文・宮田裕章(慶應義塾大学教授)
6月19日に厚生労働省から新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAがリリースされた。 それ以前から、新型コロナ感染対策では、さまざまな形でビッグデータが利用されてきた。 宮田氏は厚生労働省と協力してLINEで行った「新型コロナ対策のための全国調査」に携り、保健医療データベースを積極的に推進している。我々はデータと医療のあり方をどう考えればいいのだろうか。宮田氏の寄稿から一部を抜粋してお届けする。
※なお、宮田氏の寄稿の原題は「LINE調査、オンライン診療で見えてきた ビッグデータが拓く未来の医療」であり、COCOAリリース前に発表されたものです。。 COCOAについては宮田氏のnoteもご参照ください。 https://note.com/vcca/n/n6eb009b28d34
感染の全体像を掴むために
新型コロナウイルスの感染は、緊急事態宣言の効果もあり新規発生の件数が減る傾向を示す一方、症状がない感染者も多く、今後の第二波、第三波に継続的に備えなくてはならない。実態を把握することが困難な疾患に対しては、多角的な視点から状況を把握することが、効果的な対策を打つために不可欠である。PCR検査や抗体検査を迅速に拡大することが容易ではなく、生化学的な疫学情報が十分得られない中、今見えている感染者の外側の状況を把握するために、厚生労働省と協力して、SNSサービスのLINEで行ったのが「新型コロナ対策のための全国調査」(以下「LINE調査」)である。
私はデータサイエンスが専門の研究者として、日ごろからさまざまなプロジェクトに関わってきた。政府の専門家会議には所属していないが、この未曽有の危機に対して一人の研究者として、一人の国民として何か貢献したいという思いでこのLINE調査を企画した。
LINEのユーザーは子供から高齢者まで八四〇〇万人にのぼる。そのすべてを対象にアンケートの協力者を募り、全国で約二五〇〇万人(第一回)、国民の五人に一人から回答を得た。通常、これだけの規模の調査を行うとなると億単位の費用を想定しなければならないが、LINEが無償で協力し、サーバーはアマゾンが無償で提供してくれたため、調査費用はゼロ円である。
これまで四回の調査を行ったが、例えば、第一回でエリアごと、職種別の発熱者の割合を調べたところ、対人サービス業や外回りの営業の人の発熱者の割合は高く、反対にテレワークや専業主婦など家にいる人のグループは、高くないことが分かった。発熱者の割合の高いエリアであっても、後者のグループの人の発熱は少ないことから、ステイホームは特に感染拡大期において重要であることが分かった。また、第四回では緊急事態宣言の中での経済的なダメージや人々の心の痛みについて、業種ごと、従業員規模別に把握することもできた(結果は厚生労働省ホームページで発表)。
新型コロナは人々の生活を変え、経済や社会システム全体にも大きな変革をもたらそうとしている。医師や看護師などの人材をはじめ、病床や検査態勢なども含む医療資源の不足を中心とするさまざまな課題に対し、いわゆるIoTやAIなどの技術が解決策を提供できる可能性をこのLINE調査は明らかにした。そして、まだ先の見えないコロナとの対峙の中で、こうした技術革新は間違いなく加速していくだろう。
必要な情報をフィードバック
LINEとの協力は私が顧問を務める神奈川県から始まった。一番大切なのは、把握されている陽性患者の外側で何が起こっているかを知ること。しかし、ただデータを取るのは民主的ではない。そこで、情報を提供してもらうだけでなく、協力してくれた人に役立つ情報を提供するしくみを作った。
この「新型コロナ対策パーソナルサポート」では、年齢や職業など簡単な質問に答えると、妊婦や高齢者、持病がある人など一人ひとりの状況に応じて、感染予防の情報や、発熱時の対応、陽性者が感染を広げないための注意点などの情報が得られる。日本感染症学会が、提供される情報が適切かどうかを監修している。心配なユーザーは無料相談を受けることもでき、さらに、その後の体調の変化を確認するメッセージが届くなど、一人ひとりの状況に応じたサポートを受けることができる。現在二五都道府県に広がり、ユーザーは三七〇万人以上に達している。
今後の展開としては、海外との連携も考えている。現在は国ごとに封鎖することで感染拡大を抑えているが、小康状態に持ち込んだとしても、グローバル経済の必然として、人の流れはどこかで再開しなければならない。世界のどこかで感染爆発が起これば、たちまち第二波、第三波が押し寄せてくる。自国の対策だけを考えていたのでは、この難局は乗り切れない。いまや途上国でもスマートフォンの普及が進んでおり、SNSを使った感染症対策も不可能ではない。先進国が作った解決策を経済基盤の脆弱な国でも活用できるよう貢献したい。
ITで感染を抑え込む
