「8割おじさん」のクラスター対策班戦記【前編】~ 厚労省のビルから北大の研究室に戻るにあたり伝えたいこと
西浦 博北海道大学大学院教授インタビュー/聞き手・構成 川端裕人(作家)
*この記事は6月11日(木)にYahoo!ニュースに配信したものです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7296592623494483d13edd5da3a75bb9eb35ee9b
「緊急事態宣言がほどなく終わることがほぼ確実かと思いますので(インタビュー実施は5月19日)、それを踏まえておそらく専門家のやってきたことに関してある程度検証が進むと思います。東京に出てきていた研究員たちも輪番制にして北海道に帰し、僕自身もパートタイムになります。そこで、この3、4ヵ月のうちに経験したことや、反省点、今抱いている問題意識について共有できればと思っています」
北海道大学・西浦博教授は、Zoomのウィンドウの中からそのように語り始めた。「8割おじさん」として知られるようになった日本の理論疫学のエースは、この4ヵ月、厚生労働省(以下、厚労省)が入居する中央合同庁舎5号館に「登庁」する日々を送ってきた。データ分析を一手に担い、対策の科学的根拠を提供してきたのが西浦らのチームである。Twitterでの発信や、マスコミとの「意見交換会」などを通じて、肉声を届ける回路を保ってはいたものの、今、緊急事態宣言の解除に向かって事態が好転しているように見える時だからこそ、話しておきたいことがあるという。
「これまで目標としてきた流行の制御はできたわけですが、課題もたくさん残されていますし、コミュニケーション上、誤解を解かなければならない部分もあります。何より、今後のことで心配なこともいくつかありますから」
というわけで、本稿では、西浦が、今「コロナ禍」の体験を共有するすべての人たちに伝えたいことをまとめる。
クラスター対策班の誕生
まずは、2月から西浦らが経験してきたことについて。これは西浦らがなぜ「クラスター対策班」で、国の意思決定に影響をおよぼすアドバイスをする役割を担ったのかという点にも関わってくる話だ。 「実は、COVID-19の流行が始まるずっと前から、国立感染症研究所の脇田隆字所長や感染症疫学センターの鈴木基センター長といった方々と、なにかの流行が起こった時は北大の西浦研究室(以下、西浦研)が東京に出て、至急で研究・分析ができるチームを作って手伝う、という話をしていたんです。それもあって、2月の前半にダイヤモンド・プリンセス号の問題が生じた頃から僕はすでに個人的なレベルで厚労省のビルにいてデータ分析をしていました。最初の頃は『下船オペレーション』に付き添う形です。下船する人から何人感染者が出て、この後、発病したり亡くなる方がどれくらい出るかという計算をしていました。その間、北大の研究員たちが3人ぐらい僕と一緒に上京してきて作業をしていました」
今となってはものすごく過去のことに思えるが、当時、中国での流行が制圧局面で、ダイヤモンド・プリンセス号の問題は、日本のみならず世界的な関心の中心だった。オペレーションのまずさが批判されてネガティヴなイメージが強かったものの、船内の感染制御によって感染者や死亡者を減らすことにはある程度成功していたと後になって分かったし、下船後に2次感染から流行を生み出すこともなかった。満点のオペレーションではなかったにせよ、なんとか切り抜けたといえる。その背後にリアルタイムのデータ分析を担当した西浦らのチームがいたわけだ。
「大学の研究室とはまったく違う生活スタイルで、朝8時には厚労省にいて、船内と無線がつながっている部屋につめて、データ分析して、国会の質疑があるのでそれ用のデータも作らなきゃと対応すると、日付が変わる頃になってやっと帰るような日々でした。それで厚労大臣たちとの関係もできてきて、2月25日になって新しい組織の話が出たんです。東北大学の押谷仁先生と僕と、感染研の脇田所長、鈴木センター長が呼び出されて、こういうチームを作るから厚労省のビルの中で活動してくれと。それでうちは来られる研究員を総動員することにして、15~16人ぐらいが東京に来ました。東北大の押谷先生のところと、他の大学から参加した人たちもいて、総勢30人ちょっとくらいで活動することになりました」
クラスター対策班の誕生である。以降、北大の西浦研は事実上の総動員態勢で、厚労省の中で分析を担当することになる。2月25日と言えば、ダイヤモンド・プリンセス号の件は下船がひと段落して、概ね先行きが見えてきた時期だ。一方では北海道の「第一波」の流行が始まっており、28日には知事判断による「緊急事態宣言」が出されることになる。そこから実に3ヵ月にわたって、北大の西浦研や東北大学の押谷研などが厚労省の中に拠点を持って活動することになった。結成時のプレスリリースによると、サーベイランスと接触者追跡を感染研が、データ解析を北大が行い、東北大が中心となったリスク管理チームがリスク管理案を策定することになっている。
