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どうする! 日本の地震予知

上田誠也(日本学士院会員・東京大学名誉教授)

地震予知をめぐる迷走の歴史

 地震直前の異常現象は古代ギリシャや日本書紀などの昔から言い伝えられてきた。観測装置によらないで人間が感知できるこれらの現象は、宏観異常というが、それは今日でも多く報告されている。すべてが有意とは思えないが、中には否定し難いものもある。それらを認めるか認めないか。地震予知の歴史とはこの二つの立場の相克史ともいえるのだ。

 日本では世界最初の地震学会が一八八〇年に創設された。九一年には濃尾地震(M8・0)が起き、翌年には「震災予防調査会」が設立された。

 このあと関東地震をめぐる大森房吉(東京帝国大学地震学教授)と今村明恒(同助教授)の有名な「予知論争」が繰り広げられた。今村は一九〇五年に、今後五〇年間に関東に大地震が発生するおそれありと論文に書いたが、煽動的マスコミによって社会的不安がひろがった。上司だった大森は今村説を「世を惑わす浮説」として執拗に攻撃した。しかし、二三年、関東大地震が発生した日、大森はオーストラリアでの国際会議に出席中で、現地での地震計の揺れを見て愕然とし急遽帰国、今村に詫びた。予知派の勝利に見えたが、実は今村は少数派だった。

 関東大地震の後、「震災予防調査会」は廃止され、二五年、東京帝国大学地震研究所が設立された。これにあたっては、地震学の基礎的研究と災害軽減が特に重視された。

 地震予知研究の機運が高まったのは六二年ごろである。坪井忠二、和達清夫、萩原尊礼など地震学の先達たちの主導で作られたいわゆるブループリントを基に、六五年に国家計画としての「地震予知研究計画」が予算化(初年度として、約二億一〇〇〇万円)されたのだ。それには六四年の新潟地震(M7・5)が後押しした。

 計画の内容は、有望そうな観測はなんでもやろうというものだった。測地、地震、活断層調査、地磁気・地電流観測などを画期的に増強しようというものだ。国立大学では微小地震、極微小地震観測網整備などに資金・人員が集中された。計画発足直後、六五年から六七年にかけての松代群発地震や六八年の十勝沖地震(M7・9)の大被害が積極論を鼓舞し、予知実用化への機運が盛り上がり、第二次計画からは「地震予知研究計画」の中の「研究」の二字が消え「地震予知計画」となった。当時の世界的な楽観論に乗り遅れるなという意気込みもあった。しかし、ここに大きな落とし穴があったのだ。

 実用的な予知とは短期予知であり、それには短期的前兆現象を捉えねばならない。そのためには地震観測は不向きである。地震計では起きてしまった地震の情報しか得られないからだ。地殻変動観測のみならず、地下水、ラドンなどのガス放出、地磁気・地電流の異常変化など非地震観測を行わなければならない。地震学者たちはこれを百も承知だったにもかかわらず、心機一転することができず、地震観測重視の既定路線を改めなかった。

 さあ実用化ということで、地震観測を一層増強せよとなる。短期予知には不向きだとは知りつつも、観測点はもっと増やしたいし、機器の進歩も止まることはないので新しいものを求める。次々と地震は起こる。かくて多くの地震研究者たちは観測業務に追われ、本来の研究目的を見失っていった。私はこの状況を実際に目撃した。これでは成果は上がらない。そこで以後の五ヵ年計画では、毎度必ずしも実質を伴わない進歩・発展があったと牽強附会的に謳わざるを得ないことになった。

 
 一方海外では、種々の前兆現象に注目した旧ソ連の研究、中国での海城地震(一九七五、M7・4)の中期・短期予知の劇的成功、前兆現象を統一的に説明すると見えたアメリカでのショルツ(Scholz)理論の出現などで、七〇年代には短期地震予知成功近しとの楽観論が支配した。わが国での第二次、三次計画のころである。しかし、それは長続きはしなかった。中国では唐山地震(一九七六、M7・8)の短期予知に失敗し、死者二〇万人以上を出した。そもそも海城地震以外には予知に成功した地震は皆無だったのだ。その後、ショルツ理論も失墜し、アメリカなどでは七〇年代後期には悲観論が圧倒的に巻き返し、支配するようになってしまった。

 アメリカではカリフォルニアのサン・アンドレアスという大断層で地震が起きる。そこには観測が始まって以来、ほぼ二二年ごとにM6クラスの地震が起きてきた場所があり、地震学者たちはここに大観測網を敷いた。八五年にM6クラスの地震が五年以内に起こるという予報を出し、七年ほどたったころには、いよいよ七二時間以内にM6クラスが起こると予報を出した。しかし何も起きなかった。実際にはM6クラスの地震は一二年後の二〇〇四年に起こった。ほぼ二二年ごとに起きていたのだから、長期・中期・短期ともに予知は失敗だった。

 アメリカとは対照的にロシアをはじめ旧ソ連邦諸国、中国、ギリシャ、イタリア、フランス、メキシコ、トルコ、インドなどでは一般的悲観論にもかかわらず、現在も短期予知のための研究が進められてきている。

予知をしない「予知計画」

 本題に戻る。いったいなぜわが国の国家規模の地震予知計画が「地震予知については研究もしない」という驚くべき計画となってしまったのか?

 結論を急ごう。わが国の地震予知計画は終始、短期予知には不向きな地震観測一辺倒だったため、一九九五年の阪神・淡路大震災も予知できなかった。高まる批判に対して、各種のレベルで予知計画の見直しが行われた。従来の指導層ではない次世代研究者たちを主体とする見直しも初めて行われた。そして熱心な討論の末「前兆現象の探索よりは、地震現象の全過程の基礎研究に重点を移す」とする結論に到達したのである。楽観論から悲観論、あるいは積極論から消極論への典型的回帰現象だ。

 その結果として短期予知は当分先延ばしとする「地震予知のための新たな観測研究計画」と題する新計画が一九九九年度より発足、現在はその第三次計画の実施中である。「地震予知は誰にもできないのだから、その研究もしない」ということだ。

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