実は男性だった美少女を見初めた相手は男装者
出会いの舞台である岩殿山の観音様とは、埼玉県吉見町にある安楽寺(吉見観音)のこと。鎌倉時代から今に続く坂東三十三観音の札所で、巡礼スポットとして有名である。そんな霊験あらたかなお寺で仲次郎が見染めたお亀はまれに見る美少女。
第1回には「十五六にて色白く髪は東京風の鴨脚返〈いちょうがえ〉しに緋鹿の子絞の半掛を掛け黄八丈の衣類〈きもの〉に山繭縮緬の帯を締め」た姿で登場。
「何れ此近所の娘なるべきが、左〈さ〉りとは美しいと行き逢いし者は立止りて跡を振り返る程」と描写される。
縁日で酔っぱらった連中がお亀に付きまとってワイワイ言うのをやめさせた岡田という教師がお亀に一目ぼれして、お亀の親に直談判するも、実は男性と聞かされて引き下がったこともあったという。
一方の仲次郎も「今年二十二年なるが農家の産れとは云え都恥〈みやこはずか〉しき容貌〈きりょう〉よしの上、算筆も相応に出来て小才の有る者なれば村の評判よく、往々〈ゆくゆく〉は戸長にでも成ろうという人物」。
お亀を見初めて会いたがる仲次郎に友人が岡田の一件を話して「男では何の役にも立〈たた〉ぬを左〈さ〉りとは物好きな男だと笑う」。
この場合の「物好き」は、暇人だな、という程度の意味か、それともお稚児趣味(武家や寺院などで召使として雇われた少年を男色の相手とすること)だとでも思われたのかは測りかねる。
そして、一年後に仲次郎がお亀を探しに再び安楽寺に出かけるが見当たらず、諦めて茶店で休んでいると、少年の姿で発見。
急いで帰って両親に承諾をもらって人を介して縁談を持ち込んだ、とここまでなら普通の話。
そもそもお亀が男性ということにびっくりしていたら、仲次郎までが本当は女性だというから二度びっくり。
昔は子どもの早世が多く、男児を女装させたり女児を男装させたりすると無病息災に育つという言伝えがあり、昭和天皇も幼少期に女児の恰好をしていたというが、ある程度大きくなってもそのままというのは珍しく(その理由について前日の記事には「母が頻〈しき〉りに悦びて成長の後も其儘〈そのまま〉に女に造って」いると書かれている)、そのうえ縁談が持ち上がって蓋を開けたらお互い異裝だった、なんて話は相当珍しいのではないか。
ともあれ、二人の切り替えの早さは驚異的だ。
まず、仲次郎ことお仲。前々日の記事によれば、最初に見初めたときにはお亀を女性だと思っていたようで、女性同士でも良かったのか、相手をどう説得するつもりだったのか気になる。
またお亀こと亀太郎も、求婚されたら女装をさっさとやめて結婚するというのもこだわりがない。
その後、妊娠出産もしており結婚生活には不自由もなさそうで、たまたまふたりともバイセクシュアル(両性愛者)だったのか、またはパンセクシュアル(全性愛者)なのか、ノンバイナリー・ジェンダー(性自認が男性・女性に当てはまらない第三の性)なのかわからないが、カテゴリーなんて関係なし、ふたりが良ければすべて良し、である。
それにつけても、離婚と再婚の目まぐるしさよ。
整理すると、明治13年3月18日の 縁日で見初める→1年後に再会→2ヶ月後に結婚→2年後の秋に出産→その翌年5月初旬に離婚→ 翌月に再婚、という超展開の4年を過ごしている模様。
どんでん返しに次ぐどんでん返し、このスペクタクルは現代に置き換えてラノベかアニメにしたら人気が出るかもしれない。