選手村村長の大仕事
二宮》川淵さんがサッカー協会会長に就任される際、「キャプテン」という呼称がいいんじゃないかと提案させてもらいました。スポーツ界全体を牽引する船長という意味で。昨年十二月に川淵さんは東京オリンピック・パラリンピック選手村の村長に就任されましたが、今度は「そんちょう」というよりも、より威厳のある「むらおさ」と呼びたい。(笑)
川淵》いやいや、村長っていうのは結局、飾りみたいなもので一番の仕事は入村式の挨拶。時間の都合で五ヵ国ぐらいずつまとめて国旗掲揚と国歌吹奏を行う予定です。
二宮》挨拶文はもう決めていますか。
川淵》いろんな制約があって自分の好きなように喋れないんですよ。英語とフランス語で行うんですが、その挨拶文をテープに吹き込んでもらって、丸覚えしようと思っています。
二宮》Jリーグ開幕の時の開会宣言「スポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します。一九九三年五月十五日、Jリーグの開会を宣言します」を思い出さずにはいられません。後世の記録のためにあえて西暦から日付をおっしゃったのだと。入村式でも川淵さんならではの挨拶を期待したい。
川淵》そうですね。文書ができた後に僕なりに手を加えます。通り一遍は嫌ですから。一九六四年の東京大会に選手として出場して、今回の東京大会には村長として参加する。これは、おそらく過去に例のないこと。僕の人生の最後を飾る本当にハッピーなことだと伝えたいですね。
二宮》オリンピックの一年延期はやむをえませんが、川淵さんにはいつ頃連絡があったのでしょうか。
川淵》皆さんとほとんど同じタイミングですよ。いまはとにかく諸々の努力が無に帰さないように、一年後にぜひ開催できたらいいなと思います。
最近、選手村の状況を知ってびっくりしたのですが、ベッドなどの備品が全部備え付けられているから、室内に湿気がこもらないよう、しょっちゅう換気をしているそうです。そして一番驚いたのが、選手村には総合診療所があって、そこに高額な医療機器が備えられているのですが、一定期間作動しないと使い物にならなくなるらしい。このような維持管理費がかさんでいるのですよ。
何を簡素化すべきか
二宮》新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染状況次第では再延期し、二年後の開催はありえないでしょうか。
川淵》無理だと思いますね。二年後にはサッカーのワールドカップと北京の冬季オリパラが予定されています。個人的な意見ですけれども、もし来年できなければ延期でなく、中止でしょう。森喜朗・組織委(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)会長も、バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長も、関係者は皆そう考えていると思います。コロナのワクチンと治療薬ができて、感染者数をゼロにするのは無理でしょうが、世界的に収束していけば......なんとか一年後に開催してもらいたいと思っています。
二宮》中止かどうか判断するタイミングは、組織委としてはできるだけ引き延ばしたいでしょう。いつ頃がリミットになりますか。
川淵》これも個人的意見ですけれども、年内に決めるのではなく来年一月とか二月とか、ワクチンや治療薬などの開発状況が見えてきて、感染者数のゆくえを見極めながらでしょうが、いずれにせよ、その頃には決断しなければいけないでしょうね。
二宮》いま組織委は「簡素化」ということを言っていますが、森会長に聞くと総論賛成各論反対の状況のようです。つまり、IOCからすると開会式は時間枠を取っており、放映権料をもらうことになっているのだから、開会式を短縮すれば違約金を支払わないといけない。ガラガラのスタンドを映すわけにもいかない、と。簡素化も思うに任せない。
川淵》アスリートの戦う場は絶対に簡素化できません。予選の回数を減らすと言っても無理があります。いろんな行事的なこと、本質的な競技以外のことをどう考えるか、それについては、僕は頭の中が整理できていません。
だから簡素化と言うならば、何かしらの競技を外すとか、もっと大胆なやり方をしない限り無理だと思います。若者向けにいろんな競技を増やしましたが、一方で減らすものもあってしかるべきじゃないか。
いま冨山和彦さんの『コーポレート・トランスフォーメーション』を読んでいる最中です。オリンピックは肥大化したとよく批判されますが、ドライに思いきって削減するとか、いわば種目をトランスフォーメーション(変革)すべきですよ。それにはいろんな抵抗があったとしても、ドライにやり切ることがいまの時代には望まれている。大胆に変化させるタイミングだと思いますね。
(中略)
チケットはもっと高くたっていい
