金日成、金正日両氏の肖像画が壁の上方から見下ろす、中国・北京の北朝鮮大使館一階の一室。日本、北朝鮮それぞれ七人ずつが向かい合い、七月一日、日朝外務省局長級協議が開かれた。北朝鮮の宋日昊・日朝交渉担当大使らは、拉致被害者、行方不明者など日本人に関する問題を全て調べる特別調査委員会を設置する方針を示し、その権限、構成などを口頭で説明し始めた。
説明は詳細だったが、北朝鮮側は文書を用意していなかったため、伊原純一・外務省アジア大洋州局長ら日本側は一字一句聞き漏らすまいと、耳をそばだてた。
「特別調査委員長は、ソ・テハ国防委員会安全担当参事、兼国家安全保衛部副部長......」
注目の人事に北朝鮮側が言及した瞬間、日本側は驚きと手応えを感じた。金正恩第一書記がトップを務める国家最高機関である国防委員会と、拉致被害者の管理にかかわるとされる国家安全保衛部(秘密警察)の両方の幹部を兼ねる人物が委員長に就いたためだ。日本側は、特別調査委が権限と実効性のある調査と決断ができると見た。
「行動対行動の原則」(安倍首相)に基づき、日本政府は七月四日、日本独自の対北朝鮮制裁を一部解除した。
日朝の歩み寄りに、安倍首相の意向が強く働いているのは間違いない。その象徴が、北朝鮮が六月二十九日に行った弾道ミサイル発射への対応だ。元山付近の発射現場には、金正恩第一書記自身が立ち会ったとされる。
日曜日とあって、谷内正太郎・国家安全保障局長らは東京・富ヶ谷の首相私邸に朝一番で駆けつけた。二日後の日朝局長級協議への対応を検討するためだったが、首相の表情に迷いはなかった。
「拉致は人道問題であり、核、ミサイルとは別問題だ」
協議継続を指示した首相の姿勢は、二〇一二年十二月、北朝鮮の弾道ミサイル発射予告を受け、日朝政府間協議を延期した野田首相(当時)とは対照的だ。北朝鮮はその後も日本海への弾道ミサイル発射を繰り返しているが、安倍首相の対話路線は揺るぎない。
拉致問題をライフワークと位置づける首相には、「北朝鮮と渡り合い、決着をつけられるのは自分だけだ」という強い自負がある。拉致被害者の家族らが高齢化し、解決を急がなくてはならないという事情も抱える。
さらに、特別調査委の体制、権限、人事が「我々の想像を上回っていた。北朝鮮は本気だ」(日本政府高官)と好感触だったことも、首相の判断に影響した。
こうした首相の姿勢に、米政府には不安の声もある。
「北朝鮮にメリットを与えてはいけない」
六月末から七月初めに訪米した首相の実弟、岸信夫外務副大臣は、複数の米政府関係者から制裁一部解除への懸念を聞かされた。ケリー米国務長官も七月七日、岸田文雄外相に電話で、拉致問題が進展して首相が北朝鮮を訪問する事態を念頭に、「日米韓の連携が乱れないようにしてほしい」とくぎを刺した。
北朝鮮のミサイル発射は「米韓合同軍事演習への反発」という面が大きい。中国とのパイプ役だった政権ナンバー2の張成沢氏を粛清し、中朝関係も最悪だ。米側にすれば、日朝の接近は「孤立回避のため、関係国の離間を狙った北朝鮮の思うつぼ」にも映る。日朝が公表した拉致再調査の合意文書に、核とミサイルの文言がなかったことも、米側の不安に拍車をかけた。
ただ、安倍政権は七月一日、集団的自衛権の行使を限定容認する憲法解釈見直しを決め、米側は「日米同盟強化につながる」と歓迎した。首相には「今、拉致問題を動かしても日米関係は揺るがない」との読みがある。
しかし、北朝鮮が調査報告で、拉致被害者を含めた生存者情報を日本側に伝えてきた際、「拉致問題を解決した」として、核・ミサイル問題を放置したまま、大規模な人道支援を日本に迫る可能性は高い。
首相もそうしたリスクは織り込んでいる。七月五日の『読売新聞』のインタビューで、拉致問題の全面解決の条件として「全ての拉致被害者の安全確保と即時帰国、真相究明」に加え、「実行犯の引き渡し」を挙げた。「拉致は解決済み」とした父・正日氏の遺訓を破った形の正恩氏にも、実行犯引き渡しは「切れないカード」とされている。北朝鮮に安易に全面解決と言わせないよう、「保険」をかけたと見るべきだろう。
首相は大きな賭けに出た。その結果は早ければ晩夏か秋口にも明らかになる。(修)
(了)
〔『中央公論』2014年9月号より〕