人区は岩手、三重、滋賀の三つとみられていた。岩手で平野氏が離党し、三重、滋賀では日本維新の会が候補を擁立するため、野党分裂で苦戦を強いられる。目算が完全に狂う中、党内では「一人区全敗」「比例選などを含めても二〇議席を割り込む」など「最悪シナリオ」も現実味を持って語られている。
民主党では、四月十九日にも室井邦彦参院議員(比例代表)が離党届を提出した。波紋は昨年末に選挙を終えたばかりの衆院議員にも広がっている。
「離党も一つの選択肢」と漏らすある衆院議員は「離党する場合、参院選の前と後、どちらが有権者の批判を浴びないだろうか」と悩む。
民主党がこれまで二大政党の一角を維持できてきたのは、野党第一党であることが「反自民票」の受け皿になってきたためだ。知名度や地盤に欠ける候補でも、自民党への批判票という形で、無党派層や他の野党の支持者からの票を得やすい「野党第一党効果」が幅広い人材を引き寄せてきた。しかし、鳩山内閣の外交失政、菅内閣の東日本大震災への対応の不手際、野田内閣の党分裂と政権担当能力の欠如をみせたことで、「民主党の看板はマイナス効果しかない」(民主党参院議員)とまで言われるようになった。
「一五年の民主党の歴史の中でおそらく今が最も厳しい時期だ」
細野幹事長は労働組合の会合で、こう漏らしている。
ただ、民主党に代わる自民党への対抗勢力も見あたらない。
憲法改正や国会対応で民主党との違いをみせる維新の会は、自民党との差別化に苦しんでいる。
「安倍首相を応援するところは応援するが、自民党はやはり既得権(保護)の政党だ」
橋下共同代表は、安倍政権の経済政策を評価する一方、自民党との違いを改革を実行する力の違いだと強調する。ただ、メディアの世論調査では、円安・株高の影響で好調を維持する自民党に対し、維新の会の支持率は一ケタにとどまっている。地盤の近畿でも、兵庫県の伊丹、宝塚両市長選で、擁立した公認候補が敗れるなど、衆院選前の勢いは失いつつある。橋下氏が国会議員に怒りのメールを送りつけるなど、党内の亀裂が表面化する事態が相次ぎ、勢いをそいでいる。
参院選候補の擁立も遅れ気味だ。改選定数が二以上の選挙区こそ擁立が進んでいるが、一人区では候補のなり手探しが続いている。過去の参院選では、選挙直前に政権への逆風が吹き、知名度の低い野党候補が議席を獲得した例もあるが、候補を擁立できなければ受け皿にもなりえない。みんなの党でも、渡辺代表と江田幹事長の内部対立が表面化する。
戦前の二大政党、政友会と民政党が交代で政権を担ったのは、昭和初期のわずか五年。五・一五事件で犬養毅首相が射殺され、幕を閉じた二大政党による内閣は、恐慌や満州事変への対応でつまずき、スキャンダル合戦や国会での乱闘などで、国民が政党不信を募らせた。
民主党が参院選で大勝し、自民党からの政権交代が現実味を帯びた二〇〇七年から、昨年の衆院選までも五年。平成の二大政党体制に続く体制は、まだみえない。(誠)
(了)
〔『中央公論』2013年6月号より〕