感染症対策を進めていく上では、現状把握のための情報をいかに集め、活用するかが極めて重要な意味をもつ。世界で感染をいち早く小康状態に持ち込んだ中国、台湾、韓国は、携帯電話のGPSを用いた位置情報の活用など、テクノロジーを使った経路追跡と封じ込め対策を行っている。日本のクラスター対策も効果的であったが、人海戦術、紙ベースで行っていたため、規模が広がった時に対応が追いつかないことが懸念された。
しかし、GPSの利用はプライバシーに踏み込む要素がかなり大きく、個人の自由を重んじる民主主義社会では導入・運用のハードルが高い。
韓国は有事においてはプライバシーの侵害もやむなしというスタンスで、陽性患者の位置情報まで公開している。SARSやMERSの経験から、今回のような状況を想定した法律を作っていたことが大きい。
台湾は、陽性患者に発信器をつけて行動を厳格に管理しているが、蔡英文総統がリーダーとして、何が必要で何をやらないと抑えられないのかを常に前に出て説明した。国民に対しさまざまな情報をオープンにして説明する中で、対策への支持を取り付けている。
国家が情報を中央管理するという形ではなく、個人を軸にしたシステムも開発されている。アップルとグーグルが共同で開発を進めているコンタクトトレーシングアプリは、スマートフォンにアプリを入れてBluetoothをオンにすれば一五分以上(濃厚接触の定義は各国により異なる)近くにいた人の履歴がお互いに残っていく。自分が新型コロナウイルス陽性だと分かった時に自分の意思でオンにすると、個人を特定せずに接触歴のある人に陽性者と接触したことが通知されるというものだ。
しかし、コンタクトトレーシングアプリは国民の六割以上が使わないと意味がなく、三月に同様のアプリを導入したシンガポールでも二割しか普及していないところで感染拡大が起きてしまった。日本でもアップルとグーグルのコンタクトトレーシングアプリ導入の取り組みが始まっているが、決定打というような技術はまだない。GPSを利用するかどうかも含めて別の方法も常に用意しておく必要があるだろう。
テクノロジーを使わずに感染拡大を抑え込んでいる国は今のところない。経済と生活のバランスの中でこの情報を使うけれども、これは限られた一定条件下で使う、ということを国民にしっかり説明できれば、さまざまな対策が選択肢になるはずだ。感染症対策の中で日本の民主主義のあり方も問われている。
(以下、中略)
情報は「ギブアンドシェア」
情報を社会の共有財産と考えた場合、民主主義社会において、情報収集にあたって信頼を得るためのコミュニケーションは欠かせない。我々は、医療データを社会で共有しながら活用していく世界を目指している。その際大切なのはギブアンドテイクではなくて、ギブアンドシェア。情報を提供してもらい、それを還元しながら社会全体としての価値を実現する必要がある。ユーザーにどんなバリューを返せるかという視点は、設計の段階から大切にしなければならない。
今後は、売れればよいとばかりに、アルコール依存症の人にアルコールを勧めるというような対応はもう許されない。貢献できる活動だということを示しながら信頼関係を作って、データを使っていくという方向にシフトしつつある。プラットフォーマーに支配される社会や超監視国家にならないためには、我々がデータそのものの価値に注意を払って一緒に使っていくということが必要なのだと思う。
これまで、石油のような消費財は、使ったらなくなるので取り合うことが基本だった。しかし、データは違う。一人ひとりのデータを一万人、一〇万人、一〇〇万人と集めていくと、データから分かることが増えてくる。 国家や企業がデータを牛耳るのではなく、社会貢献の中でデータを使わせてもらうということが、これからのグローバルスタンダードになっていく。資本主義そのものも、株主至上主義の短期利益を追求するのではなく、社会にいかに貢献するかという価値観で、自社の役割や利益を考えていく方向にシフトしつつある。それがポストコロナだ。
コロナが終息したら昔の日常に戻ろう、と考えていたのでは、競争に勝つことはできない。今、世界各国ではロックダウンの解除が始まり、段階的に経済活動を緩和すると同時に、厳しい感染防止策を継続する「ニューノーマル」(新しい日常)を迎えようとしている。新しい日常を掴んだ上でその先の未来を描くことが、この立ち止まっている時期においては本当に必要になってきている。コロナの先を考え、すでに歩き始めている人たちはたくさんいる。今は試練の時期だが、これを一つの機会と捉えて新しい社会に向き合っていくことが必要になる。
(構成・中山あゆみ)
(『中央公論』2020年7月号より抜粋)
1978年生まれ。東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座教授などを経て、2015年より慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授。専門はデータサイエンス、医療の質、医療政策。