繰り返されてきた派閥解消論
待鳥 まずおさえておくべきなのは、派閥こそが自民党の多くの問題の元凶だという議論は、これまでも「党近代化論」とセットで繰り返し語られてきたということです。
河野 おそらく元はマックス・ウェーバーの政党論の影響があるのでしょうね。ウェーバーが「名望家政党」と呼んだ、名望家たちが地域に利権誘導する政党のあり方を脱して、内部を規律化しながら大衆に政策を訴え支持を集める大衆政党への移行を目指すべきだという議論です。
待鳥 そこでモデルとされていたのは、20世紀初頭から大戦間期あたりまでにイギリスやドイツで成立した政党政治の姿です。政党は議員だけでなく多数の党員が所属する大衆政党で、その大衆政党同士が選挙や議会では政策を軸に競争する。このモデルと比較して、自民党の派閥による権力闘争は政策の競争ではないから解消すべきだ、というのが党近代化論の要点だったと思います。
しかし、当時から誰も「近代化した政党に派閥はない」ことを論証してはいなかった。事実、イギリスの保守党では1980年代にサッチャリズムを信奉する「ドライ」と、温情的保守主義を標榜する「ウェット」が激しく対立しましたし、労働党のような左派政党でも党幹部になるエリート層と労働者層には対立があって、社会運動や環境運動が盛んになった70年代以降には様々な分派ができています。
河野 アメリカの政党も党首や党議拘束がなくやや特殊ですが、それでも派閥にあたるものは存在しますね。
待鳥 ええ。そこには論理の飛躍があったんです。派閥解消論にはそうした党近代化論に加えて、戦前政治への反省という文脈もあったのでしょう。昭和戦前期の政党は政策能力がなく脆弱で、人事やカネのことしか頭にないという政党批判を招き、瓦解した。だから、民主化した戦後は、新しい政治制度に見合った政党をつくらないといけないという考えもあったのだと思います。
河野 今回の裏金問題が表面化してから、55年体制が成立して以降に派閥がどのように語られてきたか改めて調べていたんですが、やはり、政治記者の渡邉恒雄が58年に書いた『派閥』が嚆矢でしょう。
この本はまさに民主化という観点から派閥を擁護しているのが特徴です。その理由の一つが、戦前は政党の財源が財閥にほぼ一元化されていたから派閥が実質的に機能しなかっただけであって、その時代に逆戻りしていいのかということ。もう一つが、党人派が力をつけないと戦前のように官僚派の政治家たちに牛耳られてしまって、真の民主主義は達成できないから、デモクラティックなグループを結成して大衆の意思を汲み上げなければいけないというものです。渡邉が党人派の代表格だった大野伴睦と近しい関係にあったことも関係するのでしょうね。
待鳥 渡邉のような、派閥は新しい民主的な政治のために必要だという認識も、かつてはたしかに存在しました。しかし、これも少し無理のある議論ですね。派閥はやはり選挙制度から導かれる政治家のニーズが出発点なのです。その活動に際して、支持者や支持団体の意向を政策に反映させようとはするでしょう。ですが、民主主義の下にある政党ならば、何らかのルートで同じことをするはずで、派閥という組織を必然的な存在にはしないと思います。
結局のところ、派閥がなぜ存在してきたのかを突き詰めずに、その問題点や意義を考えることはできないはずです。今回の派閥解消をめぐる議論にも似たものを感じます。