もっとも、クラスター対策班は、当初こそ、主な業務が日本各地で発生するクラスター対策そのものだったが、次第に活動範囲が広がり、そのうちに名前が実情と合わなくなっていく。西浦が「8割おじさん」として知られるようになった時期には、個別のクラスター対策では間に合わず、全国的に「接触の8割削減」がテーマになったわけだが、それでも名称は同じままだった。 「実は、患者ベッド数の予測とか、海外からの感染者侵入シミュレーションさえやっていましたから、途中から名称変更のリクエストもしていました。『データ解析班』的なものを作ってもらえないかとか。でも、そこまで手が回らなかったというのが正直なところです」
「消えやすいウイルス」だと分かる
日本で疫学の専門家が政府に近いところに入り、その知見をインサイダーとしてリアルタイムで提供するケースはこれまでほとんどなかった。COVID-19でのクラスター対策班が事実上、初だ。だから、西浦らは、専門家として提案した政策や対策がどのように効いてくるか、内部者として最速で見る稀有な体験を得た。もちろん、COVID-19は、感染から発症を経て検査を受け、その結果が出るまで2週間もかかる非常にやっかいな遅延を持った感染症だが、それでも自らのチームを含むデータ集積の努力もあって(「ボランティア班」と呼ばれる大学院ボランティアで都道府県のプレスリリースなどからかき集めていた部分も大きいそうだ)、いち早くデータにアクセスして最新の動向を分析できる立場にあった。 「第一波で分かったのは、これが流行対策によって消えやすいウイルスだということです」と西浦は言う。
ここでまず注釈しておかねばならないのは、「第1波」の意味だ。 世間一般では、つい最近脱したばかりの緊急事態宣言をもたらした「波」が、第1波だと考えられている。しかし、西浦たちの観点からは、それは第2波だ。第1波というのは、2月、中国からもたらされたもので、北海道では大きな流行が起きた。これはいったん制御されたものの、3月になって欧米からの帰国者由来の流行があり、それが今につながる第2波だ。対策班にとっての第1波、第2波をまとめて、世間では第1波と捉えており、そんな中、北海道の人たちだけは、対策班と同じ感覚で、第1波、第2波という言葉を使っているかもしれない。
そのあたりを理解していただいた上で、西浦が「消えやすいウイルス」と言う真意を問う。 「クラスター対策って、多くの人が感染するようなところを見つけて潰していくわけですが、第1波の頃、まだこのウイルスの性質がよく分かっておらず、実はもうちょっと少数の2次感染が起こるところも見ておかないと、制御できないんじゃないかと心配していました。でも結果的に、3月の上旬には一度、制御に成功できました。このウイルスが思っていたよりも『消えやすい』ことが分かったんです」
ここで、今、多くの人が知るようになった、再生産数Rについて思い出そう。これは1人の感染者が、何人の2次感染者を生むか平均を取った数字で、特に「免疫がない集団に最初の一人の感染者が入ってきた場合」のものは基本再生産数(R0)として、その病原体の感染力を表す指標として使われる。R0が1よりも小さい感染症は、1人の感染者が1人未満の2次感染者しか生まないのだから流行せずに消える。しかし、1を超えると、ねずみ算式に増えていって流行する可能性がある。パンデミックになるようなウイルスのR0は、当然、1よりも大きい。そこで、感染制御の立場からは、様々な介入によって実効再生産数を下げて1よりも小さくするのが目標ということになる。
西浦らが取り組んだクラスター対策では、多くの2次感染者が生まれるような環境(クラスター感染が起きる環境)を重視して、連鎖を切ったり、予防策を講じてきた。これはCOVID-19の伝播の仕方として、ほとんどの人が2次感染をさせなかったり、少しの2次感染者しか生まないのに対して、ごく一部の感染者が8人、10人というふうに多数の2次感染者を出すことが分かってきたからだ(最近、北米の合唱団で1人から52人が感染した報告があり、びっくりさせられた)。例えば、Rが同じ2の感染症でも、全員が2人ずつ2次感染させるようなものなら「全員」に対策しなければならないけれど、一部の人がたくさん感染させるがゆえに平均としてのRが上がっているなら、その一部の人たちや、そういった感染をしやすい環境を制御することで、平均を1以下に下げることができるかもしれない、という発想だ。
さらに、こういう「Rの分布のばらつき」が大きい場合の特徴として、R0が1を超えていても、自然に消えてしまうことがあり、そちらの効果も期待できるという。 「1人当たりの感染者が生み出す2次感染者数を、分岐過程という確率過程で記述すると絶滅確率というものが出てきます。仮にR0が1を超えていても、実際のところでは勝手に消えていく確率が90パーセントですよとか、分布のばらつきが大きければ大きいほどそういう消えやすい傾向があるんですね。クラスター対策の最初の頃に僕らが悩んでいたのは、2次感染者を少ししか生まない人たちの曝露環境もちゃんと見ないと、そこで絶滅確率も変わってくるので、そこがどうなっているのか心配だったんです。その後いろんな地域で対策がうまくいっているのが分かって、このウイルスはやはり絶滅しやすくて、勝手に消えていく性質があることを強く感じました」 だから、クラスター対策は、大きな感染の連鎖を断ち、その環境を制御して予防することで、ウイルスが「絶滅」するのを助ける、ということでもあった。ただし、こういった「消えやすい」性質に期待できるのは、感染者があまり多くない時だけだ。 そして、3月中旬から下旬にかけて、事態が急変する。