二宮》川淵さんの呼びかけで、コロナ禍でスタジアムにお客さんが入場できない試合が「リモートマッチ」と命名されました。「無観客試合」と言うのは味気ないので、これは良かったと思います。リモートと言うのは、選手とファンが離れていてもつながること、そこにはオンラインでのつながりも含まれていると思いますが、これからはネット配信がスポーツビジネスの柱に加わるのではないでしょうか。これまでは入場料、放映権料、物販、飲食などが主な収入源でしたが......。
川淵》5Gの時代になり、大容量通信ができるわけで、一人の選手だけアップして撮り続けたり、瞬時に得点シーンを見せたり、いろんなことができるようになる。放っておいても変わっていくでしょう。そういったサービスが当然、クラブの収入にならないとプロとしての意味がありません。配信サービスで収入を増やしていく流れになるでしょう。
しかし、現場で生の試合を見ることへのニーズは未来永劫変わらないと思います。プロスポーツは現場で見るのが一番だとサポーターはみなわかっている。すると、3密を避けるにはどうすればいいのか、その工夫を考えなければならない。これからオンラインでの「投げ銭」とかいろんな収入源が出てくると思いますが、一番大事なのは入場料ですよ。
二宮》川淵さんは昔からスタジアム観戦の重要性を指摘していますが、たとえば、いま大相撲では本来定員四人の枡席にコロナの影響で一人しか入れない。そもそも日本人の体格が大きくなり、外国人客も増えている時代に、あの枡席に四人を入れること自体に無理がある。スイートルームをつくるとか、もっと枡を大きくするとか、観戦環境を充実させるべきだと思うのですが......。
川淵》おっしゃる通りで、経営者はいまの座席で入場料も現状通りというのを前提にして、どうすべきかと考えるにとどまっている。そういうところが、もう全然違うと思うんですよ。
一九九二年に英国のプレミアリーグが設立された時、ちょうどJリーグ開幕前だったので僕は現地に視察に行きました。当時、ヨーロッパで大きな事故があって、英国ではゴール後ろの立ち見席を個席に替えた。それによって入場料収入が減ることになるわけですが、テレビの放送料があるからしょうがない、という考え方でした。ところが、ライブ放送をしたおかげでたとえばマンチェスターユナイテッドのスタジアムの集客数は最初三万五〇〇〇人だったのが、お客さんがどんどん増えて、五万になり七万になった。またゴール後ろの席の料金は最初五〇〇円ぐらいだったのが、いま五〇〇〇円ぐらい。
ヴィッセル神戸の三木谷浩史会長が元スペイン代表のMF、アンドレス・イニエスタ選手を一昨年に獲得した時に、「入場料を上げるのはどうでしょうか」と聞いてきたから、「絶対そうすべきだ」と伝えたところ、実際に値上げしました。よくやってくれたと思います。イニエスタというすごいソフトが入ってきて、同じ値段で見れると思うのかという話です。良いものを見せますよ、しかし高い入場料になりますよ、そう言える経営者でなければプロスポーツでは成功できません。
二宮》たとえば歌舞伎の海老蔵のチケットは、いい席なら二万円はします。イニエスタが五〇〇〇円や七〇〇〇円はありえません。庶民のスポーツだから安くていいというのは時代錯誤、差別化をはかるべきだと思います。
川淵》日本人の感覚の中には、庶民のものだからできるだけ安くという考え方があるんだけど、良いものを見るには、やはり高いお金を払わなきゃいけない。より多くの人が欲しがるものは値段が高くなるのは当然でしょう。そういう考え方が、まだ日本のスポーツ界にはありません。
好例として思い出されるのは、バスケットボールのBリーグが開幕した時、コートサイドで四人の枡席のような二〇万円のプラチナボックス席。当時はそんな高額はけしからんと怒ってしまったのですが、そこが一番早く売れた。その時、僕はもう古いんだなあと痛感しました(笑)。その席の客は、会社の役員クラスのお年寄りかと思いきや、なんと若い人ばかり。二重の驚きでしたね。
二宮》日本のスポーツ界は、いまだにデフレ商法なんですよね。
(以下略)
〔中央公論2020年10月号より改題して抜粋〕
1936年大阪府生まれ。早稲田大学在学時にサッカー日本代表に選出。64年東京オリンピックに出場。現役引退後は古河電工監督を経て80~81年日本代表監督、91年Jリーグ初代チェアマン、2002年日本サッカー協会会長、08年同協会名誉会長。13~17年、公立大学法人首都大学東京理事長。現在は日本サッカー協会相談役、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員会議長などを務める。19年12月東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任。
◆二宮清純〔にのみやせいじゅん〕
1960年愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーに。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。五輪は8度現地取材。『スポーツ名勝負物語』など著書多数。