斎藤 そうした見方は間違っているでしょうね。私が報道を通して見るかぎり、愛子さまは非常に賢い方で、お母さんの置かれている苦境もしっかりと理解していると思います。
雅子妃の状態を考えると、愛子さまはこれまで「気ままに育った」どころか、むしろある意味で「母親を守る」という重責を背負いながら頑張って生きてきたところがある。小さな頃から、お母さんのコンディションによっては、甘えたいときに甘えられないということも経験してきたでしょう。それから、お母さんに気分のいい日と悪い日があるという場合、子どもはまずそれを自分のせいではないかと疑います。大人の事情がお母さんを苦しめていると理解できたとしても、「どうしたらお母さんはいつもニコニコしてくれるだろう」と気に病んで考える。そうした境遇に置かれることは教育上、プラスになる面もあると思いますけど、もちろんストレスも感じるわけです。今回の不登校は、ギリギリまで張り詰めて頑張ってきたのが、外部からのストレスが加えられたことで、ポキンと折れてしまったという感じがします。
もちろん雅子妃も愛子さまの頑張りは十分に感じていて、事件公表以後の過度に保護的な振る舞いは、「お母さんからの恩返し」という気持ちもあったはずです。
それにしても、この母娘は、心配したくなるほど一体化していますね。かなり共依存に近い状態にあると言えなくもありません。共依存と言えば、子どもが親に依存して、親は子どもに依存してもらっているという立場に依存するというのが普通です。しかし、この母娘の場合は立場が逆転しています。雅子妃が愛子さまに依存して、愛子さまは雅子妃から依存されている状態に依存しているように見えます。
こうした性格の愛子さまだからこそ、今回のような目立ち方はどう考えてもプラスに働かない。これほど周囲に配慮のできるお子さんが、異様に周囲から気を使われている状況に鈍感でいられるはずがありません。先生も腫れ物に触るように扱うでしょうし、同じクラスの子どもたちも無邪気には振る舞えない。自分の特殊な立場を、そうした形で実感させられることは、相当なプレッシャーになるはずです。
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〔『中央公論』2010年5月号より〕