コロナ禍で今年度は中止になってしまったが、全国学力テストは開始から10年以上が経ち、来年度はパソコンを用いたオンラインでの解答方式の導入が検討されている。だが『全国学力テストはなぜ失敗したのか』の著書があるなど事情に通じた川口俊明福岡教育大学教育学部准教授によれば、全国学力テストはさまざまな問題を抱えているという。川口氏の寄稿の一部を抜粋してお届けする。
「政策のためのテスト」と「指導のためのテスト」
「全国学力・学習状況調査」(以下、全国学力テスト)が二〇〇七年に再開され、すでに一〇年を超える月日が流れました。毎年八月頃になると都道府県別の平均点が公表され、その順位が報道されるので、教育にそれほど関心がなくても全国学力テストの存在は知っている方が多いと思います。本稿では、現行の全国学力テストの問題点とその改善策について論じます。
文部科学省によれば、全国学力テストは大きく二つの目標を持っています。一つは国の教育政策に活かすという側面です。全国の児童生徒の学習状況を国がモニターし、教育政策に活かすための基礎資料とするというものです。EBPM(Evidence Based Policy Making: 証拠に基づく政策立案)の重要性が叫ばれる昨今、教育分野でも、こうした「政策のためのテスト」が必要だということは、多くの人が納得すると思います。もう一つは、個々の学校の指導に役立てるという側面です。そこには、せっかく数十億円もの予算をかけて学力テストをするのだから、その成果を調査に参加した一人一人の子どもに還元できる「指導のためのテスト」として役立ててほしいという思いがあるようです。
この二つの目標を同時に達成するために選択された調査法が、毎年度、すべての小学六年生と中学三年生を対象に、学力テストを実施するという方法です。そこにはおよそ次のような発想があります。まず、子どもたちの学習成果を知るためには、その総まとめである小学六年生、中学三年生の学力を把握すれば十分である。一人一人の子どもの点数がわかれば、テストを指導のために活かすことができる。そして、子どもの点数を学校ごと、あるいは自治体ごとに平均していけば、個々の学校・自治体の課題もわかるだろう。現行の全国学力テストの背後には、このようなある意味でシンプルな発想があります。
こうした一人一人の子どもの点数を学校(あるいは自治体)ごとに平均すれば、その学校(自治体)の課題がわかるに違いないという考え方は、全国学力テストに関わる議論でも、しばしば目にします。各自治体(学校)がわずかでも平均点を上げようと必死になって努力しているのも、自治体(学校)の平均点が、その自治体(学校)の学校・教員の質を示しているに違いないと思われているからです。全国学力テストの点数が振るわないことを問題視し学校ごとの点数を公表すべきだという意見や、点数の低い学校の教員にペナルティを与えるべきだという見解の背後にも、こうした考えが潜んでいます。
平均点だけに注目しても意味がない
学校(自治体)の平均点が、学校や教員の質の表れだと考える人は少なくありません。まず、この発想が完全に誤っているということを示しましょう。次ページの図1は、ある自治体の小学六年生のデータを利用して、学校別の全国学力テストの成績を示したものです。この図では、学校ごとの国語の平均正答率を縦軸に、経済的な事情で自治体から就学援助を受けている児童の割合を横軸にとっています。一つ一つの円は各学校を示します。なお、円の大きさは、各学校に所属する児童数を示しており、大きい円ほど規模の大きい学校ということになります。また、図中の直線は回帰直線と呼ばれ、国語の正答率(Y)と就学援助率(X)のおよその関連を示しています。簡単に言えば、就学援助率が一〇ポイント上がるにつれて、国語の正答率が三・四ポイント下がる傾向があるということです。
ここで注目したいことは、就学援助率と正答率のあいだに明らかな関連があり、しかも回帰直線付近に多くの学校が集まっているという点です。回帰直線から外れた位置にある学校もいくつかありますが、そのほとんどは円の小さい小規模校です。当然ながら、就学援助を受けている児童の中にも成績の良い子は少なくありません。そのため小規模な学校では、就学援助率が高くても、たまたま成績の良い子がいて回帰直線から離れた位置に学校が出現することがありえます。