接触を削減することでも解決できる
「実は僕も押谷先生も、新規の感染者をいったんはゼロにできるかもしれないと楽観視していました。状況が変わったのは3月上旬から中旬にかけてです。イタリアだけじゃなくてアメリカ、ドイツ、スペイン、それからイギリスで、かなりのスピードで感染者が増えたんですね。これは衝撃でした。残念ながら、どれだけ検疫を強化しても、そういった国々から日本人は帰ってきますし、その中に感染者がいるのは避けられません。3月19日の専門家会議で僕も相当戦ったんですけど、当時はまだ経済重視で、つまり何か事が起こる前から引き締めるような選択肢はありませんでした。それで、その週末、すごい人出で、上野公園の様子なんかをテレビで見て危機感が募りました。そこで、僕は医学の医療従事者向け情報サイトm3に、『助けてください』という記事を書いた記憶があります」
西浦は、「『解禁ムード』広がってしまうことを大変危惧」「今こそイベント自粛とハイリスク空間回避が必要」として、「今は2月よりも厳しく、今からこそイベント自粛とハイリスク空間を避ける声を保健医療の皆さんから届けていただけるよう、助けてください」と述べている。後にヤフーニュースにも転載されて、「非常識を承知で分かりやすいようにミサイルで例えると、1月から2月上旬は短距離ミサイルが5~10発命中した程度ですが、この3月のパンデミックの状況というのは空から次々と焼夷弾が降ってきているような状態」という生々しい表現が話題になった。
この時の懸念はまさに当たっていた。いや、西浦には、データ分析の上でもその予兆を捉えて未来が見えていた。だからこそ強い警告を発し、緊急事態宣言が出た後も「8割おじさん」として「接触削減」のメッセージを発し続けることになった。 「この時期は本当に大変なことになっていました。後からの分析で実効再生産数が分かるんですが、東京では2.5ぐらいで安定的な値を取っていたんです。これは1日だけの瞬間風速じゃなくしばらく続いています。だから、日本でも欧米なみの大規模流行を起こす可能性があったということは明白です。でも、オリンピックが延期されることになった3月24日あたりから、小池百合子都知事がイベント自粛の要請など、どんどん手を打ってくれて、それに従って実効再生産数が落ちていきます。さらに、国の緊急事態宣言が出た後は、都市も地方も含めて皆さんが協力的に接触を削減してくれた成果もはっきり出ました。『自粛を要請する』って日本語が崩壊しているようなコンセプトですけど、それで流行が防げたこと自体は良かったかと思います。本当にそれで大丈夫なのかと心配でしたが、やり遂げました」
自粛の要請という、とても不思議なものでCOVID-19の感染制御に成功したというのは、なんとも複雑な気分にさせられる。しかし、それで失敗して感染が広がるよりずっと良かったことには違いない。西浦はそこは積極的に評価すべき点だとした。
以上、まとめると、比較的感染者が少ない段階ではいわゆるクラスター対策が有効で、「絶滅確率」に期待することもできる。一方、感染者数が増えてしまった後でも「接触を減らす」という取り組みで対処できる。
これは良いニュースだ。普段づかいの対策と、いざという時の秘策が、ともに検証されたことは大きい。
しかし、大いなる課題や問題点も、同時に明らかになる。 「人の接触を減らすのは、経済的なダメージが計り知れないわけです。僕らが泊まっているホテルの近くの飲食店でも、店を閉めることにしましたというところが出てきましたし、『レナウン』という名のある企業の倒産が当たり前のように新聞に出る状況は、異常な事態ですよね。そういうのを見ていると政府の対策として公衆衛生と経済のつなぎをどうするのか、なんとかもっとうまく政治的な解決手段を講じてくれないだろうかというのが最近までの自分の実感としての悩みで、感染者が増えた時に関しての明確な答えはまだないんです」 「感染者が少ない時」の対策についてはともかく、「感染者が増えた時」の対策は劇薬だ。しかし、また同じ状況になったら、緊急事態宣言の再指定をせざるを得ない。だから、これまでの反省点を洗い出し、できるだけそのような事態にならずに済むように努める必要がある。
(以下、「後編」に続く)
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◆にしうらひろし
1977年大阪府生まれ。宮崎医科大学医学部卒、広島大学大学院医歯薬総合研究科修了(保健学博士)。ロンドン大学、チュービンゲン大学、ユトレヒト大学、香港大学で専門研究と教育を経験。2016年より現職。 専門は感染症数理モデルを利用した流行データの分析。厚生労働省新型コロナウイルスクラスター対策班で「3密」を特定し、人との接触機会の8割減を唱えたことから「8割おじさん」という異名を持つ。
【聞き手】
◆かわばたひろと
1964年兵庫県生まれ。東京大学教養学部卒業。ノンフィクション作品に『PTA再活用論』『我々はなぜ我々だけなのか』(科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞)など。小説作品にフィールド疫学者が主人公の『エピデミック』など。