一方で、ある程度規模の大きい学校になるとこうした偶然が起こりにくくなるため、ほとんどは直線付近に集まります。何より、図の右上(就学援助率が高くても正答率が高い)や左下(就学援助率が低くても正答率が低い)には学校が存在しません。要するに、学校・教員の質は、就学援助率の高低による正答率の差を覆すほどのインパクトを持っていないのです。ときどき全国学力テストの成績が良い学校やその学校の教員を褒めている人を見かけますが、それがもともと恵まれている地域にある学校を褒めているだけになっていないかどうか、よく見極めなければなりません。
もう一つ重要なことは、横軸に示される学校ごとの就学援助率のばらつきです。図1の自治体では各学校の就学援助率は、最低で三%から最大の八七・五%までばらついています。この差は、おそらくこの自治体に住む人々が、自由に「校区を選んだ」結果として生じたものです。多くの親は、子どもに良い学校で教育を受けさせたいと考えます。しかし、仕事の都合や経済的な問題がありますから、すべての人が自由に住む場所を選べるわけではありません。結果として、住む場所を選べる人々と選べない人々のあいだで、住む地域(そして通う小学校)が分かれていきます。
図1は、こうした分離が進んだ結果を反映したものだと考えられるのです。全国学力テストの結果を、学校・教員の質に還元したがる人は少なくありませんが、その前に、そもそも自分たちの住んでいる地域の状況が、正答率の高低差を生み出しているのではないかという視点を持つ必要があります。
全国学力テストの抱える課題
図1では、現行の全国学力テストの前提にある、個々の子どもの成績を平均すれば学校・教員の質の良し悪しもわかるだろうというシンプルな発想は間違っていることを示しました。しかし、全国学力テストの抱える問題はこれだけではありません。次に、「政策のためのテスト」と「指導のためのテスト」という二つの目標を同時に追求したことが、テストの質それ自体を損ねているという問題を取り上げます。
全国学力テストは、一人一人の子どもの指導に活かすという「指導のためのテスト」のロジックを前面に出すことで、どの子どもも同一のテストを受ける悉皆実施を正当化しています。しかし現実的には、時間の制約から出題できる設問の数はどうしても限られます。そのため、現行の全国学力テストでは、さまざまな領域を持つ国語・算数(数学)のごく一部しか測定することができません。せっかくすべての子どもが受験するのに、日本の子どもの国語・算数(数学)の全体像はよくわからないという状況になっているのです。これは「政策のためのテスト」という視点から見て問題があると言わざるをえません。
ちなみにこの問題を回避するために、PISA(OECD〔経済協力開発機構〕の実施する国際学習到達度調査)などの大規模な学力調査では重複分冊法という手法が利用されています。これは、用意した数百問の問題を複数の冊子に分割し、個々の子どもには、それぞれ異なる一冊の冊子の設問を解かせるという方法です。一人一人の子どもは異なる冊子に回答していますので、単純にその成績を比べることはできません。その一方で、国全体で見れば、幅広い領域を調査でき、全体の学力実態を適切に把握できます。
全国学力テストには、他にもさまざまな設計上の問題があります。学力の水準以外の「付加価値」という発想が導入されていないこともその一つです(本シリーズ第一回の中室牧子氏の記事を参照)。学校・教員の努力の成果を知るためには、ほんらい複数時点の学力調査を行い、「成績の伸び」を測らなければなりません。しかし、全国学力テストは悉皆実施に予算を使い切ってしまい、「政策のためのテスト」に必要な複数時点の調査ができなくなっています。
紙幅の都合もあって、全国学力テストの課題をこれ以上論じることはできません。しかし、「政策のためのテスト」と「指導のためのテスト」という二つの目標を同時に達成しようとするのは容易ではないということだけは、理解してほしいと思います。
(以下略)
〔『中央公論』2019年11月号より抜粋〕